福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

中臣祓訓解、(伝弘法大師作)から・・・5

2016-07-04 | 諸経
中臣祓訓解、(伝弘法大師作)から・・・5

「高天原(たかまのはら)に」(色界の一番下の梵衆天のことである。三光天(日光天・月光天・明星天子)がおられ南閻浮樹の下、高庫蔵がこれである。五臓の中の大蔵なり。ゆえに万宝の種を納む。)
「神留坐(かむづまりましま)す」(天照大神・豊受大神・高皇産霊神たかみむすびのかみ・神皇産霊神かみむすびのかみ・津速産霊神(つはやむすびのかみ・天御中主神を始源神とし高皇産霊神を長男、津速産霊神を次男、神皇産霊神を三男とする))
 「皇親(すめむつ)神漏岐(かむろぎ)神漏美(かむろみ)の命(みこと)を以(もち)て八百万(やほよろづ)の神等(かみたち)を 神集(かむつどへ)に集賜(つどへたま)ひ 神議(かむはかり)に議賜(はかりたまひ)て 」(いわく皇親の勅命を以て八百万の神達を召すなり)
 
「我(あが)皇孫尊(すめみまのみこと)をば」 (天津彦彦火瓊瓊杵尊あまつひこひこほにぎのみことなり。天照大神の太子正哉吾勝尊まさやわがかつのみことの太子、御母高皇産霊神の女、万栲豊秋津姫命たくはたとよあきつしひめのみこと、なり))
「豊葦原(とよあしはら)の水穂(みずほ)の国(くに)を」(大八州おほやしまの神倭国なり。陽谷(日の出る日本)輪王(天皇)所化の下、玉藻帰る所の嶋、預樟日を蔽す浦、これを名ずけて南閻浮提といふ。水穂国は肥饒豊富の国をいうなり)
 「安国(やすくに)(心安らかな国)と平(たひら)けく所知食(しろしめせ)と事依(ことよさ)し奉(まつり)き」(「安らかな国として平穏にお治めなさい」と仰せられて、この国を御委任申し上げなさった。

如此(かく)依(よさ)し奉(まつり)し国中(くぬち)に(「このように御委任された国の中で」)
荒振(あらぶる)神達(かみたち)を(素戔嗚尊の子孫大己貴神。その子・事代主神たちの荒ぶる神達を)
 神問(かむとは)しに問賜(とはしたま)ひ 神掃(かむはらひ)に掃賜(はらひたま)ひて
( 次々に問い糺され、掃いのけられて
語問(こととひ)し磐根(いはね)樹(き)の立草(たちくさ)の垣葉(かきは)をも語止(ことやめ)て(みな強暴なるがゆえに、まず鹿島・香取の二神つかわしてもって邪神および草木石のたぐいいを遂誅して、さわがしく物を言っていた草の祖・鹿屋の姫、木の祖・久久能智神くくのちのかみまでも、ものを言うことを止めさせて、皆すでに平らぎ治まる、といふ。)

 天磐座(あめのいわくら)放(はな)ち 天(あめ)の八重雲(やへくも)を伊豆(いづ)の千別(ちわき)に千別(ちわき)て 天降(あまくだし)依(よさ)し奉(まつり)き(皇孫瓊瓊杵尊を天上の堅固な御座を後にして、空に幾重にもたなびく雲を神々しい威力で掻き別け掻き別けして、天上から地上へお降し申し上げた。)

如此(かく)依(よさ)し奉(まつり)し四方(よも)の国中(くになか)に 大倭(おほやまと)日高見(ひたかみ)の国(くに)を安国(やすくに)と定(さだめ)奉(まつり)て(このようにして御委任奉った地上の国の真中のすぐれた所として、この太陽が空高く輝く大倭の国(大和の国)を、安泰な国として平定奉って)
  下津(したつ)磐根(いはね)に(金剛宝座に)宮柱(みやはしら)太敷立(ふとしきた)て 高天原(たかまのはら)に千木(ちぎ)高知(たかしり)て 吾(あが)皇孫尊(すめみまのみこと)の美頭(みづ)の御舎(みあらか)に仕奉(つかへまつり)て 天(あめ)の御蔭(みかげ)日(ひ)の御蔭(みかげ)と隠坐(かくりまし)て 安国(やすくに)と平(たひら)けく所知食(しろしめさ)む国中(くぬち)に(地下の大きな岩の上に宮殿の柱を太くしっかりと立て、高天の原に向かって宮殿の千木を高々と聳やかして、皇御孫の命の生気に満ちた御殿をお造り申し上げて、そこを天を覆う陰また日光を覆う陰となる立派な御殿として、皇御孫の命はお住まいになって、これから安泰な国として平穏に統治して行かれるその国の中に、)
成出(なりいで)む 天(あめ)の益人等(ますひとら)が(一日に千人死にしとき千五百人生れます。これ伊弉諾尊と伊弉冉尊との誓願なり。ゆえに天益人と名ずくるなり。皆これ国土日月の中に住するものなり。ゆえに天の益人といふ。その事理(現象と本質)を弁ずれば、その本源を明らむるに、一切衆生、続生入胎(生まれ変わりを続けること)の初め、先ず虚空に住す、そののち漸漸にして形五輪となる。次に五輪反じて人の体となる。尊形は常にして反せず。凡そ世界は本より本覚なり(はじめから覚っている)、本より無明なり、本もまた法界、本はこれ衆生、本仏なり。(本から衆生は世界であり仏であり真理である))

 
過(あやまち)犯(おかし)けむ雑々(くさぐさ)の罪事(つみごと)を(これから生まれ出て増えて行く民らが必ず過ち犯すと思われる種々雑多な罪の行為は、中臣の祓をもって諸々の罪を解除すれば(則ち是れ真正の浄戒波羅蜜を宣説せむがためにいうもの、この浄戒波羅蜜多をとなえれば意界不可得(邪見は消える)なり)

天津罪(あまつつみ)とは 畦放(あはなち) 溝埋(みぞうめ) 樋放(ひはなち) 頻蒔(しきまき) 串刺(くしさし) 生剥(いけはぎ) 逆剥(さかはぎ) 屎戸(くそへ) 許々太久(ここたく)の罪(つみ)を天津罪(あまつつみ)と宣別(のりわけ)て
(まず天つ罪として、畔放ち(田のあぜをこわす罪)・溝埋め(田に水を流す溝を埋める罪)・樋放ち(田に水を送る竹や木の管をこわす罪)・頻蒔き(穀物の種をまいてある上へ重ねてまいて、成長を妨げる罪)・串刺し(家畜にとがった串をさして殺す罪)・生剥ぎ(家畜の皮を生きたまま剥ぐ罪)・逆剥ぎ(家畜の皮を尾の方からさかさまに剥ぐ罪)・屎戸(肥料の屎にのろいをかけて、農耕の妨害をする罪)というように、こんなに数多くの罪を天つ罪として区別を定めて)
国津罪(くにつつみ)とは 生膚断(いきはだだち)死膚断(しにはだだち) 白人(しらひと)胡久美(こくみ) 己(おの)が母(はは)犯罪(をかせるつみ)己(おの)が子(こ)犯罪(をかせるつみ) 
母(はは)と子(こ)と犯罪(をかせるつみ)子(こ)と母(はは)と犯罪(をかせるつみ) 畜(けもの)犯罪(をかせるつみ) 昆虫(はふむし)の災(わざはひ) 高津神(たかつかみ)の災(わざはひ) 高津鳥(たかつとり)の災(わざはひ) 畜(けもの)仆(たふ)し蟲物(まじもの)為(せる)罪(つみ) 許々太久(ここたく)の罪(つみ)出(い)でむ
つぎに国つ罪としてさだめるのは、生膚断ち(傷害罪)・死膚断ち(殺人罪)・白人(皮膚の異常に白くなる病気)・こくみ(こぶのような皮膚の異常の類)・己が母犯す罪・己が子犯す罪(近親相姦)・母と子と犯す罪(一人の女性と通じ、更にその女性の娘と通ずる罪)・子と母と犯す罪(一人の女性と通じ、更にその女性の母親と通ずる罪)・畜犯す罪(獣姦)・昆虫の災・高つ神の災(雷災)・高つ鳥の災(鳥害)・畜仆し蟲物する罪(畜血での呪術を行う罪)というふうに、こんなに数多くの罪が出て来るであろう。)




如此(かく)出(いで)ば 天津(あまつ)宮事(みやごと)を以(もち)て(諸法は影像なし、清浄にして瑕穢無し。取説不可得なり。皆因業より生ず。神の宣命なり。祝詞なり。いわくこれを宣ぶれば則ち一心清浄にして、常住円明の義増なり。これ浄戒波羅蜜多を修するなり。これを観ずれば不可得の妙理なり。)
 天津(あまつ)金木(かなぎ)(堅く清らかな木、これすなわち如来大智の宝威・悪魔降伏の金輪なり)を本打切(もとうちきり)末打断(すゑうちたち)て 千座(ちくら)の置座(おきくら)に(木を以て之を作る。長きものは二尺四寸、八枝をもって束とし、八座に八束を置く。短きものは長さ一尺二寸なり。四枝をもって束と為。四座に四束を置く。八万四千の諸膳供、八葉千葉の花台、三世諸仏の宝座、天神地祇の宝器、天下太平の吉瑞なり。)

置(おき)足(たら)はして 天津(あまつ)菅曾(すがそ)を(清浄なスゲを細かくくだいたもの。遍照牟尼の一字金倫の表徳なり。摧魔怨敵の三昧耶形の体相なり。)
本苅断(もとかりたち)末苅切(すゑかりきり)て 八針(やはり)に取辟(とりさき)て天津祝詞(あまつのりと)の太祝詞事(ふとのりとごと)を宣(の)れ( このように数多くの罪が出て来れば、天上から伝わった宮廷の儀式に従って、大中臣が神聖な金木(金属のように堅い木)を根を打ち切り、先端を打ち断って、中間を沢山の祓えつ物(祓の時、罪を贖うために出す品物)を置く台の上に、祓えつ物のしるしとしていっぱいに置いて、神聖な菅の繊維を、根もとを刈り断ち、先端を刈り切って、中間をこまかく針状に裂いて、祓えの具として用意して、その上で、天上から伝わった神聖な荘厳な祝詞(天津祝詞の太祝詞事)の言葉を宣読せよ。)


如此(かく)宣(のら)ば天津神(あまつかみ)は天(あめ)之(の)磐門(いはと)を押開(おしひら)き 天(あめ)之(の)八重雲(やへぐも)を伊豆(いづ)の千別(ちわき)に千別(ちわき)て所聞食(きこしめさ)む。 国津神(くにつかみ)は高山(たかやま)の末(すゑ)短山(ひきやま)の末(すゑ)に登坐(のぼりま)して 高山(たかやま)の伊穂理(いほり)短山(ひきやま)の伊穂理(いほり)を撥別(かきわけ)て所聞食(きこしめさ)む(このように宣読するならば、天上の神々は天の岩屋の戸を押し開いて、幾重にもたなびく雲を神々しい威力で掻き別け掻き別けして、お聞きになるであろう。又地上の神々は、高い山の頂や低い山の頂にお登りになって、高い山の上の「いほり」や低い山の「いほり」を掻き別けて、お聞きになるであろう。請えるところあられ必ず神は御聞きになる。祈ることあれば必ず応ず。ゆえに大日四種法身(自性身・受用身・変化身・等流身)の諸尊、光明心殿をおしひらき、妙観察智の月、内外十方の性を照らす。仏神の命を頂き、霊鬼を助け、加護をこうむること明らかである。一如実相常住円照なり。しかれば則ち天照大神は大日如来であり、諸神の最貴のものなり。尊きこと二つ無し。諸皆眷属につかえまつるものなり。直に天津神は世界を廻りて下界を照らし、国津神は八州(日本)の国土を守る。これ大慈大悲の誓願なり。これ衆生済利益の方便なり。伊勢大神託していわく、(天平年中、行基菩薩、聖武天皇の勅使として、造東大寺の事、祈誠し申したまふ。このときの御告文に)「実相真如の日輪、生死長夜の闇を明らかにし、本有常住の月輪、無明煩悩の雲を払う(日輪はすなわち天照大神、月輪は則ち豊受皇大神)両部不二なり。」)




如此(かく)所聞食(きこしめし)ては 罪(つみ)と云(いふ)罪(つみ)は不在(あらじ)と 科戸(しなど)の風(かぜ)の天(あめ)の八重雲(やへぐも)を吹放(ふきはなつ)事(こと)の如(ごと)く 朝(あした)の御霧(みきり)夕(ゆふべ)の御霧(みきり)を朝風(あさかぜ)夕風(ゆふかぜ)の吹掃(ふきはらふ)事(こと)の如(ごと)く 大津辺(おほつべ)に居(を)る大船(おほふね)の舳(へ)解放(ときはなち)艫(とも)解放(ときはなち)て大海原(おほわだのはら)に押放(おしはなつ)事(こと)如(ごと)く 彼方(をちかた)の繁木(しげき)が本(もと)を焼鎌(やきがま)の敏鎌(とがま)以(も)て打掃(うちはらふ)事(こと)の如(ごと)く 遺(のこ)れる罪(つみ)は不在(あらじ)と
(このように神々が確かにお聞きになるので、罪という罪は一切なくなってしまうであろう。その罪がなくなってしまう様子は、ちょうど風の吹き起こる大もとの戸口から吹いてくる風が、空に幾重にもたなびく雲を吹き放ってしまうように、又大きい港のほとりに停泊している大船のもやい縄を解き放って、大海原に向かって押し放つことのように、又遠い向こうの方の繁茂した木の根もとを、よく焼き入れをした鋭利な鎌で切り払うことのように、あらゆる罪は消え去って、後に残る罪はなってしまうであろう。
)




祓賜(はらひたま)ひ清賜(きよめたまふ)事(こと)を 高山(たかやま)之(の)末(すゑ)短山(ひきやま)之(の)末(すゑ)より 佐久那太理(さくなだり)に落(おち)瀧(たき)つ速川(はやかは)の瀬(せ)に坐(ま)す瀬織津比(せおりつひめ)と云(いふ)神(かみ)大海原(おほわだのはら)に持出(もちいで)なむ 如此(かく)持出(もちいで)往(いな)ば 荒塩(あらしほ)の塩(しほ)の八百道(やほぢ)の八塩道(やしほぢ)の塩(しほ)の八百会(やほあひ)に坐(ま)す速開都比(はやあきつひめ)と云(いふ)神(かみ) 持(もち)可可呑(かかのみ)てむ 如此(かく)可可呑(かかのみ)ては 気吹戸(いぶきど)に坐(ま)す気吹主(いぶきどぬし)と云(いふ)神(かみ) 根国(ねのくに)底国(そこのくに)に気吹(いぶき)放(はなち)てむ
如此(かく)気吹(いぶき)放(はなち)ては 根国(ねのくに)底国(そこのくに)に坐(ま)す
速佐須良比(はやさすらひめ)と云(いふ)神(かみ) 
(伊邪那美尊、その子速素戔嗚尊なり。焔羅王なり。司命・司禄(ともに北斗七星の星)等はこの神の所化なり。一切の不祥の事を散失するなり。以上「天益人」より「速佐須良比」に至まで天津祝詞あまつのっとことば、天上あまつかみの梵語の言なり。上件の明神等は冥道の諸神なり。一切衆生の為に一子の慈悲を施す。諸尊の願海を以て生死の穢土を洗う。阿字本不生の故に、長寿延命なり。「謄源司命、西源魂召を饗し、紫広七座の祓を賛す。明らかに三十年を転ず。祓はこれ不死の薬なり。ゆえによく万病を治す。しかればすなわち決定の業といえどもよくこれを転ず。もしまた悪道に堕すと雖も、必ず苦に代わる。永く三悪道を離れてすなわち成仏すること疑いなし。」)

持佐須良比(もちさすらひ)失(うしなひ)てむ。如此(かく)失(うしなひ)ては 自以後(きょうより)始(はじめ)て罪(つみ)と云(いふ)罪(つみ)咎(とが)と云(いふ)咎(とが)は不在物(あらじもの)をと 祓賜(はらひたま)ひ清賜(きよめたまふ)と申(まを)す事(こと)の由(よし)を 八百万(やほよろづ)神等(かみたち)諸共(もろとも)に左男鹿(さをしか)の八(やつ)の耳(みみ)を振立(ふりたて)て所聞食(きこしめせ)と申(まを)す。
 (このようにすべての罪をなくしてしまおうとして、今日こうして朝廷において大祓の儀式を行って、祓い清めて下さる罪を、高い山や低い山の頂から勢いよく落下してさか巻き流れる速い川の瀬においでになる瀬織津比という神様が、川から大海原へ持ち出してしまうであろう。このように持ち出して行ってしまえば、激しい潮流の沢山の水路が一所に集合して渦をなしているところにおいでになる速開津比という神様が、音を立てて呑み込んでしまうであろう。このように呑み込んでしまえば、息吹きだす戸口の所においでになる気吹戸主という神様が、それを地底の根の国へ息で放ちやってしまうであろう。このように息で吹いて放ちやってしまえば、地底の闇黒の世界においでになる速佐須良比という神様が、それを持ってさすらってついにすっかりなくしてしまうであろう。 
 このように罪をなくしてしまえば、天皇の朝廷にお仕え申し上げる役人たちを初めとして、天下の方々の国には、今日から始まって、罪という罪は一切なくなってしまうであろう、ということを八百万の神達と共によく聞けと申すものである。)
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