華厳経巻第六菩薩明難品第六「
問う。如来の福田は一つなのにどうして布施の果報はいろいろ違って出るのですか?
答え。それは、大地が一つでもいろいろ違った種類の芽を出したり、水も一つでもいろいろ器により違った姿をあらわしたり、鏡も目の前に来るものによって映る者が違ったりするようなものです・・・」
「原文。・・
爾時文殊師利。目首菩薩に問うて言く。『佛子。如來の福田は等一にして無異なるに云何んが布施の果報は不同にして種種の色、種種の性。種種の家、種種の根、種種の財、種種の奇特、種種の眷屬、種種の自在、種種の功徳、種種の慧あるや。如來は平等にして怨親有ること無きに』。
爾時目首菩薩。偈を以て答へて曰く、
『譬へば大地は一なるに 能く種種の芽を生じ、
彼において怨親なきがごとく、 佛の福田も亦た然なり。
譬へば水は一味なれども 器によるがゆえに不同なるが如く、
諸佛の福田も一なるも 衆生の故に異なる有り。
譬へば大幻師の 能く衆をして歡喜せしむるが如く、
諸佛の聖福田も 願に随って欣悦せしむなり。
譬へば辯才王(弁天様)の 能く衆をして歡喜せしむるがごとく、
諸佛の聖福田も 衆生をして悦樂せしむ。
譬へば明淨鏡の 對するに随ひて衆像を現ずるがごとく、
諸佛の聖福田も 衆生の故に異なるあり。
譬へば大藥王の 一切毒を消滅するがごとく、
諸佛の聖福田も 能く煩惱患を滅す。
譬へば日出る時は 能く一切闇を除くがごとく、
諸佛の聖福田も 普く十方界を照す。
譬へば淨滿月の 普く四天下を照らすごとく、
諸佛の聖福田も 平等にして偏黨無し。
譬へば毘嵐風(猛風)の 一切地を震動するがごとく、
諸佛の聖福田も 能く三界の有を動ず。
譬へば火劫起って 天地燒かざるなきがごとく
諸佛の聖福田も 能く一切有を焼く。」
問う。如来の福田は一つなのにどうして布施の果報はいろいろ違って出るのですか?
答え。それは、大地が一つでもいろいろ違った種類の芽を出したり、水も一つでもいろいろ器により違った姿をあらわしたり、鏡も目の前に来るものによって映る者が違ったりするようなものです・・・」
「原文。・・
爾時文殊師利。目首菩薩に問うて言く。『佛子。如來の福田は等一にして無異なるに云何んが布施の果報は不同にして種種の色、種種の性。種種の家、種種の根、種種の財、種種の奇特、種種の眷屬、種種の自在、種種の功徳、種種の慧あるや。如來は平等にして怨親有ること無きに』。
爾時目首菩薩。偈を以て答へて曰く、
『譬へば大地は一なるに 能く種種の芽を生じ、
彼において怨親なきがごとく、 佛の福田も亦た然なり。
譬へば水は一味なれども 器によるがゆえに不同なるが如く、
諸佛の福田も一なるも 衆生の故に異なる有り。
譬へば大幻師の 能く衆をして歡喜せしむるが如く、
諸佛の聖福田も 願に随って欣悦せしむなり。
譬へば辯才王(弁天様)の 能く衆をして歡喜せしむるがごとく、
諸佛の聖福田も 衆生をして悦樂せしむ。
譬へば明淨鏡の 對するに随ひて衆像を現ずるがごとく、
諸佛の聖福田も 衆生の故に異なるあり。
譬へば大藥王の 一切毒を消滅するがごとく、
諸佛の聖福田も 能く煩惱患を滅す。
譬へば日出る時は 能く一切闇を除くがごとく、
諸佛の聖福田も 普く十方界を照す。
譬へば淨滿月の 普く四天下を照らすごとく、
諸佛の聖福田も 平等にして偏黨無し。
譬へば毘嵐風(猛風)の 一切地を震動するがごとく、
諸佛の聖福田も 能く三界の有を動ず。
譬へば火劫起って 天地燒かざるなきがごとく
諸佛の聖福田も 能く一切有を焼く。」