70番本山寺もすぐです。ここは大同2年(807)平城天皇の勅願により、弘法大師が七十番札所「長福寺」として開基。2万平方メートルの広大な境内には国宝の本堂、仁王門、五重塔、鎮守堂、大師堂、十王堂、大日堂、慰霊堂、鐘楼、客殿などが並んでいます。
天正時代には、長宗我部軍が本堂に侵入して住職を刃にかけた時、脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち、これに驚いた軍勢が退去したため本堂は兵火を免れたといわれます。この仏は「太刀受けの弥陀」と呼ばれています。
以前曼荼羅講伝等で御世話になった頼富本宏師の「わたしの密教」によると「70番本山寺中興の祖、頼富実毅僧正は明治21年眼病による失明をなおしていただくべく八十八所を遍路したが伊予の臼井のご来光の霊水をいただいてより視力が回復をはじめ横峯寺で納札が読めるようになった」とあります。頼富師ご本人も毎年四国遍路をされていると書いてありました。ありがたいことです。
19年のこの日も快晴で有難い遍路日よりでした。
そういえば、平成17年の最初の遍路の33日間の遍路道中でも本格的な雨には一度も遭いませんでした。雨は遍路には大敵です。その後の遍路もお天気に恵まれることがおおく有難いことです。しかし天候の事はわれわれは人間の立場からあれこれ評価すべきではないとどこかで読みました。晴れ男とか晴れ女とかいいますが、自然の大きな力を相手に卑小な己に引き寄せてあれこれ評価すべきではないのです。どのような天候であれそのまま受け止めなければならないのです。よくよく心すべきことです。