福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日16日は大文字五山の送り火です

2024-08-16 | 先祖供養

今日16日は大文字五山の送り火です。



「京都ガイドブック」には「・・大文字の起源ですが、その中でも代表的なものが、「平安時代初期の弘仁年間(810~824)に弘法大師が始めた」というものです。その理由としては、(1)代々、大文字の送り火をおこなっている浄土村は大師ゆかりの土地である。(2)大文字の山自体も大師の修行の地の一つであった。(3)あの大の字の筆跡は筆の名匠、弘法大師のものである。(4)大文字山の斜面はかなりの高低差のあるデコボコしたもので、そこに地上から綺麗に見える大の字を設置するのは大師にしか出来なかったのではないか。などがあります。なお京都の人の間では「弘法さんがはじめはったんや」と代々、伝承されています。・・」とありました。



平成十四年七月十四日NHK教育テレビ「こころの時代」に上山春平が大文字山で虚空蔵菩薩のご真言を唱えてノイローゼから立ち直ったと話ているくだりがありました。

「上山:・・私は、京都に来て、銀閣寺のそばに住んでいたんです。お盆の時に送 り火を焚く大文字山のふもとです。その大文字山に、下宿のおばさんから勧めれ れて、僕がフラフラしているものだから、「気 が晴れますよ」ということで、登ってみたん ですね。ちょっと大変なんです。四百メート ル位ありますから、途中で何回か休みながら 登ってみたら、もの凄く気持がいいんですね。 目の下に大学が見えるし、京都の街が一望で きる。そういうことで、ときどき大文字山に 登っていましたら、あそこは弘法大師の信者 の方がおられまして、朝早くからお詣りしていることが分かってきたんです。僕 も朝早く登ってみたら、あそこでお経を称えているんですね。その頃何も分から なかったんですが、だんだん何を称えているか分かってきて、そういう人たちの 中に混じってお経をとなえたりしているうちに、弘法大師にだ んだん関心をもってきたんです。そして、ある時、本屋に行っ たら、こんな薄っぺらい『三教指帰(さんごうしいき)』というのがあるんです。 「あ、空海の書いたものや」と思って、ペラペラとめくってい ましたら、「自分が若い時に云々」ということが書いてあって、 「〝虚(こ)空蔵求(くうぞうぐ)聞持法(もんじほう)〟をやって、何となく気持がスッキリした」 というふうな意味のことが書いてあったわけです。それで、 「あ、これだ」と思った。自分がなんとなくモヤモヤしていま したから。そこに、「虚空蔵求聞持法というのは、虚空蔵菩薩 の真言(ダラニ)を百萬遍称えることが中心だ」と書いてある。 僕も「これをやってみよう」と思ったのです。大文字の大の交 点に、御大師さんを祀った祠があるんですね。そこでみんない ろいろお称えをしている。僕もあそこへ行ってこのダラニを繰(く) ろう、と思い立ったのです。先程、『三教指帰』によって、「救 われる糸口が出来た」と申しましたのは、それをやり始めてか ら、僕の気持がだんだん安定してきたことがあったからです。
 
峯尾:  実際、通い始めてどれ位の期間、それをなさったんですか。

上山:  大学の二回生の初め頃から始めたんです。それを毎朝暗いうちから起きて、無茶 苦茶に早いんです、三時から四時頃に起きて、家を出る時から虚空蔵菩薩の真言 を称え始めるわけですね。それでずーっと登ってお堂の所まで行く。大文字の大 の真ん中まで。お堂に入ってまたずーっと繰って。私は、一年かけてやろうと思 いまして、二千から三千、ともかくやっていく。通しでともかく百万遍やってみ よう、という。それ勝手に考えたことなんですね。そのころ私は京大の哲学科に いたんですけど、行(ぎょう)に相応(ふさわ)しいように丸坊主にしていました。それが教室の前の 方に座るわけです。出来るだけ先生の話を吸収しようと思って。それがグーグー いびきをかいていつも寝ていたということを覚えてくれている人がいますけど も、そういう状態でやっていましたね。

峯尾:  で、まさに一年通われて、非常にディプレッション(depression)の苦しい時代 から、上山青年は見事立ち直ったわけですか?

上山:  非常に活力が出てきましたね。当たり前なんです。朝早く起き て、四百メートルばかりの急な山道を、初めは休み休みですが、 ほとんど駈けるように登れるようになってきました。そうした ら身体が見る見る元気になってくる。それともう一つ、大文字 山は街に近いですけれど、ちょっと入るとやっぱり山なんです ね。春になると山ツツジが絢爛と咲きみだれ、秋には色とりど りの紅葉につつまれる。ほんとに極楽という感じですよ。下宿 で寝ていたら十時位まで寝るわけでしょう、下手すると。講義 がある時でもせいぜい八時ですわね。それが真っ暗なうちに起 きる。あそこの道端にはコンコンと泉が湧いているんです。そ れで顔を洗って腹一杯飲むわけです。そうすると、何か山のエ ッセンスを頂いたような感じになってくる。まあ後で考えたら 身体にいいことばっかりしているんですよ。朝早いから、夜は 早いんですね。もうすぐ寝付いてしまう。こんなことって生ま れて初めてです。長いこと本の中に埋まっていたのが、そうい う自然の中に埋まって、しかも四百メートルの山を登って、ダ ラニという単純なものを繰り返していると、頭が冴えてくる。申し訳ないことで すが、弘法大師信仰とかいうことでなくて、弘法大師に初めのボタンだけ押して 貰った感じで、後はまあダラニにかこつけて、健康法をやっていたような感じで すね。・・・」
 

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