以下「明治の仏教者」の趣旨によります。「渡辺全愚は明治初期の最も禅僧らしい禅僧といわれた。
20歳のころ美濃の国から易学を志して京にのぼる。西本願寺前で伽藍が立派すぎるとして唾棄して立ち去った。比叡山で滝行した時、観世門菩薩の霊夢をみて仏法に志した。美濃の龍福寺万寧和尚下で得度、号を全愚としする。その後久留米梅林寺羅山和尚のもとで印可、伊深の正眼寺で雪潭に参ず。美濃の佐野に栄昌院を建立、その後全生庵開祖越叟和尚の死去により明治17年山岡鉄舟の招きで谷中の全生庵住職。鉄舟の死後白山の竜雲院にうつる。明治37年11月24日死去。71歳。昔の禅僧の風貌をのこしていた全愚は鉄舟の前でもごろりと横になって話した。当然一生不犯。」
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