「私どもには運命というものがある。いかなる人でも運命の支配を脱することはできない。これを仏教でいえば、如何にしても業力には勝てぬ。何人でも過去の業力だけは動かすことができぬ。・・それで歎異抄には『よきこころのおこるも宿業のもよほすへえなり。悪事のおもはせらるるも悪業のはからひのゆえなり。故聖人のおほせには『(歎異抄第十三章その1に)
(弥陀の本願不思議におわしませばとて、悪をおそれざるは、また、本願ぼこりとて、往生かなうべからずということ。
この条、本願をうたがう、善悪の宿業をこころえざるなり。よきこころのおこるも、宿善のもよおすゆえなり。
悪事のおもわれせらるるも、悪業のはからうゆえなり。
故聖人のおおせには、)「卯毛羊毛(うもうようもう)のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずということなしとしるべし」とそうらいき。 』」
(弥陀の本願不思議におわしませばとて、悪をおそれざるは、また、本願ぼこりとて、往生かなうべからずということ。
この条、本願をうたがう、善悪の宿業をこころえざるなり。よきこころのおこるも、宿善のもよおすゆえなり。
悪事のおもわれせらるるも、悪業のはからうゆえなり。
故聖人のおおせには、)「卯毛羊毛(うもうようもう)のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずということなしとしるべし」とそうらいき。 』」