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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

守護國界主陀羅尼經卷第十阿闍世王受記品の訳・・その2

2011-05-22 | 護国仏教
時に王は具に夢みるところを陳て佛にもうす。
佛言く「大王よ、王之夢見る所は王に非ず。憂懼を生ずること勿れ。王よ善く諦らかに聽け。當に王の爲に説くべし。此れは是れ未來五濁惡世に佛ありて出現し釋迦牟尼と號す。滅度之後の遺法の相なり。大王よ十獼猴は即ち是れ彼の佛の十種の弟子なり。王は佛に言して白く。「世尊よ、何れかを彼の佛の十種弟子と名くるや。」

迦葉佛の言く。「一には貧にして活ざることを畏れて沙門となる。二は奴たる
怖畏有って沙門となる。三は債負を怖畏して沙門と作る。四は
佛法の過失を求て沙門と作る。五は他に勝れんがために沙門と作る。六は名稱の為に沙門と作る。七は生天の爲に沙門と作る。八は利養の爲に沙門と作る。九は未來の王位を求めんと欲するがために沙門と作る。十は眞實心にして沙門と作る。」

時に彼の大王は彼の佛に言して白く。
「世尊よ、此の十の沙門は其の相云何。」

彼の佛の答えて言く。
「大王よ。貧にして活きざるを畏れて沙門と作る者は。多く衆生あって因果を信ぜず。財
寶を貪求して互相に侵奪し。遂に天地の感ずるに雨澤時ならず。五穀登(みのら)ず。官税を充さず。飢貧に逼られて男女を鬻(ひさ)ぎ賣り。投寄する所無く、樹上に遺棄せる袈裟を披挂して。自ら鬚髮を剃り、沙門の像を作るに。阿闍梨も無く、亦和上も無し。無戒無法の相似の沙門なり。長時に一切惡法を受行し。僧伽藍に入りては自ら我は是れ律師なり禪師なり法師なり大徳なりと称し。衆首に坐居し、餘僧に謂いて言く。『汝等は皆な是れ我が弟子なり。』清信士(男性信者)の族姓の長者婆羅門の家に。出入し遊從して多く過失を造る。是を第一の貧にして活きざるを畏れて沙門と作ると名ずく。」

「大王よ云何んが名ずけて奴となる怖畏有って沙門となると作すや。」

謂く「下賤のは是の思惟をなす。云何が一生に他の驅策を受けんや。逃竄して出家す。是を第二となす」。「大王よ云何が名て債負を怖畏して沙門となるとなすや。謂く「衆生有りて公私の債負あり。息利既に多く酬還を遂げず。既に逼迫せられ逃逝して出家す。是を第三となす。」

「大王よ云何が名て佛法の過失を求めて沙門となるとなすや。」

謂く「諸の外道の心に嫉妬を生じ、遂に共に集議して。誰か聰明利根辯慧あるものを佛法中に入れ、彼の所有の世出世の法を學び。其是非を窺って我衆に還歸し。國王大臣長者に對して。論議幢を樹てて其過失を出し。彼の佛の正法を摧壞破滅せんとす。是を第四と名ずく。」

「大王よ云何んが名て他に勝ることを求むるが故に沙門を作すと為すや」。謂く「或は衆生有りて某甲が衣を披け落髮し。多く伎能有って三藏に通達すること有るを聞き、心に熱惱を生じ便即ち出家して經律論を學び。所修の善法は皆な彼に勝せんことを欲す。是を第五と名ずく。「大王よ云何が名て名稱のための故に沙門となると為すや」。

謂く「或人りて竊に自ら思惟すらく、。我れ若し家にあれば名稱あることなからん。我應に剃落披衣出家し。勤學多聞して禁戒を受拾蒔いし、。於大衆中において坐禪し入定して物をして名を知らしむべし。是を第六となす」。

「大王よ云何んが名ずけて生天を求むるが故に沙門を作るとなすや」。「謂く「或は人ありて諸天の中に長壽快樂有りと聞き。我に方便として上生を得ること無し。遂に即ち剃髮染衣して出家し。善法を修持して皆な生天を願ふ。是れを第七と為す」。

「大王よ云何んが名ずけて利養のための故に沙門と作るとなすや」。謂く「或は人有りて先に財寶有り更に勝處を求めて。好しき精舍、房院の華飾を得て。以って棲遲し(のんびり暮らす)自他所有財産を受用すべし。是を名ずけて第八とす」。

「大王よ、云何んが名ずけて未來帝王位を欲求するが故に沙門と作ると為すや」。謂く「衆生有りて國王の自在、尊崇、富貴、安樂なるを見て。便ち愛樂を生じ、遂に出家を求め。所修の善根もて惟だ願くは當生に王位に居することを得んことを。是を第九と名ずく。」

「大王よ云何が名ずけて眞實心の故に沙門と作るとなすや」。謂く「衆生ありて、刹利大臣族姓婆羅門家に生じ。或は長者居士商主富貴之家に生じ、盛年のとき美貌なりといえども。諸の財色富貴榮顯を觀るに。猶し浮雲泡幻電光の如く生滅して住らず。遂に厭離を起こして菩提心を發こし。親友珍財一切を皆捨てて。出家し道を慕い、律儀を秉持し。法を學び禪を修し精勤して懈匪ず(おこたることあらず)。凡そ作所あるときは皆な衆生の為にして。唯だ無上菩提の果を求むるのみなり。是を第十眞實心の故に沙門と作ると名ずく。」

「大王よ當に知るべし。王が夢みるところの如く。一の獼猴は少欲知足にして。獨り樹上に処り人を擾せざる者と見るは。即ち是れ釋迦如來の遺法の中の眞實の沙門なり。其九の獼猴は衆人を擾亂(じょうらん)し。心を同じくして一の獼猴を驅擯するは。即ち是れ釋迦如來の遺法の中の前の九沙門なり。沙門の法無きが故に總じて名ずけて相似沙門と為す。同じく惡行を行じ共に一眞實沙門を驅って衆外に出す。大王よ此の惡沙門は破戒行惡。一切族姓の家を汚穢し。國王大臣官長に向かって。論説して眞實の沙門を毀謗し。横に是非を言う。云に是の惡人にして破戒行惡なるものは。我が持戒比丘と同じく共に止住すべからず。布薩説戒も亦た同じく一の寺舍に居し一の國邑を同じくすべからず。一切の惡事を皆な彼の眞實沙門に推與して(おしつけて)。國王大臣官長を蒙蔽し。遂に眞實沙門を驅逐して盡く國界を出しむ。其破戒者は自在に遊行して。國王大臣官長と共に親厚を為す。大王よ彼の釋迦牟尼如來所有の教法は。一切の天魔外道惡人五通神仙も。皆な乃至少分も壞すこと能はず。而して此名相の諸の惡沙門は。皆な悉く毀滅して餘りあることなからしむ。須彌山の如く假使(たとひ)三千界中草木を盡して薪とし。長時に焚燒すれども一毫も損することなし。若し劫火、火を起こして内より生ずるも。須更に燒滅して灰燼を余すことなし。」・・(続)
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