第三十番 ふかたに瑞龍山寶雲寺。御堂五間四面南向。
本尊如意輪觀音 座像御長一尺二寸(36cm) 唐佛
當山深谷は如意輪有縁の霊場、徃古より三十四所の霊地の中に、三十番と定て巡禮の輩拜し奉る處の梵刹也。然れども本尊はいまだ何れと定奉りし事もなかりしにや、星霜遙に後れて、人皇九十五代後醍醐天皇元應元年己未(1319)建長寺の道隠禪師、本尊を異邦より将來して當山に安置し給ひ、自も此地に閑居し給ふ。是より永く此地の本尊、如意輪の威力を東關三十二州に加へ、十九説法(妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五で、観世音菩薩は三十三身に姿を変えて衆生のために説法し、その説法の数は十九回とされる)の春の花無刹上現の薗に開く。 されば影森の本尊大師彫刻の後光佛にも、數百歳以前に此の尊の御影も刻給ひし上は、因縁に任て本尊出現の時節遅速をなじからずと雖も、利益は平等にして甲乙有に非。抑如意輪觀音は六觀音の惣體として天道の化主也。本尊の文に云く、「若我誓願大悲の中に、一人として二世の願を成ぜずんば我虚妄罪渦の中に堕て、本覺に還らずして大悲を捨ん」と有(古来、如意輪経に在りと言われ多くの石碑にも刻まれるが出典不明)、信心の男女仰で恭禮し奉るべし。昔此本尊、未異國よ り渡らせ給はざる頃、尾州熱田の社人何某霊夢の事ありて、遙に此深谷の霊場に尋來て里人の語て云、 下官は是熱田の神職也、去頃拜殿に通夜せし處に、其姿異國の官女と覺しくみやびやか成女來て、一面の鏡を以て予に與へ、汝此鏡を以て武蔵國秩父郡深谷と云處に至て奉納すべし、彼地は如意輪の霊地に して後年必佛法流布の地とならんと、亦内陣の方へ行よと見へて夢さめて、あたりを見れば此霊鏡有、 取て見れば鏡中の官女が姿あらはれ、夢中にまみへし面影のもの不云笑すのみ也。吾其霊夢にまかせ遠く此處に來りて霊鏡を納んと欲す、何處にか奉紊せんと問ふ。里人の曰、此地はさる子細有て、足下の夢相に不違如意輪觀音の霊地にして三十四所の一つながら、未本尊とてもましまさず 只巡禮の拜禮の為に僅成艸庵有のみ、然れども假初ならぬ夢の告にて遙々と此處迄來り給ふ、此艸庵に納させ給へ、 此處幾程なく必本尊も現來し給ふべし、未因縁時至らで如此疑なく某に與へ給へと云ふに任、社人は霊鏡を翁に授て本國尾州に立皈りぬ。斯て後、元應元年鎌倉建長寺の道隠禪師、當山の風景閑居の地とするに堪たりと聞給ひて其鏡を見給ふに、聞しは物の數ならで甚其心も叶給へば、先其地の因縁を尋ばやと思給ひ、里人や有と呼給ふ。言下に一老人鳩の杖にすがり、鶏皮鶴髪たるがよろぼひ出、禪師を拜して吾れ久しく禪師の此處に來り給ふを待、師将來し給ふ處の霊像を以て當山に安置し給、數百年前よ り此地必ず如意輪の霊場たらんと、弘法大師の懺文疑ふべからず、吾此山に住て本尊現來の時節に遇はんと欲する故は、其住昔尾州熱田の神官何某に一の霊鏡を預り置く、是則将來し給ふ本尊に離れがたき因縁有、必ず霊像の後光とし給へ、其亦霊像を拝して後、禪師の教諭に依て解脱を得んと欲す、乞早く本尊を此處に将來し給へと、件の霊鏡を禪師に捧て去ぬ。禪師感歎し給ひ、急ぎ此地の艸庵を新に一宇の 梵刹とし、異邦より将來し給ふ處の如意輪の聖容を本尊とし給へば、郡中の僧俗他邦の男女羣集して拜し奉る。時に以前の老翁亦來て禪師を拜し本尊を恭敬して、参詣の男女に将して示て曰、抑此本尊は唐朝 第七主玄宗皇帝、貴妃冥福を助んため自ら彫刻ましまして、不空三蔵に開眼の加持を為しめ給ふ霊像也、 禪師此像の民間に有て其縁起も定かならねど、尋常の佛にあらずと遙に萬里の波を凌て日本に尋來し給ふ。此地徃古より巡禮の道場なれども、本尊未ましまさゞりしは今日の現來を期しつる故也。此翁が言 を疑はで能々語傳へよ、吾、是數千歳此深谷に潜り往る非法行の龍也、此所如意輪の霊場たらんと、弘法大師封じさせ給ひて後、三十四所の巡禮觀音の御名を唱へ拜し奉るを見て、忽然と善心を發し、参詣の男女を守護し、法行の龍王の部類と成ぬ。是より通力自在を得て未來の吉凶、世間の変化掌を見るが 如し。吾そのかみ里人と化して熱田の神人を攝待し、霊鏡を受取、是則揚大眞(楊貴妃の道号が太真)が持たりし鑑なれば、是を以て本尊の後光にすべしと、兼て禪師に現し奉ぬ。時これ初秋に至れども旱して民苦む、吾只今法施 として大寶雲を起し、大香雨を降て五穀成就せしめん、人々吾本體を顕すとも必怖るゝ事なかれと、禪師に向て吾今大雨を降して後、此地に龍の皮骨を止め、解脱して天上に生れんと云かと思えば、雲走て飛ぶ如、翁の所在を失ふ處に、雲中に龍體を顕す。僅に數尺を露と雖も、背螺青を抹し腹珠白閃、矯々盤々、滃雲(おううん雲が沸き上がるさま)捲雨電光輝わたり、田野悉く潤ひ民鼓腹して歡喜す。雨止て庭中に龍骨を得たり。禪師是を收て當山の寶物とす。是より永く當山に禪師を以て開祖と仰ぎ、将來の如意輪を本尊と崇奉る寺を瑞龍山寶雲寺と號するも、龍の言葉によれる者也。以上。
當山奥の院に霊境あり、巡禮の人必ず至て拝すべし。静観按ずるに、當山宗圓叟の假名縁起に法雲寺と有、然れども今此圓宗の著述の縁起に寶の字を用られしは、編中に大寶雲を起し大香雨を降す事有に依てなるべし。其理有。地蔵十輪経の序品に大妙殊麗寶雲あり(大乘大集地藏十輪經序品第一「爾時南方大香雲來雨大香雨。大花雲來雨大花雨。大妙殊麗寳飾雲來。雨大殊麗妙寳飾雨。大妙鮮潔衣服雲來。雨大鮮潔妙衣服雨」。)、是を據とせしにや。亦法行非法行の龍の事、は所謂七頭龍王、象面龍王、婆修吉龍王、得叉迦龍王、跋陀羅龍王、盧醯多龍王、鉢摩梯龍王、雲鬘龍王、阿跋多龍王、鉢婆呵龍王也。此等の龍王は過古に人たりし時、布施を行ずれども心清浄ならず、瞋恚の故に此中に生じ了て、瞋恚薄らぎ福徳を憶念するが故に熱砂を雨苦なし、善心あるが故に時に須して雨を降し五穀を成熟せしめ、三寶を信敬し佛舎利を護、亦非法行の龍は婆羅摩梯龍王、毗諶林婆龍王等也。此等の龍王は閻浮提に於いて悪雲雨を起し、其雨のふる處氣水に入り、五穀を損じ人をして短命ならしみむ、娑婆世界の衆生父母に不孝にし沙門婆羅門に敬せざれば、悪雲力を得て、悪風を起し人民を害すと云へり(以上正法念珠經にあり)。衆生亦三福を修し、第一に父母に孝を盡せば悪龍必ず退き、法行の龍大力を増長して風雨時に順ひ五穀成就すと也。今此龍始は非法行の悪龍の部類たりしが、當山観音に値遇し、善縁に引れて法行龍王の部類と成しか。龍王の事、長阿含經、正法念處經、海龍王經、大雲請雨經等に詳也。鏡を以後光とせしは、金剛頂経に鏡は観音の三摩耶形成とあるによくかなひたり。(金剛峯樓閣一切瑜伽瑜祇經序品第一「時觀自在菩薩。以手中鏡擲於虚空」。)當山の詠歌に云く。
「一心に 南無観世音と唱ふれば 慈悲深谷のちかひ 頼もし」
此詠註するに及ばず能聞へたり。唯一向に御名を唱へよ、本尊の誓は深事千丈の谷の如しと云へり。此一心稱名の義に付て、法花経秘畧要抄の第七に問答あり、今暫く其要をあぐ、一心稱名とは佗念なく其心決定皈依して、南無観世音菩薩と唱るを云。散心にして世話をまじへて唱るは、たとひ年月を重ねて唱ども其功不可有と。以上取意。(浄厳の妙法蓮華経秘略要鈔に「一心稱名」は修慧なり。然るに一心に二種あり。念念相続して更に餘を念ぜざるは事の一心なり。一心深く實相の理に入て能帰依能稱の我も、所稱の名號も、所帰依の観音、皆是平等法界にして不可得なりと見るは、理の一心稱名なり。此の事理両種の一心を離て散乱の心の中に唱へ、或は世話を交へて唱るは縦使年月を歴るとも其功あるべからざるや。答、其功なしと云は決定して所願を成就することなしと云事なり。其心一向決定せざるを以て其益も決定せざるなり。されども散心の称名も冥勲密益して後日の為の基と成るなり。喩ば九仞假山を造るに最後の一簣を加る時の為には成るが如し。
問、「一心稱名」とは必ず名号を唱ふるに局るべしや。又読経誦呪にも遍ずべしや。答、今は観世音の得名を問に就ての答説なるが故に且く稱名と云。されども已に世の音を観ずと云。世の人の観音に帰依する音、何ぞ必ずしも稱名に限らん。今の經を讀む時は、其の功徳利益を知るが故に帰依の心いよいよ深し。この尊の真言は又観世音内證三摩地を彰すが故に、其の真言の一々の文字直に是観世音の自體なり。理観啓白(弘法大師の造)に我が口輪より出る一一の文字、金色の佛と成ると釋し玉ふ是なり。故に其の功、稱名に勝れたる事百千萬倍せり。又次に字義門に約して「おんあろりきゃそわか(梵字)」(諸の観音に通ずる真言)の真言を云ば、先ず「おん(梵字)」の字は諸法流注不可得の義とて、諸法の本来不生不滅なる實義を説く真言なり。次に「あ(梵字)」字は諸法本不生の義とて、諸法本来有にして今生ずるにあらざる義を説く真言なり。故に壽量の久遠成道無差の三身も唯「おん・あ(梵字)」の二字に収れり。次に「ろ」字は諸法無塵垢の義とて、諸法本来清浄にして、煩悩の塵汗を離れたる實義を説く。故に観音の大悲無染の蓮華三昧此の一字に収れり。次に「り(梵字)」字は、諸法相不可得とて、諸法の相皆真實なれば一相として簡取るべからず、又一相として簡捨べからざる實義を説く。故に普門示現の無量の身相唯此一字に収まれり。次に「きゃ(梵字)」字は諸法不可得とて一切の法、能作所作を離れて自天而然なる實義なり。故に普門示現の三業の所作任運に施して利益する効能唯此の一字にあり。次に「そは(梵字)」字は諸法平等無言説の義とて、一切の法、圓融自在にして一即一切、一切即一なれば、自とも他とも、彼とも此とも説くべからず。善悪邪正是非取捨等の一切の二邊の言説、都て関渉することなき實義を説く真言なり。次に「か(梵字)」字は諸法因縁業果不可得の義とて、諸法本有にして、因果を離れたる義を説く真言なり。故に此の七字の真言は一一の字皆最勝最上の佛知見を説て。然も又各の諸法を圓備せり。知るべし或は口に唱へ、或は心に観ずるに其の功廣大にして、比類すべきこと無きことを。」)誠にしか也。當時観世音を念ずと、自も思ひ人目にも信心者と見ゆる人の、或は災難に逢或は難病に遭は、必ず其人の平生の信心散亂の心を以て祈るが故也。凡諸佛諸神の霊験諸書に記す處を見に、當時の衆生曽て左の如き霊験有事まれなり。散亂の心成が故と知て早く心を改めば、菩薩の利生何ぞ古今の不同有んや。
亦曰、此段に引處の法花経秘略要鈔は浄厳和尚の製作にして、観世音の名義乃至普門品の注釋、其詳成事佗の書に類すべきものなし。普門品の註解第七巻より第九巻に至る、観音の信ぜん人は必ず讀むべし。得益はかりがたかるべし。已上。