福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・13

2024-01-13 | 諸経

妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・13

三には愚痴を離る。

「若多愚癡。常念恭敬觀世音菩薩。便得離癡。」

「若多愚癡」とは、愚痴偏増の苦を明かす。釈名を云はば、自惑を「愚」とし、他を惑すを「癡」とす。凡そ愚痴は貪欲瞋恚が為の根本なり。貪るまじきを貪り、瞋るまじきを瞋る、皆是顛倒して理に暗きが故なり。痴の甚だしき者は因果なしと云ひ、三寶なしと撫無す。是に依て無量の悪見を起こして諸惑を増長す。或は生を殺して天神鬼神等を祀って是を以て福を求め(王舎城の婆蘇大仙は天を祀るに羊を殺すべしと云て生身に地獄に入る)(大智度論・初品中住王舎城釈論第五「婆藪仙人の言わく、『天祀の為の故に、応に生を殺して、肉を噉うべし。此の生の、天祀中に在りて死するが故に、天上に生ずるを得。』と。諸の出家の仙人の言わく、『汝は、大いに是ならず。汝は大いに妄語せり。』と。即ち之に唾して言わく、『罪人、滅し去れ。』と。是の時、婆藪仙人、尋いで、地に陥入して踝を没す。是れ初めて大罪の門の開くが故なり」。)或は子を誕て慶とて親族を聚て鮮き魚を煑、新なる鳥を殺して皆此の肉に耽って是真の慶祝なりと思へり。(長命無病は不殺生の報、短命多病は殺生の果なり。豈殺生し肉を食して寿命を長遠ならしむる理ならんや)又財理に悖(さかっ)て出る道理を知らざるが故に非分に人の財寶を掠劫して、現に王法の刑戮に遇ひ、或は山野の獣を猟り、江海の鱗を漁てこれを以て妻子眷属を畜ひ、以て一生の快楽を極めんと思へり。若し過去の善の勢力盡ぬれば現世の中に大きなる衰損を招く。當来の苦は云に足らざるところなり。或は偶ま佛法を見聞すといへども愚痴の故に僻見を起こして漆桶の如くにして轉ぜざる者あり。今の世に或は断食して福を求め、裸形にして活命する者あり。此等皆出世真實の修行する人、勇猛にして飢寒を厭はざるを見て、さては飢寒即ち真の道ぞと誤れるより起これり。かくの如くの顛倒の事、無量無邊にして述盡すこと能はず。今の世に聡明智慧なりといへる学生道人も悪見を免れたるは少なし。皆是聖教を見るといへども其の實理を究ず、善知識の開示に遇ふことなければ、我が心の師として猥に其文を執するより起これり。智あるすら猶かくの如し、況や其の下をや。勤めて諸佛菩薩の力を仰で正見正智を得んことを願ふべき者なり。復次に或は人の聞法を障へ、他の学道を妨ぐるに因って當来に愚痴暗鈍なることあり(周利盤特は先世に高座の法師たりしが、一の妙義を隠して教えざりし罪に由りて暗鈍の報を得たりといへり)。是亦慎むべき者なり。凡そ因果は聲(因)と響(果)との如く、形(因)と影(果)との如くなれば、證果の羅漢も全く轉ずること能はず。而るを人として因果を恐れずんば縦(たとひ)八万の法蔵を解知するとも愚痴の中の大愚痴なり(佛の御子善星比丘は八万の聖教を諳んじたれども因果を撥無せしが故に生身に地獄へ入れり)(

https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwivv-OvgPWBAxU_rlYBHequAakQFnoECAwQAQ&url=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%2596%2584%25E6%2598%259F&usg=AOvVaw3oTFRPoZW57pkYibHzb1HQ&opi=89978449)。若し因果を辨へて報を怖れば一文一句を解せずとも大智慧の人と云つべし。何となれば因果を恐るるは是佛法の初門なり。彼の因果を蔑する者は初門にすら入ること能はず。何に況や深理をや。唯聖教を尋ね善知識を求めて自心の朦霧を開くべき者なり。

「常念恭敬観世音菩薩」とは、機を明かす。天性愚鈍の人、利智を求めて観音を念じ愚痴を離れんと希ふなり。理の常念の中に先ず蔵教に約せば愚痴を対治せんとならば、十二因縁を用ゆべし、過去の業とに由て現世の果を受け、又現世の煩悩業に依りて未来の果を受く。此の如く過去遠遠、未来永永、流転の次第かくの如しと観ずる時は、自ら断常の二見を破す。謂く三世相続するが故に断無にあらず。三世代謝するが故に常住に非ず。又過去の放逸の樂は現在の苦と變じ、過去の業苦精進は現在の樂と成ると知るが故に常見を破す。(凡夫は現在に楽しむ者は未来にも楽しむべし、現在に苦しむ者は未来にも苦しむべしと

思へり。是則常見なり。愚痴より生ず。)又未来の苦果ありと知るが故に断見を破す。(儒教に人は氣を受けて生じ、死しては性に歸と云ひ、老子の虚無自然にして万物を生ずと云も皆是断見を離れず。)此の断常二見を破すれば、六十二見(外道の見の総体)悉く皆破せらるるなり(諸の悪見は愚痴を根本とす)。

問、愚痴なる者は目前の事すら知ること能はず、況や過去未来の事をや。三世の因縁を観ずることは愚人の難ところなり如何。

答、今の愚痴とは一向に無智なるには非ず。一向無智慧の者は唯観音彌陀等の名号を念ぜしむるに利益あり。憖(なまじひ)に少しき智慧ある者は自の分別思惟を本として因果を撥無し三寶を蔑にす。此等の者の為に此因縁の観を用て愚痴を対治するなり。餘の通・別・圓の観心は皆前に準じて知れ。

「便得離痴」とは、應を明かす。事理の常念皆愚痴を離るる功あるべし。

 

 

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