『類聚国史』に若狭比古神が神身離脱して若狭比古神願寺を創建された由来が書れています。いまも若狭神宮寺として残っています。
『類聚国史』・天長六年(829)三月乙未(16日)条
「若狭国比古神。私朝臣宅継を以て神主と為す。宅継辞云。古記を拠検するに、養老年中、疫癘屡発し病死者衆し。水旱時を失し年穀稔らず。宅継の曽祖赤麿、仏道に帰心し深山に身を練る。大神之を感じ、人に化して語りて宣く「此地は是れ吾が住処なり。我神身を禀け苦悩甚深なり。仏法に帰依し以って神道を免れんと思へども、斯願果たすことなく災害を致すのみ。汝能く吾が為に修行せよ。」赤麿即ち道場を建て仏像を造り、号して神願寺と曰ひ、大神の為に修行す。厥後年穀豊登。人夭死する無し云々。」