Q,神道、儒教、仏教は本質的に違うのですか所詮同じと考えていいのですか?
A,慈雲尊者の「門决」に「一致というも差別というも、もしその趣を得て言い出さば許すべし。もしその趣を得ずば一致という非なり、差別というも非なり。・・・・神祇の趣易の係辞等に詳らかなり。左史諸典礼記の諸書ならびに神祇を言わざるはなし。舜典に名山の祭りあり。古今依準す。神書の中に舎人親王儒典をもって国事を書す。人神一体これを唯一神道といふ。人道は孔孟これを詳らかにす。神道は我が三紀(古事記、日本書紀、風土記)あり。ここにいたって別とすべからず。又、歴代の記録に佛經を講演受持して神威を増長す。義をもって論ぜば神儒は有為法なり、仏法は無為の教えなり。有為無為元来融渉に至りては神儒仏誠に一致なり。・・後生得脱の行は仏法を修習すべし、治国の儀式、君臣の礼節は神道我朝のなしきたりに依順し、事に臨んでは儒書をも我が用とすべし。」とあります。(それぞれの本質をよく勉強していえば同じとも違うともいえる。勉強しないで同じとか違うというのは論外である。・・・儒教にも神を祭ることは書かれてあるし、歴史的にもお経を神に読誦して神威をましてきた。三教は一致している面もあるが、仏教はおもに後生をいのり苦からの得脱をめざし、神道は治国、君臣の礼儀を教えるもので、儒教もそのポイントを教えるものである。)
A,慈雲尊者の「門决」に「一致というも差別というも、もしその趣を得て言い出さば許すべし。もしその趣を得ずば一致という非なり、差別というも非なり。・・・・神祇の趣易の係辞等に詳らかなり。左史諸典礼記の諸書ならびに神祇を言わざるはなし。舜典に名山の祭りあり。古今依準す。神書の中に舎人親王儒典をもって国事を書す。人神一体これを唯一神道といふ。人道は孔孟これを詳らかにす。神道は我が三紀(古事記、日本書紀、風土記)あり。ここにいたって別とすべからず。又、歴代の記録に佛經を講演受持して神威を増長す。義をもって論ぜば神儒は有為法なり、仏法は無為の教えなり。有為無為元来融渉に至りては神儒仏誠に一致なり。・・後生得脱の行は仏法を修習すべし、治国の儀式、君臣の礼節は神道我朝のなしきたりに依順し、事に臨んでは儒書をも我が用とすべし。」とあります。(それぞれの本質をよく勉強していえば同じとも違うともいえる。勉強しないで同じとか違うというのは論外である。・・・儒教にも神を祭ることは書かれてあるし、歴史的にもお経を神に読誦して神威をましてきた。三教は一致している面もあるが、仏教はおもに後生をいのり苦からの得脱をめざし、神道は治国、君臣の礼儀を教えるもので、儒教もそのポイントを教えるものである。)