百錬抄 / 正元元年(1259)四月廿七日庚子条「飢饉疫疾等の御祈りに依って、臨時の二十二社奉幣使を発遣せらる(去る十一日日吉
社の火事に依って延引す)。権大納言資季卿已下これに参る。今日より疫疾御祈りに
依って、諸社に於いて七ヶ日仁王経御読経を修せらる。」
「正嘉三年1259の春頃より世の中に疫癘(疫病)おびただしくはやりて、下﨟ども病まぬ家なし、川原などは路も無き程に死骸充ちて浅ましき事にて侍りき。飢饉もけしからぬ事にて、諸国七道の民も多く死亡せしかば(五代帝王物語)」。
正嘉三年年四月二十七日(旧・3月26日)に正元”と改元。