日本紀略 / 長徳元年(995)四月廿七日癸卯条
「廿七日癸卯 定 諸国并に宇佐宮等 各の大般若経・六若経・六観音像を書写す。 疾疫之災を攘す。 相撲節会停止畢。」
天皇は一条天皇。
長徳に改元前後に全国を席巻した疫病が起き、ついで中関白藤原道隆の薨去とそれに伴う政争があり、程なくして内大臣藤原伊周・中納言藤原隆家兄弟といった公卿が政変(「長徳の変」)によって流されるといった騒動があった。
日本紀略 / 長徳元年(995)四月廿七日癸卯条
「廿七日癸卯 定 諸国并に宇佐宮等 各の大般若経・六若経・六観音像を書写す。 疾疫之災を攘す。 相撲節会停止畢。」
天皇は一条天皇。
長徳に改元前後に全国を席巻した疫病が起き、ついで中関白藤原道隆の薨去とそれに伴う政争があり、程なくして内大臣藤原伊周・中納言藤原隆家兄弟といった公卿が政変(「長徳の変」)によって流されるといった騒動があった。