観音霊験記真鈔29/33
西國二十八番丹州成相寺千手像御身長一・・
釋して云く、千手經に云ふ大悲神呪
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を誦する者は十五種の善生を得ることを誓ひたまへり。
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謂く、一には所生の處に常に善王に逢う。二には常に善國に生じ。三には常に好時に値ひ、四には常に善友に逢ひ、五には身根常に具足を得、六には道心純熟し、七には不犯禁戒。八には所有の眷屬恩義和順し、九には資具財食常に豐足を得、十には恒に他人の恭敬扶接を得、十一には所有の財寶他の劫奪することなし。十二には意欲所求するところ皆悉く稱遂す。十三には龍天善神恒常に擁衞し、十四には所生之處に見佛聞法す。十五には所聞の正法の甚深義を悟る。一切の人天常に誦持して懈怠を生ずることなかれと云々。西國二十八番丹後國輿佐郡成あいて此の所に住み、常に法華経をよみ香花をささぐ、一冬大雪つもり人さらに通はず。十日餘り飢におよぶ、しかるところに一の狼庭に来たり鹿を殺して去る。此の僧、鹿を煮て食し經を誦して観音を念ず。雪晴れて里人来たり問ふに此の事を語る。里人鍋をあけて是を見れば柏葉のみあり。里人問て云、何ぞ柏葉を煮るや。沙門鹿肉の柏葉に變ずるを見て不思議の事に思ひ、具さに前の事を語る。里人ほめて云く、観音の慈力、僧の修力、此の靈感ありと。尒して観音の腰股を見たてまつれば切割きたる疵あり。柏葉を以て御股に押し合わせ懺悔するに諸人拝み奉る處にて
尊像もとの如くに成相玉ひにけり。夫れより後彼寺を成相寺と名く。或人云く、今の僧は齋圓法師と云人なりと。傳記未だ詳らかならず矣。
歌に
「波の音 松の響も成相に 風吹渡る天の橋立」
私に云く、歌の意、上の句は松風の音に鳴ると云ふ枕詞なり。「ひびきもなりあひ」と読みつつ゛けたり。下の句の「あまのはしだて」は天の橋立は丹後國の名所あんり。八雲抄にあまのはしだては丹後なり。ただ橋立とも云ふなり。是は橋にあらず海中に出たる山嶌さきの松原の橋に似たるなり。又與佐の海なりと。所詮この歌は内證観音の利益をふくめり。松吹く風も観音圓通の説法なれば、衆生煩悩の疵も自ずから佛身にありあひ終に浄刹の臺に上らんことを天の橋立と詠吟なされたる欤。金葉集に小式部内侍の歌に
「大江山 いく野の道の 遠ければ ただふみも見ず 天橋立」
又続古今の歌に
「葛城の夜の契りは かたくとも ふみだにみせよ あまのはしだて」
(続古今01115には匡房として「かつらきの-よるのちきりは-かたくとも-ふみだにみせよ-くめのいははし」)
又後撰集の歌に
「へだてつる人の 心のうきはしも あやふきまでに ふみ見つる哉」
(後撰集歌番号一一二二。男の女の文を隠しけるを見て、もとの
妻の書きつけ侍りける。四条御息所女とあり。)
西國の歌に引き合わすべし。