福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 13/14巻の4/9

2024-10-28 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 13/14巻の4/9

四、祇園仲源寺の像

祇園仲源寺(仲源寺は、今も京都市東山区にある浄土宗の寺院。山号は寿福山。本尊は地蔵菩薩。目疾地蔵とも称されて眼病に霊験があるとして信仰されている。観音堂は洛陽三十三所観音霊場第16番札所)の地蔵尊は人王六十六代彼の一條院の御宇(在位:986年〈寛和2年〉- 1011年〈寛弘8年〉)法橋定朝の作なり。抑々當寺の濫觴を尋ねるに人王八十五代後堀川院の時安貞二年(1229年)八月の節、大風吹き来たり洪水いでて民屋を漂はす。唐には洪水せしと云ふ風聞だに怖畏して所を去り山に登らん事を謀る。況や是は眼前の漂流なれば帝都大に騒ぎて卿相百官何(いかん)せんことを評議し玉ふ折節江州勢田の橋流れんとする所に勢田判官為兼と云ものの謀を以て流れること無し。此の事都に聞へ感悦ありて洛中の水源は賀茂川なれば彼の者に仰せ付けられて水を治しせしめんとの衆議一同して、則ち院宣をぞ下されけり。判官異義あるべきにあらざれば、勅命を蒙り彼の賀茂河に向事のありさまを窺ふに中々人力の及ぶべきにあらず。且く忙然として居りけるが思惟すらく、此度若し洪水を止めずんば主上の明鏡を虚しくし衆人の嘲哢一身に逼れりと、眼を開きて見る所に何地よりともなく僧一人来たり玉ひ、汝が思念の測るべきにあらず。唯佛神の加被力を仰ぐべし、先ず天神地祇を祀り幷に夏の禹王・弁財天等を勧賞申し奉るべしと云々。為兼奇特の思をなして僧の皈玉ふ跡をしたひ見るに四条河原藪の中に地蔵堂あり、其の院内に入り玉ふと思へば、けすごとくになり玉ふ。いよいよ奇異のことなりと即ち奏問を成し奉りて叡慮のほどを伺ひ奉る。陛下聞し召し佛の御示し疑ふべきにあらずとていそぎ川の南北に禹王・弁財天等を勧請し奉りける。佛言むなしからず、早速洪水をさまりき。上一人より下庶民にいたるまで、これひとへに地蔵薩埵の御方便なることを信じて即ち彼の地蔵堂に御幸なり玉ひて仲源寺と勅額を成し下されける。御宸翰今に現在せり(不明)。其れより以来霊験日に増して・・群衆せり。其の後俗の説に目病の地蔵と号す。因縁を尋るに、京錦小路に宗圓と云者あり。地蔵の靈なることを感じて日々に参詣す。或年眼を患ひて久く参詣の願を虚しくすることを哀しみて思念すらく、若し諸の有情身心衆病に悩まされ至心に地蔵菩薩を念じ奉ら憂苦悉く除かんと、十輪経には説き玉へり(大乘大集地藏十輪經序品第一「若入無諍智定。由此定力令彼 佛土一切有情身心勇健遠離一切怨憎繋縛和順歡娯愛樂具足施戒安忍勇猛精進心無散亂成就智慧」)我いかなる宿因ありてか如此の病に値へるや。某、何の信か至らざるやぞと恨み奉りける。其の夜の夢に薩埵宗圓に向ての玉はく、汝平生我を念ずること久し。我亦汝を護念す。宿業感果して眼を憂ふ、しかじ我汝が苦に代て憂を去んとの玉ふかと思へば覚めて眼をひらくに明々として本の如し。餘の奇瑞のことに速やかに仲源寺に詣でて佛像を拝し奉れば菩薩の玉眼より涙滴る。真に此の菩薩は毎日晨朝に諸定に入り無佛の衆生の苦に代わり今世後世能く引導し玉ふと如来の金口むなしからず(仏説延命地蔵菩薩経「一の菩薩あり。名づけて延命地蔵菩薩といふ。毎日の晨朝に、諸の定に入り、六道に遊化して苦を抜き楽を与」)と随喜の涕泣斜めならず。それよりいよいよ信力堅固に天年を果たしけるとぞ未来のほどたのもしくぞありける。此の神異天下に充満して老弱目病の地蔵と號せり。今に至りて涙の跡歴然たり。されば眼根の一二かぎるべからず六根通身の患ひありとも此の方の至誠を以て祈り申さば何の望みとして叶はざらん。何の願か満足なかるべきや。其の一偏の奇瑞を挙げて万徳のあらざることを思惟せよ。それより以降神異人口にあり煩はしく記さず。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日は僧侶の山林修業が許さ... | トップ | 円融天皇の即位に伴う一代一... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

先祖供養」カテゴリの最新記事