福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

お大師様の御足跡寺院その33

2013-09-23 | 法話
33,東寺勅賜・・・大師五十歳、(弘仁十四年、八百二十三)一月十九日、嵯峨天皇より東寺(教王護国寺さらに正式名として「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」と「弥勒八幡山総持普賢院」)を賜る。「高野大師御公伝」に「弘仁十四年正月十九日、東寺を以て永く大師に給す。・・その後天皇大師を以て師主となし、灌頂を受く。本朝天子上皇入壇受法、平城嵯峨よりはじまる。大師を尊重するに依るなり。又天皇綿百屯を賜る。副詩一篇、大師に奉る。その詩にいわく
『閑僧久しく住す、雲中の嶺。松柏料知甚だ静黙、煙霞不解幾年蚕食。禅關近日消息断えたり、京邑は如今華柳寛なり。菩薩この軽贈を嫌うなかれ、施者を救い世間の難のためなり。』
・・大師恩賜を報謝し詩を以て答う。『 乱點疑うなかれ舞鶴の起、赴湘連似旅雁行。花苑正開春日色。月天遍照秋夜明。對之観者目眩曜、共賞草書丹青を咲かす。絶妙の芸能測るべからず、二王没後此の僧生。既知風骨人擬すなかれ、収置秘府最開情。』
弘法大師行状絵巻には「・・巻第八第一段、・・・弘仁一四年正月一九日、忠仁公勅使としてこの寺を以て永く大師にたまひて真言密教の庭とし、師資相伝のところとせり。これすなわち大唐の青龍寺、元は大官道場たりしを恵果和尚に勅許ありし例なり。これによりて大師請来の百余部の金剛乗の法文、三国相承の仏像、仏舎利、阿闍梨附属の健陀穀子の袈裟、道具等、悉く大経蔵に納め、宗の長者たる人あいつぎて検校す。・・」とあります。
自分自身のことでいえば父はここの東寺中学の卒業であり、自分自身も東寺でおこなわれている松本和上の悉曇伝授に平成二十年より二十五年の現在までかよわせていただいており、また数々のお蔭を頂き、無上の法悦にひたっております。

・大和益田池潅漑を指導。・・またこの年(大師五十歳、弘仁十四年、八百二十三)大和益田池の灌漑をご指導され有名な大和州益田池碑銘并序をつくられました。

「大和州益田池碑銘并序 若夫、感星銀漢下灑之功深、湖水天池上り潤すの徳普し、故に能く屮芔(そうき・・草)これによりて鬱茂たり、蟲卵これに頼りて長生す、八氣(はっき・・八紘の気で寒暑を出す)播殖し、五才(五行)陶冶するがごときにいたっては、北方之行、偏に其の最一に居り、坎(かん・・北方の水の徳)の徳たること遠いかな矣、皇いいなるかな、粤(ここ)に益田池あり。兩の尊(伊弉諾、伊弉冉)鼻子之州(はなこのしま・・大八州)、八烏(やたがらす)初導之國、地は是れ漢諳(あまそら・・人名、不承)ご舊宅、號は村井之故名、去弘仁十三年仲冬之月、前和州監察藤納言紀大守末等、亢陽(こうよう・・旱を防ぐ)の支ふべきを慮りて、膏腴(こうゆ・・豊作の土地)の未だ開けざるをなげく。、斯の勢處を占めてこれを、奏し請うに綸詔(りんしょう・・みことのり)即ち應ず、爰に藤紀二公(とうきじこう・・藤原氏と紀野氏)、及圓律師等をして功を剏(はじむること・・はじめる)こといまだ幾くばくならざるに皇帝〈嵯峨〉汾襄(ふんじょう・・太上皇の宮)に遊駕(ゆうが・・いでまし)したまひぬ。藤公從これによって辭職、紀守も亦遷二越前一、今上〈◯淳和〉堯の揖讓(ゆうじょう・・堯帝が礼を尽くして帝位をゆずたこと、ここでは嵯峨帝が淳和帝にゆずったことをいう)に膺って(あたって)舜の寶圖を馭す(舜の寶とすべき国王をおさめた)、玉燭(天皇の威光)を二儀(じぎ・・てんち)に照(あきらかにし)、赤子を八島に撫ず。伴平章事國(はんへいしょうじこく・・大伴の国道)を簡んで代って國事を撿しむ。並びに藤廣(藤原藤広)を拔でて刺史に任ず。兩公池事を撿挍す。ここにして青鳧(せいふ・・金銭)塊を引いて數千之馬日に聚う。赤馬(くるま)人を駈りて、百計之夫夜集、旣而車馬轟々而電のごとく往き、男女磤々(いんいん・・雷のとどろくさま)靁のごとく歸く、土雰々而雪のごとく積り、堤倐忽而雲のごとく騰る、宛如も靈神(れいしん・・霊験あらたかな神)の埴を埏(ねやす・・ねばつちをねって器をつくる)がごとし。還って洪鑪(大炉)の化産するかと疑う、成ること日あらず、畢うること年にあらず、之を造るは人也、之を辨ずるは天也、爾して乃ち池之状也、龍寺左にす、鳥の陵を右にす、大墓南に聳え、畝傍北に峙てり、來眼精舍其の艮に鎭めたり、武遮むし荒壠(あらかわ)其の坤を押せたり、十餘の大なる陵聯綿として虎のごとくに踞り、四面の長き阜邐迆(りい・・ななめにつらなる)として龍臥す、雲松嶺之上蕩し、水檜の隈の下に激す、春の繡(ひもの)映池、觀者歸ることを忘れ、秋の錦林に開けて、遊人倦まず、鴛鴦鳧鴨(えんおうふこう・・おしど・かも)、水に戯れて歌を奏し、玄鶴黄鵠、汀に遊んで爭って舞う、龜鼈頸を延べ、鮒鯉尾を掉かす、淵獺魚を祭り、林烏哺を反す、積水天を含み、疊山景を倒にせるがごときに洎(およむ)では深きこと海に似たり、廣きこと淮に超えたり、昆明之儔(ともがら)に非ることを笑い、耨達(のくたつ・・阿耨達池)の猶お少さきことを晒あざける、虎嘯濤を鼓するときは、驚汰(なみ)漢(てん)にいる。龍吟じて堤を决くるときは、容與(ゆうぜん)して飽かず、陵に襄る罔象(ぼうしょう・・水神)も其の塘を溢することを得ず、山を燃す女魃(じょはつ・・ひでりのかみ)も、其底を涸すことあとあたわず。六郡潤を蒙むり、萬澮湯々(挽回少将・・無数の小川さかんにながれる)、一人慶有る時は、兆民之を頼る、舞し蹈して、千箱を詠じて擊腹し、手ずからし足ずからして、万歳を唱えて力(つとめ)を忘る、蒼海の數しば變ずることを歎いて、銘詞を餘が筆に索む、貧道不才にして仁に當る、固辭不能、虚に課(きょにおおせ・・むなしい頭脳にして)章を吐く、迺ち銘を曰、 『希夷たる象帝 たいいつ未だ萌さず 盤古不出 國常生れることなし 元氣倐動 葦芽(いげ)乍驚 八風扇鼓 五才縱横 日月運轉 山河錯峙 千名森羅 萬物雜起 藤膚旣隱(とうふすでにかくれて) 稷秔爰始 天池人池 灑霑功似 前堯後禹 慮り厚くして人を恤む 智略廣運 慈悲且仁 機事不測 成功神のごとし 物を潤すこと如雨 人を榮さすこと似春 綸綍雷のごとく震うて 有司創功す 紀藤(紀氏藤氏)薙草(開拓する) 果績圓豐 伴相(平章事国道)施計し 原守公に在り 良才奇術 民具(みな)風に靡く、爰に一坎(かん・・池)あり 其名益田 堀ることは人力 成ることは天よりなり 車馬霧聚 男女雲連 歸來子に似たり 功を畢うることレ不年 深くして且つ廣し 鏡のごとく徹して紺色 滉瀁渺瀰(こうようびび・・水が限りなく広がって深い) 瞻望極罔し 百溪之宗 萬派之職(もとい・・もと) 魚鳥涵泳 虬龍斯に匿る 沃澮汎溢(けんかいはんいつ・・みぞにみずがあふれる) 甾畬(しよ・・新田)播殖 孳々(しし・・つとめる)我蓻(ううる・・植える) 穟穟(すいすい・・すくすくそだつ)我穡 坻(ち・・小鳥)の如し京(けい・・おか)の如し 兵足り食足る 井田我事 堯帝何力』

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