福聚講通信「矛盾論」
矛盾論①
1.同名タイトルの書きものは毛沢東により1930年代に書かれている。学生時代読んだ記憶があるが、哲学書というよりプロパガンダの書というのが印象だったように思う。マルクスの唯物論的弁証法の毛沢東的解釈とその上に乗った革命行動の指南書として私の中ではおさまっている。「ものごと全ては矛盾をはらむ時に動く」と述べていたように記憶しており、当時もそして今もこの寸言は私の胸を射抜く。これから始まる論考を新しいメディア媒体と考える福聚講に福聚講通信として連載したい。まず最初に皆様のお許しをいただきたく思います。
2.高原導師からのおさそいということもありましたが、この論考のきっかけとなったのは導師を含む畏友4人組の中のリーダー的存在だった楠本洋二の死であった。昨年暮以来まさに「矛盾」の実相として彼の死が私の中で重い。その「矛盾」解消(解決ではない。この違いは次回に触れる)のためにこの論を起こすことを決意した。極めて私的なところからの出発である。その点も福聚講の皆様にお断りしお見苦しき点をお許しいただきたく思います。
3.導師には以前、科学者としての立場から科学、哲学、宗教を貫く何かについて書いてみたいと申し上げた。一人を欠いた4人組の各人の職業基盤でもあるこの3者の人間的営みを自分の中で矛盾なくおさめたいという個人的欲求も大きい。そして3者を貫くものをどこに求めたら良いか、一月半ほど煩悶した後、実はこの3者が相互排除的で同時に存在し得ない、すなわち矛盾をはらむことに思いたった。しかも2重の意味で矛盾であるように見える。「3者を貫こうとすると矛盾が生まれる」そして「矛盾故に貫こうとする(動く)」。ここがこの論考の原点である。
4.極めて困難な課題で私の手に余ることは明白である。そこでこの論考は一人私の問題にとどめず、福聚構読者の皆様と共に考えて行く体裁を取りたい。そのために基礎資料を共通化すべく全ての通信において皆様に入手可能な文献を示し、その文献が提起する課題を読み解きかつ論じたい。でき得れば共通資料につきこの通信を通じて読者間に対話の生まれることを期したい。哲学者ソクラテスがとった方法「アイロニー(矛盾)と産婆術(解消)としての対話」を期したい。
5.独断と偏見を恐れずに要約すれば、科学は自然を無矛盾の体系として再構成する知的営為、哲学は矛盾的存在としての「私(己自身、人間自身)」を知る営為、そして宗教は「起超的存在(超我、無我、無私)」を感じる営為である。いずれも矛盾がキーワードである。では矛盾とはなにか。次回は「科学とはなにか」を論じる中で矛盾とはなにかにつき考えたい。基礎資料は以下を用いるので、是非一読をおすすめする。
市川惇信、「科学が進化する5つの条件」、岩波書店(2008)
永山國昭 (Phd,自然科学研究機構岡崎統合バイオサイエンスセンター教授兼生理学研究所教授)(2009年4月27日)」
矛盾論①
1.同名タイトルの書きものは毛沢東により1930年代に書かれている。学生時代読んだ記憶があるが、哲学書というよりプロパガンダの書というのが印象だったように思う。マルクスの唯物論的弁証法の毛沢東的解釈とその上に乗った革命行動の指南書として私の中ではおさまっている。「ものごと全ては矛盾をはらむ時に動く」と述べていたように記憶しており、当時もそして今もこの寸言は私の胸を射抜く。これから始まる論考を新しいメディア媒体と考える福聚講に福聚講通信として連載したい。まず最初に皆様のお許しをいただきたく思います。
2.高原導師からのおさそいということもありましたが、この論考のきっかけとなったのは導師を含む畏友4人組の中のリーダー的存在だった楠本洋二の死であった。昨年暮以来まさに「矛盾」の実相として彼の死が私の中で重い。その「矛盾」解消(解決ではない。この違いは次回に触れる)のためにこの論を起こすことを決意した。極めて私的なところからの出発である。その点も福聚講の皆様にお断りしお見苦しき点をお許しいただきたく思います。
3.導師には以前、科学者としての立場から科学、哲学、宗教を貫く何かについて書いてみたいと申し上げた。一人を欠いた4人組の各人の職業基盤でもあるこの3者の人間的営みを自分の中で矛盾なくおさめたいという個人的欲求も大きい。そして3者を貫くものをどこに求めたら良いか、一月半ほど煩悶した後、実はこの3者が相互排除的で同時に存在し得ない、すなわち矛盾をはらむことに思いたった。しかも2重の意味で矛盾であるように見える。「3者を貫こうとすると矛盾が生まれる」そして「矛盾故に貫こうとする(動く)」。ここがこの論考の原点である。
4.極めて困難な課題で私の手に余ることは明白である。そこでこの論考は一人私の問題にとどめず、福聚構読者の皆様と共に考えて行く体裁を取りたい。そのために基礎資料を共通化すべく全ての通信において皆様に入手可能な文献を示し、その文献が提起する課題を読み解きかつ論じたい。でき得れば共通資料につきこの通信を通じて読者間に対話の生まれることを期したい。哲学者ソクラテスがとった方法「アイロニー(矛盾)と産婆術(解消)としての対話」を期したい。
5.独断と偏見を恐れずに要約すれば、科学は自然を無矛盾の体系として再構成する知的営為、哲学は矛盾的存在としての「私(己自身、人間自身)」を知る営為、そして宗教は「起超的存在(超我、無我、無私)」を感じる営為である。いずれも矛盾がキーワードである。では矛盾とはなにか。次回は「科学とはなにか」を論じる中で矛盾とはなにかにつき考えたい。基礎資料は以下を用いるので、是非一読をおすすめする。
市川惇信、「科学が進化する5つの条件」、岩波書店(2008)
永山國昭 (Phd,自然科学研究機構岡崎統合バイオサイエンスセンター教授兼生理学研究所教授)(2009年4月27日)」