川端茅舍
2013-11-20 | 法話
以前銀座鳩居堂で女流書展を見ましたがその折、「白樺の霧にひびける華厳かな
川端茅舍」という作品に出会いました。「華厳」が当初「華厳経」のことかと思い華厳の重々無尽の宇宙観と『白樺の霧』との関係がつかめず悩みましたがよくかんがえると「華厳の滝」のことでした。それにしても「華厳」ということばはなにかすごい世界を想像させます。
川端茅舍はウィキペヂアによれば「高浜虚子に師事し、虚子に『花鳥諷詠真骨頂漢』とまで言わしめたホトトギス・写生派の俳人。・・京都の東福寺の正覚庵に籠もり、絵や句の制作に勤しみ、同時に仏道に参じる。凛然とし朗々たる独特な句風は『茅舎浄土』と呼ばしめる。・・」等とあります。
作品はたしかに仏教的な雰囲気のものがあり、生家の田舎寺を思い出させました。
「麗かや砂糖を掬くふ散蓮華
春暁や先づ釈迦牟尼に茶湯して
春昼や人形を愛づる観世音
春の夜や寝れば恋しき観世音
行春や茶屋になりたる女人堂
子守沙弥心経うたふおぼろかな
骨壷をいだいて春の天が下
春天に鳩をあげたる伽藍かな
涅槃会に吟じて花鳥諷詠詩
眉描いて来し白犬や仏生会
甘茶仏杓にぎはしくこけたまふ
灌仏や鳶の子笛を吹きならふ
御本山二十重の畦を塗りかたむ
木蓮の落ちくだけあり寂光土
花隠れ呪文きこゆるお滝様
蝶の空七堂伽藍さかしまに
蝶々にねむる日蓮大菩薩
一蝶に雪嶺の瑠璃ながれけり
石段を東風ごうごうと本門寺
足のうらそろへ給ひぬ涅槃像
土不踏ゆたかに涅槃し給へり
誰が懐炉涅槃の足に置きわすれ
花の奥鐘の響を撞きにけり
あかあかと彼岸微塵の仏かな
からくりの鉦うつ僧や閻魔堂
閻王や蒟蒻そなふ山のごと
御宝前のりだし給ふ閻魔かな
蒟蒻に切火たばしる閻魔かな
和尚また徳利さげくる月の庭
月の道踏み申す師の影法師
明月や碁盤の如き数珠屋町
観世音おはす花野の十字路
・・」
川端茅舍」という作品に出会いました。「華厳」が当初「華厳経」のことかと思い華厳の重々無尽の宇宙観と『白樺の霧』との関係がつかめず悩みましたがよくかんがえると「華厳の滝」のことでした。それにしても「華厳」ということばはなにかすごい世界を想像させます。
川端茅舍はウィキペヂアによれば「高浜虚子に師事し、虚子に『花鳥諷詠真骨頂漢』とまで言わしめたホトトギス・写生派の俳人。・・京都の東福寺の正覚庵に籠もり、絵や句の制作に勤しみ、同時に仏道に参じる。凛然とし朗々たる独特な句風は『茅舎浄土』と呼ばしめる。・・」等とあります。
作品はたしかに仏教的な雰囲気のものがあり、生家の田舎寺を思い出させました。
「麗かや砂糖を掬くふ散蓮華
春暁や先づ釈迦牟尼に茶湯して
春昼や人形を愛づる観世音
春の夜や寝れば恋しき観世音
行春や茶屋になりたる女人堂
子守沙弥心経うたふおぼろかな
骨壷をいだいて春の天が下
春天に鳩をあげたる伽藍かな
涅槃会に吟じて花鳥諷詠詩
眉描いて来し白犬や仏生会
甘茶仏杓にぎはしくこけたまふ
灌仏や鳶の子笛を吹きならふ
御本山二十重の畦を塗りかたむ
木蓮の落ちくだけあり寂光土
花隠れ呪文きこゆるお滝様
蝶の空七堂伽藍さかしまに
蝶々にねむる日蓮大菩薩
一蝶に雪嶺の瑠璃ながれけり
石段を東風ごうごうと本門寺
足のうらそろへ給ひぬ涅槃像
土不踏ゆたかに涅槃し給へり
誰が懐炉涅槃の足に置きわすれ
花の奥鐘の響を撞きにけり
あかあかと彼岸微塵の仏かな
からくりの鉦うつ僧や閻魔堂
閻王や蒟蒻そなふ山のごと
御宝前のりだし給ふ閻魔かな
蒟蒻に切火たばしる閻魔かな
和尚また徳利さげくる月の庭
月の道踏み申す師の影法師
明月や碁盤の如き数珠屋町
観世音おはす花野の十字路
・・」