福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

神道には国を治めるに必要な仁義の教えがないのは中国に劣るのではないか

2018-09-14 | 法話
慈雲尊者「問決」より
問、神道には国を治めるに必要な仁義の教えがないのは中国に劣るのではないか。答、仁を説くのは逆に国が乱れて仕方ないからで我が国は自然に国は治まってきたから仁のおしえは不要であった。


問、道の道たる、治国平天下の功なり。古今みなこれを儒に譲る。日本の神道この仁義の目あることを聞かず。云何。
答、これ至要なり。‥史記・秦の世家に、「穆公(ぼくこう戦国時代、 秦を大国に押し上げた君主)由余(ゆうよ)に問ふ、中土は仁を以て治む、猶或いは治まらず。胡國は仁義の教え無し、その乱れざる云何。由余答ふ。此れ中国の乱るる所以なり。上、禮を以て下を責む。下民、仁を以て上を怨む云々。」史記をみるべし。此れに依って知れ。仁義の国を治める、末が末なり。支那の國は、亜細亜の東北一隅にして、其の俗文華に過ぎ軽薄に走る。彼の聖人と称する者、其の俗を導くに仁義を以てこれを制す。我が国の自然法爾天道に適に同じからず。その世々乱亡相続ぎ、終に胡国の有となる(北方民族に占領される)、これに依るなり。本朝は大いに異なることあり。平天下あめがしたをむける、と訓ず。唯そむくものを制す。既に向ひ伏すれば天下自ずから平らかなり。別に平天下の道ありて此れを用ゆるにあらず。そのそむく者は、反し箭しこれを制す。彼の稚彦が自ら亡びるが如し。(葦原中国を平定するに当たって、遣わされた天之菩卑能命(アメノホヒ)が3年たっても戻って来ないので、次に天稚彦(アメノワカヒコ)が遣わされた。 しかし、アメノワカヒコは大国主神の娘下照比売と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。そこで天照大御神と高御産巣日神(タカミムスビ)は雉の鳴女(ナキメ)を遣して戻ってこない理由を尋ねさせた。すると、その声を聴いた天佐具売(アメノサグメ)が、不吉な鳥だから射殺すようにとアメノワカヒコに勧め、彼は遣わされた時にタカミムスビから与えられた弓矢(天羽々矢と天之麻迦古弓)で雉を射抜いた。 その矢は高天原まで飛んで行った。その矢を手にしたタカミムスビは、「アメノワカヒコに邪心があるならばこの矢に当たるように」と誓約をして下界に落とす。すると、その矢は寝所で寝ていたアメノワカヒコの胸に刺さり、彼は死んでしまった。)開闢から今日まで朝敵の身を亡ぼす、これによるなり。天下は唯乱さぬのみ、これを神道とす。彼の支那儒生が談ずる大学の三綱八条目(宋の朱熹が「大学」の綱領とした。三綱領(明明徳・親民・止至善)と八条目(致知・格物・正心・誠意・修身・斉家・治国・平天下))と云ふが如きには非ず。彼の蒼生を憐れんでたなつもの・畑つもの(種つものとは稲、畑つものとは麦)を施す(日本書紀に天照大御神が「この物は、すなはち顕見(うつしき)蒼生(あおひとくさ)の食ひて活(い)くべきものぞ」とおしゃったとあり)。その材にまかせて杉及び櫲樟(日本書紀で「鳥磐櫲樟船 とりのいわくすぶね、は鳥のように速く走り岩のように堅固な、楠で作った船」と記述あり。)は浮寶とす。檜は以て瑞宮の材とす。(「日本書紀に「一書に曰く 素戔嗚尊曰く韓鄕(からくに)之嶋、是(これ)金と銀有り若し吾の兒の使う所の御之(この)国の浮宝(うきたから:舟)者(は)不有(あら)ず。未だ是(これ)佳(よし)也。乃ち鬚髯を抜いて之散らし、即ち杉が成る又 胸毛を抜いて散らし、是(これ)檜に成る尻毛は是(これ)柀(まき)に成る眉毛は是(これ)櫲樟(よしょう:クスノキ)と成る。已(すで)而(に)其の當(あたり)を定めて用いる。乃ち之(これ)称えて曰く、杉及び櫲樟、此の両の樹は浮宝(うきたから・舟)を以て為す可(べ)きなり。宮の材の端の檜(ひのき)を以て為す可(べ)きなり。)下つ岩根に宮柱ふと敷きたて、高天原にちぎ高しりて(大祓の詞に「大倭日高見(おおやまとひたかあみ)の国(くに)を、安国(やすくに)と定奉(さだめたてまつり)て、下(した)つ磐根(いわね)に宮柱太敷立(みやはしらふとしきたて)高天原(たかあまはら)に千木(ちぎ)高知(たかしり)て皇御孫(すめみま)の命(みこと)の瑞(みづ)の御舎(みあらか)仕奉(つかへまつり)て、天(あめ)の御蔭(みかげ)日(ひ)の御蔭(みかげ)と隠(かくりまし)て・・」)神蘺ひもろぎを基し岩根を封す(神籬磐境の神勅(『日本書紀』巻二の一書)に「吾は則ち天津神籬あまつひもろぎ及また天津磐境あまついはさかを起樹たてて、まさに吾孫すめみまの為みために斎いはひ奉らむ。汝いまし天児屋命こやねのみこと・太玉命ふとたまのみこと、宜しく天津神籬を持たもちて、葦原中国あしはらのなかつくにに降くだりて、また吾孫の為に斎ひ奉れ」)、と。まことに萬世うごきなき基なり。彼の喃々として仁と義を説き、喪に彼の哭泣の処を定め、三年の喪、唯名のみ有りて行ふ者なきが如きには非ず。外宮を崇敬して穀物器財の万邦に勝れたるを受用す。内宮を崇敬して皇祚の天壌とともに盡ることなきを楽しむ。八神殿を皇都に鎮座して
悪神魔神の障碍を除き(八神殿とは、天皇の守護神として宮中の神殿にまつられる八柱の神。すなわち、神産日神かみむすひのかみ・高御産日神たかみむすひのかみ・玉積産日神たまつめむすひのかみ・生産日神いくむすひのかみ・足産日神たるむすひのかみ・大宮売神おおみやのめのかみ・御食津神みけつかみ・事代主神ことしろぬしのかみの称。『古語拾遺』に「爰に、皇天二はしらの祖の詔に仰従ひて、神籬を建樹つ。所謂、高皇産霊、神産霊、魂留産霊、生産霊、足産霊、大宮売神、事代主神、御膳神。已上、今御巫の斎ひ奉れるなり。櫛磐間戸神・豊磐間戸神。已上、今御門の御巫の斎ひ奉れるなり。生島。是、大八州の霊なり。今生島の巫の斎ひ奉れるなり。坐摩。是、大宮地の霊なり。今坐摩の巫の斎ひ奉れるなり。」)下賎短才を免れ、君臣相和し、乃至治世安楽なり。彼の儒生の見の及ぶところならず。天御柱左遷右旋して陰陽徳を運し天地定まる。若し不才なれば子弟と雖も岩櫲船に載せて風のまにまに放り棄つ(天磐櫲樟船(アメノイワクスフネ)は日本書紀の「第五段本文 神々を生む」で不完全な神「ヒルコ」を捨てるための「船」)。若し暴悪なれば勇才といえどもこれを根の国に放逐す。罰すべければ一日一夜相隔てて住す。母を害する子は斬って三段と為し五段となす。(神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれたカグツチは火の神であったために、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまう。その後、怒ったイザナギに十拳剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」で殺された)。不順の国なし。煩細の令なくして天下平なり。彼の支那の如き尭舜上に位して禹
皋陶をして三苗を征す(禹は部族連合の首領となった後、皋陶を助手にしました。皋陶が死ぬと、益を助手にしました。禹が死んだ後、益が部族連合の首領の任務を継ぎました。しかし、禹の家族は永久に部族連合の管理権を持ち続けようとしました。禹の子の啓は一部の部族と氏族の首領の支持を勝ち取り、部族連合が分裂しました。益はやむなく職を離れ、啓が各部族を支配しました。父子相伝(世襲)の始まりです。 氏族共同体は瓦解し、原始社会(ユートピア)は崩壊、奴隷社会へと移行します)。兵疲れ軍老退きて干戈を庭に舞す。而して三月にして三苗格る(正しくなる)。それより後の世は乱亡相継いで見るに足らず。我が朝の貴きこと知るべき也。

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