大乗菩薩の精神を完全に具現し実践の上に生かし切って行かれた第一人者は聖徳太子におわしますことは申すまでもないことです。聖徳太子のご理想というものは我が日出つ゛る圀の古今を一貫するところの惟神の大道と、万国の極宗たる大乗仏教の精神の大調和の上にこそ我が国家はますます皇祖皇宗のご偉業を成就していくことが出来るとお信じあそばされたと拝察し奉るのであります。・・十七条憲法には、惟神の道ということばはありませんがこれはこの文字が歴史の上にあらわれたのは次の奈良時代であるからであります。しかし第一条の「和を以て貴しとなす」第三条「詔を承けては必ず謹め」その他のお言葉により、この惟神の精神は十分窺われるのであります。一方からもうせば惟神の道ということはあまりにも明々白々であったからあえてそういう言葉を用いなかったとも拝察せられます。・・この聖徳太子のご理想を體して立ち上がられたのが弘法・伝教の二大宗教家であります。・・なるほど伝教弘法の二大師は海を渡って唐に入り、それぞれ佛教の源底に徹底して帰朝せられたのでありますが、その天台宗も真言宗も支那の佛教の直訳ではなく単なる輸入でもなく全く日本独自のものとなりました。これはまさしく日本仏教であります。畏れ多くもこの二大師は朝廷より無上の尊敬と御保護を受けられ、この二つの大乗佛教は鎮護国家の大業をなし、日域は大乗相応の地なりということを証明されました。(注・・密教の鎮護国家の修法には天台系では熾盛光佛頂法(除災。本尊は熾盛光曼荼羅。北極星の熾盛光佛頂を中心に八大菩薩、四大明王、十二大天、十二天宮、二十八宿などを円形に配したもの。)七佛薬師法(七佛薬師を本尊として息災増益のために修する。)、普賢延命法(普賢延命菩薩を本尊とし、増益延命を祈る)、安鎮国家法(二臂不動明王と八方に四臂不動を配する安鎮曼荼羅を本尊とし、家宅を鎮護するもの)、鎮将夜叉法などがあるとされます。一方真言宗では後七日御修法の他に七箇大法とされる請雨経、孔雀経、仁王経、守護経、大元、法華、普賢延命法に五大虚空蔵法、大北斗法や五箇大法の一つである最勝王法などを加えたものが護国の修法とされるのではとおもわれます。弘法大師も「国家の奉為に修法せんと請ふ表」には「七難を摧滅し四時を調和し、國を護り、家を護り、己を安むじ、他を安むず。此の道の秘妙の典なり」とあります。「護国」が「安民」でもあったのです。大師が高野山を「鎮國安民の道場」と、東寺を「教王護国寺」と、かの高雄山を「鎮護国祚寺」と号せられたのもこのお考えでした。)
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