一期大要秘密集・・7(以下、行願・勝義・三摩地の菩提心を順次説く)
・一に行願の菩提心、論にいはく「我れ當に無余の有情界を利益し安楽すべし。十方の含識を観るに猶し己身の如し」と。(金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論「我當利益安樂無餘有情界。觀十方含識猶如己身。」)この文の中に二あり。一には利益の菩提心なり。二には安楽の菩提心なり。一に利益の菩提心とは凡そ心あるものは皆、本覚の大日如来・阿閦如来・宝生如来・弥陀如来・不空如来等の五智、三十七智、一百八智、乃至十仏刹、微塵数等の無辺の智佛、無数の理佛を具して一衆生として成仏せざるものなし、ことごとく勧めて當に菩提心を発さしむべし、ゆえに論に云く、「まさに知るべし、一切有情は皆如来蔵の性を含して皆無上菩提に安住するに堪任せり。この故に二乗の法を以て得度せしめず、といへり。(
金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論「初行願者。謂修習之人。常懷如是心。我當
利益安樂無餘有情界。觀十方含識猶如己身。所言利益者。謂勸發一切有情。悉令
安住無上菩提。終不以二乘之法而令得度」)
・二に勝義の菩提心。論にいはく「一切の法は自性なしと観ず」と。いへり。(金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論「二勝義者。觀一切法無自性。云何無自性。謂凡夫執著名聞利養資生之具。務以安身。恣行三毒五欲。眞言行人誠可厭患誠可棄捨。」)所謂一切の法とはここに九種の心法あり。異生羝羊心乃至極無自性心なり。(大師は十住心論で、衆生の心を、(1)異生羝羊心,(2)愚童持斎心,(3)嬰童無畏心,(4)唯蘊 無我心,(5)抜業因種心,(6)他縁大乗心,(7)覚心不生心,(8)一道 無為心,(9)極無自性心,(10)秘密荘厳心の10に分け,(3) までを世間道,(4)(5)を小乗,(6)(7)(8)(9)を大乗とし,(9)までを顕教とするのに対して( 10)を密教とされた」)謂く、凡夫を聖者に望め、菩薩を仏陀に比するに転転相望して各々無自性なり。故に大師の云く、「九種住心無自性、転深転妙皆是因 とは(祕藏寶鑰で「第十祕密莊嚴心九種住心無自性 轉深轉妙皆是因眞言密教法身説 祕密金剛最勝眞 五相五智法界體 四曼四印此心陳 刹塵渤駄吾心佛 海滴金蓮亦我身 一一字門含萬像 一一刀金皆現神 萬徳自性輪圓足 一生得證莊嚴仁」)この二句は前の所説の九種住心の心は皆至極の仏果にあらずと遮す。九種とは異生羝羊乃至極無自性心なり。中に就いて初めの一は凡夫の一向悪行不修微妙善を挙げ、次の一は人乗を顕し、次の一は天乗を表す。則ちこれ外道なり。下下界を厭ひ上生天を欣って解脱を願楽すれども遂に地獄に堕す。已上の三心は皆是世間の心なり。未だ出世と名けず。第四の唯以蘊己後は聖果を得と名く。出世の心の中に唯蘊と抜業とはこれ小乗の教、他縁以後は大乗の心なり((6)の他縁大乗心以後は大乗である)。大乗に於いて前の二は菩薩乗なり((6)他縁大乗心,(7)覚心不生心,(8)一道 無為心,(9)極無自性心のうち(6)他縁大乗心,(7)覚心不生心)。後の二は佛乗なり。かくのごとくの乗乗、自乗には仏の名を得れども後に望むれば戯論となる。前々は皆不住なり。故に無自性と名く。後後は悉く果にあらざる故に皆是因といふなり。
・三に三摩地の菩提心。夫れ応化の如来は秘して談ぜず。伝法の菩薩は置いて論ぜず。自性法身大日如来、自眷属とともに各々三密を説いて自受法楽したまふ甘露醍醐なり。これを秘密荘厳心と名くるなり。小機のもののためには一字をもとくことなかれ。若し疑心をなさば無間の人とならん。信男信女當にこの法を学ぶべし。論にいはく「如何がよく無上菩提を証する。當に知るべし法爾に普賢大菩提心に応住せり、一切衆生は本有の薩埵なれども貪瞋痴の煩悩の為に縛せらるるがゆえに、諸仏の大悲、善巧智を以てこの甚深秘密瑜伽を説いて修行者をして内心の中に於いて日月輪を観ぜしむ。この観を作すによって本心を照見するに湛然として清浄なり。乃至我れ自心を見るに形月輪の如し」といへり。(金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論「第三言三摩地者。眞言行人如是觀已。云何能證無上菩提。當知法爾應住普賢大菩提心。一切衆生本有薩埵。爲貪瞋癡煩惱之所縛故。諸佛大悲。以善巧智。説此甚深祕密瑜伽。令修行者。於内心中。觀白月輪。由作此觀。照見本心。湛然清淨。猶如滿月光遍虚空無所分別。亦名覺了。亦名淨法界。亦名實相般若波羅蜜海。能含種種無量珍寶三摩地猶如滿月潔白分明。何者。爲一切有情。悉含普賢之心。我見自心。形如月輪。・・・」)
・一に行願の菩提心、論にいはく「我れ當に無余の有情界を利益し安楽すべし。十方の含識を観るに猶し己身の如し」と。(金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論「我當利益安樂無餘有情界。觀十方含識猶如己身。」)この文の中に二あり。一には利益の菩提心なり。二には安楽の菩提心なり。一に利益の菩提心とは凡そ心あるものは皆、本覚の大日如来・阿閦如来・宝生如来・弥陀如来・不空如来等の五智、三十七智、一百八智、乃至十仏刹、微塵数等の無辺の智佛、無数の理佛を具して一衆生として成仏せざるものなし、ことごとく勧めて當に菩提心を発さしむべし、ゆえに論に云く、「まさに知るべし、一切有情は皆如来蔵の性を含して皆無上菩提に安住するに堪任せり。この故に二乗の法を以て得度せしめず、といへり。(
金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論「初行願者。謂修習之人。常懷如是心。我當
利益安樂無餘有情界。觀十方含識猶如己身。所言利益者。謂勸發一切有情。悉令
安住無上菩提。終不以二乘之法而令得度」)
・二に勝義の菩提心。論にいはく「一切の法は自性なしと観ず」と。いへり。(金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論「二勝義者。觀一切法無自性。云何無自性。謂凡夫執著名聞利養資生之具。務以安身。恣行三毒五欲。眞言行人誠可厭患誠可棄捨。」)所謂一切の法とはここに九種の心法あり。異生羝羊心乃至極無自性心なり。(大師は十住心論で、衆生の心を、(1)異生羝羊心,(2)愚童持斎心,(3)嬰童無畏心,(4)唯蘊 無我心,(5)抜業因種心,(6)他縁大乗心,(7)覚心不生心,(8)一道 無為心,(9)極無自性心,(10)秘密荘厳心の10に分け,(3) までを世間道,(4)(5)を小乗,(6)(7)(8)(9)を大乗とし,(9)までを顕教とするのに対して( 10)を密教とされた」)謂く、凡夫を聖者に望め、菩薩を仏陀に比するに転転相望して各々無自性なり。故に大師の云く、「九種住心無自性、転深転妙皆是因 とは(祕藏寶鑰で「第十祕密莊嚴心九種住心無自性 轉深轉妙皆是因眞言密教法身説 祕密金剛最勝眞 五相五智法界體 四曼四印此心陳 刹塵渤駄吾心佛 海滴金蓮亦我身 一一字門含萬像 一一刀金皆現神 萬徳自性輪圓足 一生得證莊嚴仁」)この二句は前の所説の九種住心の心は皆至極の仏果にあらずと遮す。九種とは異生羝羊乃至極無自性心なり。中に就いて初めの一は凡夫の一向悪行不修微妙善を挙げ、次の一は人乗を顕し、次の一は天乗を表す。則ちこれ外道なり。下下界を厭ひ上生天を欣って解脱を願楽すれども遂に地獄に堕す。已上の三心は皆是世間の心なり。未だ出世と名けず。第四の唯以蘊己後は聖果を得と名く。出世の心の中に唯蘊と抜業とはこれ小乗の教、他縁以後は大乗の心なり((6)の他縁大乗心以後は大乗である)。大乗に於いて前の二は菩薩乗なり((6)他縁大乗心,(7)覚心不生心,(8)一道 無為心,(9)極無自性心のうち(6)他縁大乗心,(7)覚心不生心)。後の二は佛乗なり。かくのごとくの乗乗、自乗には仏の名を得れども後に望むれば戯論となる。前々は皆不住なり。故に無自性と名く。後後は悉く果にあらざる故に皆是因といふなり。
・三に三摩地の菩提心。夫れ応化の如来は秘して談ぜず。伝法の菩薩は置いて論ぜず。自性法身大日如来、自眷属とともに各々三密を説いて自受法楽したまふ甘露醍醐なり。これを秘密荘厳心と名くるなり。小機のもののためには一字をもとくことなかれ。若し疑心をなさば無間の人とならん。信男信女當にこの法を学ぶべし。論にいはく「如何がよく無上菩提を証する。當に知るべし法爾に普賢大菩提心に応住せり、一切衆生は本有の薩埵なれども貪瞋痴の煩悩の為に縛せらるるがゆえに、諸仏の大悲、善巧智を以てこの甚深秘密瑜伽を説いて修行者をして内心の中に於いて日月輪を観ぜしむ。この観を作すによって本心を照見するに湛然として清浄なり。乃至我れ自心を見るに形月輪の如し」といへり。(金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論「第三言三摩地者。眞言行人如是觀已。云何能證無上菩提。當知法爾應住普賢大菩提心。一切衆生本有薩埵。爲貪瞋癡煩惱之所縛故。諸佛大悲。以善巧智。説此甚深祕密瑜伽。令修行者。於内心中。觀白月輪。由作此觀。照見本心。湛然清淨。猶如滿月光遍虚空無所分別。亦名覺了。亦名淨法界。亦名實相般若波羅蜜海。能含種種無量珍寶三摩地猶如滿月潔白分明。何者。爲一切有情。悉含普賢之心。我見自心。形如月輪。・・・」)