福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

高天原の神々は肉食をされぬが下界の神々は肉食される

2018-09-13 | 法話
高天原の神々(天津神)は肉食をされぬが下界の神々(国津神)は肉食される

慈雲尊者「問決」より

「問、神祇に肉を献ず、その是非いかん。
答、神書によれば高天原にては肉食の儀なし。下界にしては肉食もありうべし。旧事記に「詔して曰く、『汝、天児屋根命,天太玉命の二神、宜しく天津神籬に依りて葦原の中國に降るべし。宜しく吾高天原所御齋庭の穂を以て、亦まさに吾子に御すべし云々』(日本書紀の天祖の神勅に「時に、天祖(あまつみおや)天照大神・高皇産霊尊、乃(すなは)ち相語(あひかた)りて曰(のりたま)はく、「夫(それ)、葦原(あしはら)の瑞穗国(みづほのくに)は、吾(わ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。皇孫(すめみま)就(い)でまして治(をさ)めたまへ。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、天壤(あめつち)と与(とも)に窮(きはま)り无(な)かるべし」とのりたまふ。即ち、八咫鏡(やたのかがみ)及(また)薙草剣(くさなぎのつるぎ)の二種(ふたくさ)の神宝(かむたから)を以て、皇孫に授け賜ひて、永(ひたぶる)に天璽(あまつしるし)【所謂神璽(みしるし)の剣・鏡是なり】と爲(し)たまふ。矛・玉は自(おのづから)に従ふ。即ち、勅曰(みことのり)したまはく、「吾(あ)が児(こ)此の宝の鏡を視まさむこと、吾(われ)を視るごとくすべし。与(とも)に床(ゆか)を同じくし殿(おほとの)を共にして、斎(いはひ)の鏡と爲(す)べし」とのりたまふ。仍りて、天児屋命・太玉命・天鈿女命を以て、配(そ)へ侍(さもら)はしめたまふ。因りて、又勅曰したまひしく、「吾(われ)は天津神籬(あまつひもろき)【神籬は、古語に、比茂侶伎(ひもろき)といふ】及(また)天津磐境(あまついはさか)を起(おこ)し樹(た)てて、吾(わ)が孫(みま)の爲(ため)に斎(いは)ひ奉(まつ)らむ。汝(いまし)天児屋命(あめのこやねのみこと)・太玉命(あめのふとたまのみこと)の二はしらの神、天津神籬を持ちて、葦原の中国に降(くだ)り、亦(また)吾(わ)が孫の爲に斎ひ奉れ。惟(それ)、爾(いまし)二はしらの神、共に殿(おほとの)の内(うち)に侍(さもら)ひて、能(よ)く防(ふせ)き護(まも)れ。吾(わ)が高天原(たかまのはら)に御(きこ)しめす斎庭(ゆには)の穗(いなほ)【是、稲種(いなだね)なり】を以て、亦吾が児に御(まか)せまつれ。太玉命諸部(もろとものを)の神を率(ゐ)て、其の職(つかさ)に供(つか)へ奉(まつ)ること、天上(あめ)の儀(のり)の如くせよ」とのりたまふ。仍りて、諸神(もろがみ)をして亦(また)与(とも)に陪従(そ)へしめたまふ。復(また)大物主神に勅(みことのり)したまはく、「八十万(やそよろづ)の神を領(ひきゐ)て、永(ひたぶる)に皇孫の爲に護り奉れ」とのりたまふ。仍りて、大伴(おほとも)が遠祖(とほつおや)天忍日命(あめのおしひのみこと)をして、来目部(くめべ)が遠祖天槵津大来目(あめのくしつおほくめ)を帥(ひきゐ)て、仗(つはもの)を帯(お)びて前駆(みさきはらひ)せしめたまふ。」)。高天原には肉食の文を見ざれば上位の神祇肉食なきことを知るべし。日本紀に「下界の保食の神、口よりはたのひろもの、はたのさもの、毛のあらもの、毛の和物を出すと」(日本書紀上に「火照命(ほでりのみこと)、海佐知毘古(うみさちびこ)と為て、鰭(はた)の広物(ひろもの)・鰭の狭物(さもの)を取り、火遠理命(ほをりのみこと)は、山佐知毘古(やまさちびこ)と為て、毛の麁物(あらもの)・毛の柔物(にこもの)を取りき」。)とあれば、下界の神祇は肉食あること知るべし。

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