国宝後宇多法皇宸翰御遺告(大覚寺蔵)
後宇多法皇は英邁で知られた法皇ですがこの方の御遺言が国宝として残っています。国宝後宇多法皇宸翰御遺告(大覚寺蔵) です。
以下宸翰英華等により書き下してみます。
1、 はじめに、粗筋
この御遺告は元亨元年1321から正中元年1324の間に書かれた草稿で、最初に『當寺教法後代内外の事、弐拾伍箇条等・・』とあるが実際は二十一箇条にとどまっています。自筆の証拠として7か所に御手印が押されているといいます。
第一條は御降臨の砌の霊瑞より密教帰依に至る御経歴と前大僧正真光院禅助に従って伝法灌頂を受けたまひ大覚寺御再興・法脈継承に至るまでの次第、密教興隆の願を述べたもうている。
第二條は青龍寺恵果和上以来の教法を護持することは国家蒼生を安泰ならしめ仏恩報謝の所以であり、鎮護国家の大本は武運長久にありとして王法仏法の関連を述べられている。
第三條は僧俗一体で国家興隆につとめよ、とのべる。
第四條は教王常住院の建立について。
第五條は大覚寺に年分三業度人各一人を賜ること。
第六條は五覺院と大覚寺で結縁灌頂を修すべきこと。
第七條は行者は観行・修練を積むべきこと。
第八條は行者は顕密二戒持すべきこと。
第九條は門弟の受明灌頂・教学のこと。
第十條は事相教相共に修すこと。
第十一條は童子の教育。
第十二條は行者の禁止行為。
第十三條は神仏の冥感を探じてから貴賤へ祈祷を致すべきこと。
第十四條は定め置かれた皇族の追福修善を怠らざること、
第十五條は自らの御陵所として蓮華峯院(現在も北嵯峨野にあり宮内庁が管理)を建立せよと。
第十六條は高野山と室生寺を重ずべきこと。
第十七條は東寺座主職を相承し興隆せよ。
第十八條は大師の遺跡たる善通寺・曼荼羅寺・誕生院(善通寺西院)の興隆。
第十九條は教法伝持の重要なことを説かれ、俗人に容易に傳授すべきでないこと。
第廿條は伝法灌頂阿闍梨は一人を定め嫡嫡相承すべきこと。
第廿一條は後宇多法皇の戒師たる禅助僧正の龍華院の勤行に報恩の精誠をこらすべきこと。
「後宇多上皇宸筆御遺告 一巻 大覚寺蔵」
「諸弟子に遺告す。まさに勤護すべし、當寺教法後代内外の事、弐拾伍箇条。
竊に以へらく、法體常恒、流傳は人に属す。幸いに宿縁相引き、高祖大師の法流に沐すことを得、此地、寺院建立法流傳持に相応す。仍て聊か條目を書して以て吾後に示す矣。
一、 大覚寺を建立し法脈を傳流する縁起第一。
吾生皇室に在り、二歳、春儲(皇嗣になる)に備ふ。八歳、大極に登る(天皇となる)。而して初めて珠胎を出るの日、虚空に両部曼荼羅現ず。外祖は前左大臣實雄公、此事を感見して意へらく以て此児皇統を継すべき大器なり、何ぞ此の事を感ずるや。もしこれ膺籙(ようろく・践祚)不遂ならば佛家に入るべきのきざしかと。ひそかに以て憂愕し更に人に語らず。然而して遂に皇祚を践み、天下を御す。幼日より佛法に帰す。童稚の間、土器を列べ折敷を焼き護摩の法に模し、高座に昇り論議に擬す。成人して學を好み、博く経史を渉る。経論を兼学し、顕密の法を求む。明師あれば必ず之に問訊す(ここでいう「明師」とは天台の道玄・慈道、禅宗の一山一寧、子曇、律の叡尊・凝然等を指す。・・「後宇多天皇の御信仰に就いて・猪熊信夫」)。年十有四・五にして禁内に在り。僧正道寶(藤原道家の養子、安祥寺良瑜の法を継ぎ東寺72代長者、1277建治三年伊勢神宮に敵国降伏を祈る)・勝信(藤原道家の息、小野流二十五祖、東寺二長者)相続で東寺長者となる。夜居に侍りて受學す(祈祷僧が宮中で加持祈祷のために宿直をする時、彼らについて受學した)。十八道契印、両部大法、諸尊瑜伽、乃至、密印明、究習せざるなし。求法の志深きを以て冥感応有り。其の外、廣澤・小野の法匠一阿闍梨と為り、夜居に侍り、その法流を受学せざるなし。廣澤(廣澤流のこと)は則ち奝助(ちょうじょ・三条実親の子。仁和寺房円に師事,真乗院住職。東寺三長者)道耀(藤原実氏の子。道勝・法助より受法、東寺76代長者、護持僧、宮中で大北斗法を修す。のち高野山一心院に隠居し学徒を導く)了遍(権大納言藤原実有の子。行遍,法助により伝法灌頂、仁和寺菩提院に住し,菩提院流祖。東寺長者、東大寺別当)。小野(小野流の事)は亦、定濟(内大臣・土御門定通の子、醍醐寺三宝院憲深に師事。三宝院中興。醍醐寺座主。東大寺別当。東寺長者。弘安4年(1281年)勅命により伊勢神宮で蒙古降伏祈祷)、覚濟、親玄(醍醐寺座主・東寺長者)、厳家(一条家経の子。醍醐寺静厳の資。東寺長者,醍醐寺座主。大僧正。後二条天皇の護持僧)等これ也。兼ねて亦、慈覚・智証の諸流護持の輩、皆その志に感ず。敢て所傳を秘惜するなし。脱屣(だっし・天皇の位を捨てる)の後、憲淳僧正(近衛良教の子、真言宗、国師僧正とよばれた。醍醐寺報恩院覚雅の資。報恩院主。後宇多上皇に伝法灌頂)に伝法職位・秘法印明を受け、遂に一流法統を伝ふ。抑々先年仁和寺一品親王(高雄御室性仁法親王)帰法の志を感じ法皇正流(廣澤流)を以て授く。遥かに寛平法帝(廣澤流二代)先跡に約し、将に秘密源底を究ぬ。而して天命有限、徒以って早世帰寂(師事していた高雄御室性仁法親王は早死)、唯十八契印を授く。未だ両部大法に及ばず。前大僧正(真光院禅助、東寺において後宇多法皇に広沢流の伝法灌頂を授ける)その遺命を受け続てこの正流を伝ふ。未だ落飾に及ばぬ昔、深く僧正と約す。釈家に入るの時、必ず彼の人を以て師となし本懐を遂げ法流を伝持せんと。而して椒房(しょうぼう・皇后の居所)花落(徳治二・1307年皇后遊戯門院が崩御)、蓮華雲聳夕、忽西郊閑地に入り終に上乗仏子に列す。
縡(さい・こときれる)是卒爾といえども已に素懐を果たす者也。練行日に積み、修学年を送る。恵果行状に率由(そつゆう・前例をまもる)し、密蔵・毘尼(経典と律)を呑合、余力を蓄へ、徳治二年春正月二十六日曁(いたり)、東寺灌頂院を排ひらく。延喜の嘉躅(かちょく・延喜元年12月13日に宇多天皇が益信について灌頂を受けられた例)に任せ、八十余僧を屈し、伝法灌頂阿闍梨職を前大僧正に受く。加行の間、當寺に於いて精進の力を励む。霊瑞屡示、冥応掲焉(けつえん・目立つ)。當日入壇時刻、地震動、天は光耀を現す。それより以降、彌よ修練に励む。高祖遺訓を守り、顕密二戒を堅持す。去年に至って先皇基跡高祖遺跡を尋ね、芟荑(せんてい・除草)草莱(そうらい・雑草)、當寺を再興す。夏臈四十歳に及び、前大僧正の聴許を蒙り當寺(大覚寺内の)佛母院において伝法灌頂を性円法親王に授く(性円法親王は後宇多法皇の次に大覚寺住職となる)。先に五大尊護摩を行じること各七箇日。彼の親王、百箇日加行を始む。師資ともに冥応新たなり。霊夢好相を得てその大願を遂得。その後、道順、実助相續いて灌頂壇に入り、信助、信朝大僧都等幼日より十八契印、両部大法、諸尊瑜伽、偏に愚資に随ひ、受學せざることなし。遂に去る正和を以て入壇、瓶水を写すこと既に畢ぬ。僧正道意、信英大法師等灌頂に浴し畢ぬ。並びにこれ佛母心院灌頂道場を排きて、授与の所なり。抑々石清水社壇に詣じ、結縁灌頂を行ずること三箇度、鎮護国家の為に仁王経及び五大虚空蔵法を修し護国與法、唯以て高祖海岳の恩に報ずなり。去る嘉元の暦、仲秋八月南山霊峰に詣で五里険阻に運歩す。誡を一心棘府に竭し、奥院御廟に詣ず。終夜念誦するに忽ちに霊応現じ、金響を聞くこと両三聲、其音を聞く者は両三輩、或は傍に在りと雖も聞かざるあり。その年臘月百箇日、神護寺に参篭し暁夕入堂。毎暁自ら閼伽井水を汲み御影堂において行法す。清嵐の夕、深雪の暁、捨身粉骨、精行に励み、報酬の志を竭する。元享元年に曁(いたり)、金堂を起立、宇治院を造営し、終老の地と為す。佛家に入り密法を行じ、十余廻凉燠(りょういく/歳月)を送る。是に於いて不慮、皇太子の登極に逢ふ(後宇多法皇の第二皇子の尊治親王(後醍醐天皇)が文保2年(1318年)に即位すると後宇多法皇は再び院政を開始した)武将計略に依り再び万機に臨み京洛の塵に接す。四か年を送り、修練懈ずといえども利国世に属すの故に密教弘傳の縁を失ふ。鎮国の政、閣くべからずと雖も縁務纏索、頗る猒却の思ひを催す。是を以て政理を今上帝に属し、生涯山中虚閑に終んと欲す。何ぞ況や耄及び病侵休退、天運に叶へるをや。辛酉季冬(元亨元年・1321,12月)武将に示して當寺幽栖に蟄居する所而己。
一、 国家太平無事長久を護持すべき縁起第二
夫れ以、青龍和尚、高祖大師に告げて曰く、「両部曼荼羅・一百余部金剛界乗法、本郷に請帰し、海内に流伝せよ。わずかに汝が来るを見、命の不足を恐る。今則ち授法、在有、経像の功畢りぬ。早く郷國に帰り以て国家に奉じ、天下に流布し蒼生の福を増せ。然れば則ち四海泰く万人楽ん。是則ち仏恩に報じ師徳に報じ国の為には忠也。家に於いては考なり云々」。
今吾伝持のものは高祖大師所伝なり。前大僧正常に語って曰はく、「青龍寺和尚告げるところは代々所伝なり。吾門資普く此の旨を告知せよ。吾本意に背くこと莫者」。愚資、元来之を以て意と為す。師の所命爾丹府に銘ず。而して鎮護国家の大本専ら武運長久にあり。何則中古以来保元両主の争乱、壽永両家の征伐、生民は軍旅に疲れ、皇統は兵権に依る。而して近曾、神鑒(すぐれた鑑識)合応(こたえる)、武威世を鎮む。是を以て君康民安・天命自正。唯密教護持を専らにし、長久運命を祈んと欲す。所定の勤行、載て別文に在り。吾後の門資、住寺法侶は一心に合力し修練無倦、法力莫撓矣。
一、 真俗同運興隆に励むべき縁起第三
夫れ以、我大日本国は法爾の称号、秘教相応、法身の土也。故に我後の血脈を継ぐ法資は天祚を伝ふるの君主、盛衰を同じくすべし。興替を伴にすべし。我が法断廃せば皇統ともに廃ぶ。吾寺を興復せば皇業安泰ならん。努々吾此の意に背き悔ゆること莫れ耳。
一、 教王常住院(後宇多法皇が大覚寺に造る)を建立し学業を紹隆すべき縁起第四
右、當院は一宗の津梁、一寺の学場なり。始めは亀山院の別宮、御嵯峨院の草創なり。先皇昇霞の梵宇也。故に修善の處を得、愚資入真の浄場也。故に練行積功、去〇〇を當山に移して学場となす。長日不退・学業無倦なり。学侶数輩の鑽仰、懈ることなし。両三日荘園を施入して学徒の資援と為す。皆是恩所証果の良縁、宗徒成立の計略なり。慈氏下生、高祖共来の期に至る迄失墜すべからざるの旨、起請畢。定め置くところは学頭二人、学徒丗人の内、常住侶十六人、入学衆十四人。学頭は学業優長、宗旨邪僻なしをその器となす。常住は学衆の内、学頭に至って人の師となるべきの器を以て之に補す。
其の人なくんば暫く他人の稽古優長の輩を補せ、是人師と為ればなり。学衆は性操邪僻なく学功倦まずの人,之を補す。操行不調の者は聞見に随って之を退せ。
所学の書は、初・中・後分に之を別つ。金剛・胎蔵・声明等三業阿闍梨所学は各差等あり。委しくは別に之を注し太政官符に申す所也。後學に至っては(学ぶは)秘奥書也。機に随って聴許す。人師之を進止(止めたり進めたり)すべき耳。
一、 年分三業度人各一人を賜るべき縁起第五
高祖大師、弘仁承和に太政官符を賜る。三業度者各一人毎年之を得度す。守護国界主陀羅尼経、幷に六波羅蜜経及び大孔雀経を以て之を試度す。自餘の受學するところは具には彼の符に載せたり。
今當寺試験得度三箇年を迎ふる毎に三人之を度す。蓋しこれ学業成所業の為なり。其の学受する所の法教等は門資受法次第の條(第八條にあり)に載す耳。
一、 結縁灌頂の法を修すべき縁起第六
右、春花秋実の月を以て俗子真徒の族のために両部灌頂法を始置し(結縁灌頂を真俗問わず催す)、春は則ち五覚院(嵯峨院内に大師建立)の旧跡を排ひらき結縁無遮の大会を設け、秋は即ち大覚寺の道場に餝(かざり)受明学法の軌則を修す。伝持の嫡資、殊障無きものは必ず勤修すべし。敢て軽忽するなかれ。三業究学三年修練の人、灌頂法流に浴し、この小灌頂阿闍梨(結縁灌頂阿闍梨)を勤め、成立道(修行完成への道)を開くべし。
一、 観行を専らにし修練を積むべき縁起第七、
夫以、修行に二有り。一は理。二は事なり。事は則ち有相、理は則ち無相、有相・無相の法隔異するは是因海諸教の所談なり。即理即事の体、輪円するは果性真実の極説なり。然れば則ち理観無相、事法有相、皆是密号各字耳。真言行を修するものは若し常に字門不生の真理に遊ばずんばいかでか諸法の根源に達せんや。若し事業練行の薫習に励まずんば何ぞ利人悉地を成ぜんや。是を以て大日経三月持誦、六月成就(大日経「持明禁戒品」に「六月念誦成就」という成就法が簡潔に載っていてそれは、 a,va,ra,ha,kha の五字を観じて胎蔵五仏の悉地を成就するための秘法、とされる。現在では行われていない観想法)は並びに五字門諦理(a,va,ra,ha,khaの観想)を観じ、金剛頂の布字門作業(不明、金剛界念誦次第の成身観を指すか)は心身秘観を説く。行者留意し行力を得べし。
一、 顕密二戒を持すべき縁起第八、
右真言行者、結縁・伝法二機を有す。結縁は則ち重障鈍根を嫌はず、入壇投花し一印一明を受く。伝法は則ち勇鋭無惑、付法継脈、阿闍梨職位に登る。大毘盧遮那経疏に阿闍梨十徳、弟子十徳を出す。釈文明伯なり。然れば則ち結縁の人、堪ふるに従って少々戒を持し、宿善の為に三昧耶を受け伝法法将は乃ち人天の規範、国家の津梁也。故に内に秘密尸羅(戒)に住し、外に資作堅持を具す。戒行若し不全ならば世人信を生ぜず。三摩の警護是疎し。薩埵の密行を缺く故り。而に中葉以降上乗衰廃、悉地成就は古昔の如くならず。鎮國の功用先哲に比し難し。皆此れに由るなり。吾この風の将に堕さんとするを悲しみ内外に意を励ます。遺弟必ず吾願を継己。
一、門資に受法灌頂教学等の次第を定る縁起第九、
夫以、受法灌頂の道は護国利人の基なり。経軌設文・師承継脈あり。唐家には則ち高祖大師、留学の勅を奉じ海渡問津。永貞二年六月七月青龍寺和尚に遇ふ。学法灌頂に入り両部印明を受く。八月秘密灌頂壇場を開き伝法阿闍梨職位を受く。大師又曰く、「受明灌頂を受くること再三、阿闍梨位を受ること一度云々」。是その濫觴也。大日、金剛頂、瞿𨢸(くけい)等の經、多く灌頂種類を説くと雖も本朝師々古今行来は結縁・伝法二種を以て兼ねて傍正、深浅両機に用ふ。古くは則ち人利世朴、成立無滞。世は澆風に属し、人は学道に嬾す(らん・物憂い)。若し勧導分際無ければ受學の本志弁ずること少し。事相・教相の貫穿分を定め、初學の究達、麁精處を得る矣。童稚の間、悉曇字紀(「悉曇字記」は唐・智廣撰、悉曇の基本書)を読み、宜しく漢字反切(漢字の音を示すために用いられる表音法)、梵書転聲(梵語の格変化)を知る可。又般若心経秘鍵を習ひ、密教要旨を弁ず。是より先、俗典経史、文章體法粗以て学知すべし。凡そ成立の道は師主薦挙、門主処分に依る。當宗に賜へる度者官符に依る可。宜しく三業所学を所配すべし。金剛頂業の人は守護国界主陀羅尼経を習読し試経功遂げて得度せしむべし。得度の後、三月加行、その間春秋灌頂にあたり入壇受明訖り須らく十八契印を受け、然る後に初學金剛業書を学ぶ。其の書は則ち、金剛頂経開題、四種曼荼羅義、弁顕密教論等、竝是は高祖制作にして當業要枢也。学頭は三か月講釈し當業人は其の義訓を受けよ。初學書受習功終わり、夏秋孟中の月(四月と七月)、学場において試講す。その後九月以降三箇月加行、金剛界大法を受く。加行の間必ず當に灌頂入壇、学法阿闍梨と為るべし。然る後に宜しく其の儀軌を受くべし。當界初行七箇日勤修畢。一七日間結願すと雖も、三時に懈なかるべし。別尊に就くは宜しく行人の意に在る可。
翌年正月中学書を受學す。其の書則ち菩提心論(『金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論』禅定 による即身成仏を説く。真言宗では行者必須の論書とされる。)十八会指帰(金剛頂経瑜伽十八会指帰・不空作)、釈摩訶衍論(大乗起信論の注釈書)。竝是高祖の所謂真言所学なり(大師の「真言宗所学経律論目録」にあり)。前年の如く五月以降之を講試す。當業人と雖も兼ねて両部を受く者は私に師に随ひ重ねて加行せしめ、九月以後学場の暇に属し胎蔵大法を受傳せよ。灌頂のことは金剛界の如し。両部諸尊瑜伽、この間之を傳受宜し。
両部伝受し研学励志三箇年、蓮華峯十二僧(大覚寺塔頭・蓮華峯寺)に補す。練行積功、響谷感応、好相を得れば大阿闍梨鑒機に依り秘密壇場に入り、伝法阿闍梨職位を受く矣。金剛頂義決幷に理趣釈経に至っては後学書。学場講書に入らずと雖も、師に随って之を受けよ。聴受人は三人に過ぐべからず。秘奥の旨、容易ならざるが故なり。胎蔵行人は受明灌頂、十八契印、学法灌頂、大法伝受幷に初中後の学業、秘密灌頂、一千練行又前に同じ。一に金剛界業人の如し。其の書講肆(教師・高僧の講義)等の者は、般若心経秘鍵、大日経解題、秘蔵寶鑰、之を以て初学書となす。夏秋孟仲月に之を講じ、季秋幷に三冬月、之を試す。翌年春加行、四月受法、五月以降中学書・大日経住心品疏及び十住心論是成。九月及び三冬之を試講。翌年夏秋猶大日経住心品余、及び十住心論を聴く。中学書巻帙多し。延二年に及ぶ故也。歳暮に至り学業功終、翌年春練行を始め伝法灌頂に浴すべき矣。その旨金剛界業の人の如し。
声明業人は九月に始めて初學書を講ず、所謂悉曇字紀(「悉曇字記」唐の広智の著・大師請来)、聲字義、吽字義等也。十二月受學の功終る。翌年正月より四月に至り之を試講す。五月以降加行受法。若し金剛界大法先終の者は翌年胎蔵法を受け、正月以降加行、中学書は大悉曇章(大師著で16550字を列挙)、字母釈(梵字悉曇字母幷釈義・大師)、同九月以降聴講の功終わり即ち當年十二月丗日に至り試講の功終わる。明年正月十二僧に補し、練行を始む。冥感を得、灌頂に浴する者は法器。悉曇道に叶ふ者は伝法灌頂し、師の秘訣を受け血脈を継ぐ矣。後學書中秘蔵記は大師恵果和上口決也。師傳指南その旨深し。師の聴許に依り入壇後これを学す。瑜祇経(金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経・瑜祇灌頂の典拠)は秘奥の極底、三学書に入るを許さず。大阿闍梨は法機を量り宜しく之に授傳すべし。後資意を得、大師の大道を失墜する莫れ。謹んで師徳に報ず耳。凡そ今定所は専ら吾門資受學也。但し好学耽道の輩、此の旨を庶幾する者には聴許する所也。太政官符に申し三業を配す。他門徒は三年、三学業を終ば還って師の門室より放ちて密教を弘通せしめよ。必ずしも十二僧に補し練行を積ましむるの限りに非ず。他門の人、若し三学の業を歴ずと雖も十二僧に補して一千日の行を積まんことを望まば又之を聴すべし。
吾後生に至っては、行学必双、若し一道を経歴せば更に之を聴許すべからず。智愚勝劣ありといへども必ず之を相励せよ。行学兼備せざる者は吾本志に非ざる故なり。若し此の旨に背く者は永く吾後資に非ざる也。
一、 事相・教相・宗旨を明むるべき縁起第十、
右修学の道博しと雖も専ら事相と教相とにあり。教相則ち法佛直説之宗乗、事相即ち薩埵動作の業用、業用これ三密の内、身口二密を転ず。法体は暫く意密金剛に属す。是乃ち不二大乗、離機離教の法爾本分、あびらうんけん(梵字)六大體性是也。此の六大體性、有無に亘らず染浄を混へず。有無汚染、皆密号名字耳。身口二密は印契屈申等、言語音声真言陀羅尼文句不謬是也。悉地の成不は専ら事相真実に在り。業果結不は須く機教離絶による。近世の学者、六識純浄ならず、濫りに論教旨に執し、学解を尊び事行を賤しむ無智の行人、亦三学の研鑽を忘る。わずかに軌則を勤修せば戯哢(たわむれさえずる)の如し。彼是共に乖り。末資兼備矣。
一、 童子成立及び五悔等を習誦すべき縁起第十一、
右童稚の初、師主の室に入る以降已に生じて佛家にあり。豈に世俗意にあらんや。父母の宅を離れ容易に俗情に通ずることなかれ。高祖所告、赤子を収養し世俗噪意を離れよ、とはこの意矣。先に俗教を教へ、次に悉曇字母、内典要文を暗誦。外教は則ち千字文、百詠(唐の「李嶠百詠」のことか)、蒙求、和漢朗詠。世俗の常に幼学に充る所也。其の後、一史、一経、文選、必ず之を学習すべきなり。文章を知んがためには連句賦詩尤も要枢となす。身器小成して出家得度す、十三歳を以て其の期となす。遅きと雖も十五・六歳を過ること莫れ而己。入室後習得に随て毎日、食堂五悔、高祖遺言に任す(大師御遺告に『一、食堂の佛前に大阿闍梨并びに二十四の僧の童子等を召し侍はしめて、五悔を習誦せしむべき縁起第七。右、大唐青龍寺例を案ずるに、宗徒大阿闍梨之童子并に諸名徳達之童子等を食堂に會集せしめて、僧達一人、童達一人、共に五悔を習學せしめて毎夜現して槧(ふだ)にす(木札で出欠をとる)。即ち大衆所得十分之一を闕いて、諸童子等の紙墨料に充て行ふ。彼を案じて此れを示すのみ。但し遂に成り出ずべからざん者は寺内に常住すと雖も更に强て喚びて此の庭に列せしむべからず。器を見、品を惟うて之を催すべし。亦た九方便(胎蔵法にあり)をば大阿闍梨の前において諸徳弟子之内堪能之僧等を召集して、毎夕習誦せしむべし。昔、大師阿闍梨耶(恵果)曰く、「准だ 諸護法天神の法味を飡受して、乍ち場等を守護する者なり。彼に准じて此れを示す。他事に遑して自ら駐むること莫れ。」』)。
懈莫れ。諸院諸房法器あれば必ず之を列せよ。衣服節素、華麗を好むべからず。麁絹橦華を以て常服となし亦毎夕諸徳弟子堪器の者、九方便を誦すべし。大師遺訓に依りて年来習誦せしむる所也。専ら護法諸神法味の為懈怠すること莫耳。
一、 禁遏(きんあつ)すべき條事の縁起第十二、
右真言を修する行人、始め佛家に入るより殊に誘引、入真方便に廻入すべし。故に幼稚の人、少知なりと雖も分に随って真俗の教文を励教すべし、何ぞ暇放逸を許さんや。蹴鞠、射弓の遊、勝負、歌舞之舞、近代粗其の跡あり。當門室幼弟に於いては固く此のことを禁ず。況哉釈門に入て後、法家不罪の文有と雖も琴碁猶之を聴さず。高祖誡有る故也。飲酒に至りては高祖長阿含六種、智度三十五過等を引き深く秘密の徒を誡しむ。若し必用あらば外より不瓶の器を入れ、茶をそえて秘用云々。是れ疾病修学不退の為なり。宜しく本志を弁知し方に依って薬酒を用ふるべき而己。詩歌管弦の芸に至っては若輩寺外に於いては之を聴す。文章は教文の助となり、管弦は声明の媒と為る故なり。僧徒に於いては楽器を携へる類あらず。是童稚の謂なり(童子の役目)。詩歌は古の聖賢、篇什(詩集)の跡無きことも非ず。但だ好、此の事嗜みて学行の暇を失ふは甚だ以て無益矣。抑々世間車馬の見物、更に緇徒に益なし。固より之を禁ず。凡そ朝廷護持仏法紹隆に非ざる者は無要にして俗人と交るべからず。況や男女雑住の
宅容易に宿住する莫れ矣。
一、 冥鑒を探じ貴賤の祈祷を致すべき縁起第十三、
夫以、加持の妙用は成就を㝡と為す。祈祷可否、邪正区分、護国利人、遮悪修善、之を以て正道となす。人を損じ物を害す、之を以て邪径となす。所謂四種五種の法、悉地数あり、就中調伏法は浅智の行人の深く慎むべき所也。貴賤の間、縦へ示望の所ありといえども必ず事の是非を察し、冥の加被を探れ。阿闍梨は深智を以て之を決定すべし。若し非理に與する事あらば忽に法流滅亡すべし。阿闍梨くわしく之を思慮し縦へ損壊降伏法にあらざれども若し私情を挿み自ら人の好悪に亘り護国の本誓にあらざれば高祖の素意を深察し伝持の法命を護るべし。
一、 定め置くところの追福等懈慢すべからざる縁起第十四、
右、當寺は愚老修道の初。多く亡霊の追福等を定め置く。所謂後嵯峨、亀山、後二条先帝、慈母京極院、遊義門院(後宇多天皇妃・遊義門院が亡くなったことが契機で後宇多上皇は仁和寺で落飾)、談天門院(後宇多天皇の後宮)、京極准三宮(後宇多法皇の祖父・後嵯峨天皇妃)等なり。幷に遺領等を以て法流伝持資縁と為。追賁(ついひ・追善)法事多く定め置く所、一事も遺失する莫れ。時移り世変り若し墜失あらば甚だ吾恨みと為す。末資忘脱すること莫れ矣。
一蓮華峯寺を建立する縁起第十五、(後宇多法皇は大覚寺境内に、蓮華峯寺を創建、寺内に八角御堂を建立して、五輪塔を建て、四隅の塔に、父亀山天皇、母京極院、皇后遊義門院、皇子後二条天皇の分骨を納め、堂内の中央の五輪塔を自分の陵と定めた。)
右、當山に甲区あり(特別の處あり)。八角円堂を立て五智輪円を安ず。初めに山中を暦覧し忽ちに此處を卜す。草菜を芟夷(さんい・除草)し土壌を平坦にするに数多の銅銭あり、銘して曰く延喜通宝(10世紀はじめに鋳造された通貨)と。又瓶橛等の道具多く之を得る。是古昔仏閣の霊跡と知る也。安置為体は円堂中に順逆五輪石塔を起こし、地輪の両際に五円を彫り、その中心に我屍骨を安ずべし。四方円中、亀山院、京極院、御二條院、遊義門院、この四骨之を安じ永く無上菩提、究竟霊峰と為せ。勤行等は定め置く所也。凡そ當寺の体は理趣経を以て法体法然冥合、この峰に八葉山あり、教王院後山は五峰杵形を表す。高野は相応経を以て彼の山を習ふ。東寺は仁王経を以て其の寺を建つ。吾今當山に入り當寺を卜し、五瑜伽法門(瑜祇経に「仏を五瑜伽と名く」)に冥会す。誠に是不思議大因縁の者乎。當山勤行、永く退転無かれ。遥かに慈氏の下生を期し、ひそかに高祖再来を待つ。法身常恒の説法に准じ、理趣不断の転読を致す。仍って十二口常住の浄侶を置き永く十二時結番の転経を置く。一食長斎(いちじきじょうさい.・正午前に一日一回だけ食事)となし、三時に秘法を修す。其の浄侶の為体、事理観行を修す。顕密戒法を持し、永く名刹を離る。官職を望む莫れ。但し法器にして護国に堪ふれば弘法利人の為に當山を出て聖朝を護れ。之を聴す。禁ずること莫れ。密教の本懐は護国利人にある故也。
将に亦、功成り身退く。老をこの山に養はんと欲す。報恩謝徳、我墳に卜居之輩、宜しく此の浄侶と交り、修練を致し帰真の計略を廻す耳。常住侶十二口の内、六人は其の器を択定し、容易に替ふる事莫れ。六人は初心休退の輩、随時に之を出入す。三学終功の人、年際之後當門室の人、必ず三箇年練行を致し遠くは高祖遺訓を守り近くは愚老の本懐を失する莫れ。
一、 南山幷に宀一山(べんいちさん・室生寺)を崇重すべき縁起第十六、
右、彼山は高祖肉身を留むるの地、慈氏浄刹を卜すの庭也。先年面参宿して霊異を拝し渇仰し肝に銘ず。此處動もすれば兵杖を携へ学業を閣くと耳目に触るる所也。尤高祖の神襟を悩す。末資殊に帰敬を致し興隆の志を抽じ報恩を為耳。宀一山(べんいちさん・室生寺)とは土心建立(大師の高弟・堅恵が建立)、密家の肝岫(かんしゅう)也。吾願いの為に一の律比丘あり。灌頂堂を建立す(後宇多法皇帰依の唐招提寺出身の律僧・忍空の建立)。末資亦吾志を継ぎ誠を致して之を興隆せよ。この外高祖聖跡、力に随って之を興復すべし。
一、 教王護国寺相承座主職を興隆すべき縁起第十七、
右の寺、高祖大師弘仁皇帝より勅賜奉って以降、鎮護国家の霊場當伽藍に如くは無し。而して世衰へ法廃し中葉には荒弊す。再興(平安末期に文覚・宣陽門院等により再興)以後當寺玉甍全に似たり。唯歎く所は人法微弱也。仍って両三荘園を施入し、微力を加ると雖も猶その功少なし。竝に是、相伝するところの領地之を永代寄付す。短毫(つたない筆)を染め子細を勒す。失墜すべからずの由明白なり。抑頃年東大寺癡僧あり。遺告文書を謀作し吾寺を末寺と称す。剰へ受戒を抑留す。愚頑之謬是非に足らず。暗代雇主の為に正しく道理を決し太政官符に申下さる所也。抑當寺の座主職は高祖曰く唐法に准じ座主號を奏聞せんと欲す。先々思ふと雖も入山の間、既に忘脱され、未だこの事を遂げず。須く諸弟子等必ずこの事を遂ぐべし。皆是不要言有るに非ず。併て令法久住の謀己。我後の資、期を難勿れ耳云々。而して此の事、星霜を経るとも果遂の人なし。吾伝法の日、勧賞と為して前大僧正を以て補任畢ぬ。必吾門資、傳ふべからずと雖も當寺紹隆の為、前大僧正万歳の後、奏聞せしめて後資に相伝せしめんと欲す者也。
一、 善通・曼荼羅両寺及び誕生院を興隆すべき縁起第十八、
右、四州広しと雖も密機は日本に在り。諸国多しと雖も高祖讃州に生れたり。所謂玉藻帰する所の島、櫲樟(くす)蔽日の浦是也。(三教指帰に「刹那、幻の如くに南閻浮提の陽谷、輪王所化の下、玉藻帰る所の島、櫲樟日を蔽すの浦に住し・・」)此の両寺は父母の為に建立の精舎也。大師造りて今に遺る。一院は高祖誕生の地故に此の號を得る。甘露餘潤に沐すの人、誰か帰仰せざらんや。是を以て愚資、我寶聖人(西明寺の学僧・後宇多法皇の帰依を受け槇尾山内に平等心王院を建立。臨終には法皇の臨幸を受け密印を伝授したといわれる。)勧誘に依り、之を興隆す。教法を弘通し続くに遺弟を以て其の願を果さしめんと欲す。此寺元是国衙(律令制下における諸国の政庁)進士の為に郷保(郷と保。ともに国衙領の末端の行政区画。荘園などの私領に対する公領の地域を指す)を拝領し、租税に疲る。深厳僧正(隋心院初代門跡親厳のことか)選位之時、聖跡巡拝の時、寺僧等これを寄付せり。彼の遺弟両三代執務、興隆に及ばず。徒に地理を貪る。仍て當国分国、便ち我寶聖人(『金剛峯寺諸院家析負輯』巻四(定光院の条項)に「自性上人、諱は我寶。後宇多帝之御宇、住當院專爲三密持念之道場。瑜伽行業厥德難測。後移住洛西槇尾山。著述之畫數部深述密敎奥旨竝行于世矣」)の勧に依り先ず国衙進士となし、後に別して隆計を廻紹す。国衙煩費を避け、多度一郡を以て割分して大覚寺領と為す。彼の門弟末代、恡望断ずる為に荘園を以て相伝する所也。此の郡を以て寺領となし、報恩の志その地に芳しき故なり。彼の寺の敷地、進止処所等、彼資更に妨げを成すべからず。興隆を以て先と為し、教法相続、堂舎修治是吾願耳。
一、 俗人等の受法、容易に聴許すべからざる縁起第十九、
夫以、秘密真言道は最極秘法也。伝授阿闍梨、近世は澆薄、多くは秘密法を以て非器人及び無智の遁世僧に聴許す。彼等浅近小慈に住し秘教を以て容易に俗人に授く。深く慎むべき所也。俗人伝授の分際は結縁灌頂に浴せしめ十六道、一尊法を聴すべし。両部大法に到りては固くこれを禁ず。若しこの教えに於いて有志の人、一尊法を持し理観等を修し、印明等を結誦し、未来流伝の大願を発すべし。宿縁純熟の者は此教の法器となるべし。當生悉地に於いては、一尊一明も証道径路、何不足あらんや。
一、 伝法灌頂阿闍梨は一人を定むべき縁起第二十、
夫れ秘密灌頂とは遮那の肝心薩埵の腦膽なり。若し非器に授けば出血罪を得る。附法内源底を極た人を以て門資師位正嫡と為す。自ら授せぬ輩には、此の人を用ふ。鑒機
好相を求むること具載には門資受法條に在り。若し傍傳他流別授を欲せば嫡資聴許を蒙るべし。但し年歯六十以降之を免許すべし。努々此の條を軽んずる莫れ耳。
一、 龍華院の勤行、報思の誠を致すべき縁起第二十一
右當院は前大僧正常に居住の為修営する所也。初は左大臣隆忠公草庵、傍所作所屋、一宇桜樹西北に相残す。今の御影堂辺なり。愚資入真の初、練行の處、摂静堂と号す。毎年安居砌也。頃年彼屋を以て移造、前大僧正居住の処と為す。重ねて他屋を以て移加し一院を営む。都率他天、高祖託生土を表す為、號して龍華院と曰ふ。前大僧正、愚老影共同して此院に安ず。その意は師資宿契、定んで一両度に非ず。内院に共に生ずること更に疑惑なし。彼の土の規則を表し一院に両影を安じ永く勤行等を置く。同じく無上菩提を廻らす。定め置く所の三時の護摩、朝夕の理趣、礼懺、不断五字明等是也。後資、白屍報恩を存念せば丹心を緩る莫れ。懈怠の嫡資は常に胸臆に係け、宜しく勤否を尋知しらしむべき矣。抑々前大僧正賜ふ所の道具・念珠・茶器垸等、一期散逸せず、遂に影前に置く。後資、師の厚恩芳く此物を見ること我が顔を見る如くせよ而己。
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