平成2年1月号の大法輪に「三回転半した車の中で」という題で当時の大山隆玄執事長が書いておられました。
『・・・急用で山をおりることになった 若いお坊さんが、山麓に行く車に便乗させてもらった。・・やがて最も急といわれる十六丁目の坂に差し掛かったとき、運転手さんが錯覚して道端に乗り上げてしまい、その車は横転ではなく縦に転がり始めた。・・・とっさにそのお坊さんは「南無飯縄大権現」とおとなえしていたという。そしてそのときはっきりと「手を離すな」という声をきいたという。その声が聞こえる度に手にぐっと力をいれたらしい。車は三回転半して止まったがお坊さんも無事だったという。その若いお坊さんは転がる時「もうこれで死ぬか」とおもいつつ手を伸ばすと、不思議に助手席の前に手でつかまるところがあり、そして前と後ろの座席の間にも仕切りの棒があったという。不思議な声で「その手を離すな」となんども言われ、おかげで転がる車中で体は固定されていて無事だったのだという。のちに老僧からは「高尾のお山は、三十六童子様が守護し、多くの天狗様が修練されているので色々な声を聞くことがある」と示されたそうである。』
講元の私も高尾山では筆舌に尽くしがたいおかげをいただいております。
特に琵琶滝のお不動様では祈願して叶えられそのお礼に行って更にその上のことまで叶えられるといった御蔭が相次いでいます。いまも数え切れないおかげをいただいております。あまり具体的にはいえませんが先日も八十八大師巡拝の山中で突然携帯が鳴り、思ってもみなかった朗報が入りました。このありがたさは経験しなければわかりません。
『・・・急用で山をおりることになった 若いお坊さんが、山麓に行く車に便乗させてもらった。・・やがて最も急といわれる十六丁目の坂に差し掛かったとき、運転手さんが錯覚して道端に乗り上げてしまい、その車は横転ではなく縦に転がり始めた。・・・とっさにそのお坊さんは「南無飯縄大権現」とおとなえしていたという。そしてそのときはっきりと「手を離すな」という声をきいたという。その声が聞こえる度に手にぐっと力をいれたらしい。車は三回転半して止まったがお坊さんも無事だったという。その若いお坊さんは転がる時「もうこれで死ぬか」とおもいつつ手を伸ばすと、不思議に助手席の前に手でつかまるところがあり、そして前と後ろの座席の間にも仕切りの棒があったという。不思議な声で「その手を離すな」となんども言われ、おかげで転がる車中で体は固定されていて無事だったのだという。のちに老僧からは「高尾のお山は、三十六童子様が守護し、多くの天狗様が修練されているので色々な声を聞くことがある」と示されたそうである。』
講元の私も高尾山では筆舌に尽くしがたいおかげをいただいております。
特に琵琶滝のお不動様では祈願して叶えられそのお礼に行って更にその上のことまで叶えられるといった御蔭が相次いでいます。いまも数え切れないおかげをいただいております。あまり具体的にはいえませんが先日も八十八大師巡拝の山中で突然携帯が鳴り、思ってもみなかった朗報が入りました。このありがたさは経験しなければわかりません。