大日経疏に「・・煩惱故に種種の業を起こし、種種の業により
種種の道に入り、種種の身を獲、種種の苦樂を受く。蠶の絲を出し、因るところ無きが如し已に從って出し、自ら纒裹し、燒煮される苦を受く。譬へば人間の淨水の如し、天鬼の心に隨って或は以って寶となし、或は以って火と爲す。自の心で自ら苦樂を見る。・・」
(我々は煩悩により業をつくり業によりさまざまな苦しみを受ける。これは蚕が糸を勝手に自分の周りに張り巡らせ繭に閉じこもるように勝手に硬く迷いの殻に閉じこもっている。外にはなんともいえない有難い世界が展開しているのに全く見ようとしない。そしてついに蚕も其の糸をとる為に熱湯に投げ込まれるように迷いの殻に閉じこもっている我々も熱湯に投げ込まれることになる。これらはすべて自らの心による。・・)
とあります。
種種の道に入り、種種の身を獲、種種の苦樂を受く。蠶の絲を出し、因るところ無きが如し已に從って出し、自ら纒裹し、燒煮される苦を受く。譬へば人間の淨水の如し、天鬼の心に隨って或は以って寶となし、或は以って火と爲す。自の心で自ら苦樂を見る。・・」
(我々は煩悩により業をつくり業によりさまざまな苦しみを受ける。これは蚕が糸を勝手に自分の周りに張り巡らせ繭に閉じこもるように勝手に硬く迷いの殻に閉じこもっている。外にはなんともいえない有難い世界が展開しているのに全く見ようとしない。そしてついに蚕も其の糸をとる為に熱湯に投げ込まれるように迷いの殻に閉じこもっている我々も熱湯に投げ込まれることになる。これらはすべて自らの心による。・・)
とあります。