福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

丙申逆打ミニ遍路報告・・22(最終回)

2016-06-05 | 開催報告/巡礼記録


私は今回も香園寺本堂で巨大な金剛界大日如来様と子安大師様にそれぞれ理趣経をあげました。
下にある子安大師様にもお参りしましたがこのお堂の前でうつむいたまま動かない老人がいました。わたしが理趣経をあげ終わってもまだ動きません、よほどのことがあったのでしょう。息をのんでその場を離れました。ときどき霊場では息を呑むようなお参りをされている方がいます。10年ほど前には34番種間寺で早朝大師堂下に土下座して髪を振り乱して拝んでいる老女を見かけました。いずれも尋常な御参りではお蔭は頂けないと切羽詰まってきておられることでしょう、こういう方々に是非ともお蔭がありますようにと当方も陰ながら祈ります。
私も4年前孫の安産祈願をして嫁が高齢出産にも拘わらず無事玉のような赤ちゃんを授かりました。何度もお礼に行きました。寺には無事授かった無数の赤ちゃんの写真が奉納されています。当方の孫の写真も飾らせていただいています。今回も孫の子安祈願をお願いしてきました。
今回の逆打へんろは香園寺でとりあえず終わりです。丙申の年は60年に一度ですから又年内に来て寺社一体で回りたいと思っています。丙申の年に本来の寺社一体の四国遍路が逆打でできるなどというのはどんな僥倖にも勝ります。

今回の68番から60番までの短い逆打遍路で感じたことのまとめです。
・今年は「丙申」の為か歩き遍路が格段に増えています。これは来るべき南海トラフ・首都直下型大地震の被害を最小にしたいという集団的無意識が我々に働き始めているのでは・・と思わせられました。
・「四国遍路を世界遺産に」という幟をいたるところで見ましたが、もとの札所であった神社は寂れています。大師創設以来1200年続いた本来の神仏一体霊場に戻してからでなければ、「後世の笑いもの」になるだけです。
・遍路は札所では本堂・大師堂・鎮守社(もしくは本来の札所であった神社)を三か所セットでお参りすべきです。そして神社では心経秘鍵・心経を上げるべきです。
・歩き遍路を重ねるごとに、「この世は計り知れない深さを持っている」ことを身につまされて実感させられます。意に染まない出来事が逆に後で有難いことに転換したり(例えば遍路宿で会う遍路の観光気分の態度にその場では気分を害してもあとで何故か懐かしくなります)、道に迷って引き返せなくなる直前に地元の人が道を教えてくれたり、連絡のあるはずのない人から連絡が来たり(未明に気になる縁者から突然連絡があったことがありました)、会うはずのない人に遇ったり(行で指導いただいた僧正様に三角寺でばったり遇ったり、バス代をお接待した人が偶然にもご指導いただいているN尼の信者だったりしました)。なにより祈願したことがドンドン叶えられていったことが有難くてたまりません。
・60年に一度の丙申の年に寺社一体で歩いて逆打できるという僥倖に恵まれて、帰京して一週間たってもまだ四国の余韻に浸っています。四国霊場は不思議な凄い力を持っていることを再確認させられています。
(終)
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