ここでは現世の利益はあきらめたから来世を安楽に・・と願っています。当時の貴族でさえ現世利益をあきらめるほど人生はつらかったのでしょう。
「本朝文粋」「供養自筆法華経願文
弟子某敬白、夫れ来るものは留まらず 薤壠(がいろう・韮を植えた畝)に 晨を払う露あり、去るものは返らず 槿籬(きんり)に 暮(ゆふべ)にいたる花なし、此の浮生を論ずれば 彼の花の露の如きか、況や雪鬚の齢に遭ひ 黄壌(黄泉)の期を催す、若し心起一念せずば手成微功なり、徒に東岱(死者の魂が帰り着く場所・泰山)の暗魂、北邙(墓地)の朽骨とならむ、因って奇肱(きこう・一臂国の北に住んでいるという人々。腕は1本だが眼は3つあり、両性具有だという。 また、ここには赤と黄の2つの頭を持った鳥がいる)を尋ね、而して白檀観世音菩薩一躯・釈提桓因・毘沙門を造り奉る。亦接掌を穿ち、墨字妙法蓮華経一部・開結経・般若心経を写し奉る。貞元元歳976、無畏道場、敬屈(敬礼)す願門師、鷲峯の偈を講演せよ、付して願くは諸仏如説に随喜し、一善の蔕芥(たいかい・わずかなこと)を播手(まく)せよ、百億の須弥に納め、豈に敢て人間の息災を習はんや、唯是れ充身後の追福のみ。昔朱邑の帰邑里也。桐郷の民隣有り、今、弟子の誠子孫也。桑門の侶に如かず、故にこの佛経を以て我が法侶に嘱す、雪盡け氷解ける日、谿鳥に付して妙音を伝ふ。
月残霜結の朝、籬花を折りて以て仏界に供し香煙の不絶に迴すべし。無恨先石火の早敲矣、
有為の里、無辺の界、同じく応方角赤、共に圓明を期す。
兼明稽首 敬白
貞元元年九月十九日」
兼明親王は、平安時代中期の公卿・皇族。醍醐天皇の第11皇子。一時期臣籍降下して源 兼明(みなもと の かねあきら)と名乗ったが、晩年になって皇籍に復帰し中務卿となったことから中書王(ちゅうしょおう)あるいは前中書王(さきの ちゅうしょおう)と呼ばれる
太田道灌の雨具の故事の歌「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞかなしき」(後拾遺和歌集)は源兼明の作。
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