「文字、禅を離れず。即ち亦た何ぞ瑕絶(かぜつ)せんや。不肖、書学に拙きも亦た其の志は護法に在り。故に、一行たりと雖も必ず護法に在り。他の善心を開発(かいほつ)するに在り。 見ん者、請ふ、察せよ。
(意訳、
文字は、禅である。であるから、どうして間違いを直すということなどがあるだろうか。書学につたなく未熟でも書をかくのはその志が護法にあるためである。たとえ一行にすぎないものであっても必ず護法のために書いたものなのである。他者に善き心を起こさせるためのものなのである。私の書を目にする者は、この心を察して欲しい。)」
(慈雲尊者「尼衆消息手本」)
現代の書道界にはいろいろな書論がありまた作品も混乱しているようにもみえますがさきのお大師様の「書は心を乗せるものだ」とおっしゃっていることとこの「志が護法にある」とする慈雲尊者のお考えなどもっとわかってほしいと思うこともあります。
(意訳、
文字は、禅である。であるから、どうして間違いを直すということなどがあるだろうか。書学につたなく未熟でも書をかくのはその志が護法にあるためである。たとえ一行にすぎないものであっても必ず護法のために書いたものなのである。他者に善き心を起こさせるためのものなのである。私の書を目にする者は、この心を察して欲しい。)」
(慈雲尊者「尼衆消息手本」)
現代の書道界にはいろいろな書論がありまた作品も混乱しているようにもみえますがさきのお大師様の「書は心を乗せるものだ」とおっしゃっていることとこの「志が護法にある」とする慈雲尊者のお考えなどもっとわかってほしいと思うこともあります。