福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

法句経

2013-08-29 | 諸経
第二十三 象の部

三二〇 象が戰場に於て弓より離れたる箭を忍ぶが如く、我は(人の)誹謗を忍ばん、多くの人は破戒者なれば。
三二一 調(をさ)められたる(象は人是を)戰場に導き、調められたる(象)は王の乘る所となる。能く(自ら)調めて誹謗を忍ぶは人中の最上なり。
三二二 調められたる騾も好し、信度産の良馬も良し、大牙を有せる象も好し、己を調めたる人は更に好し。
(信度―インダス河のこと、此の地方より良馬を産すと云ふ。)


三二三 此等の獸類に由りては決して未到の處に到るを得じ、唯調めたる人が(己を)調め、善く己を調めてのみ往くべし。
(未到の處―涅槃を指す。)


三二四 陀那波羅柯と名づくる象は醉狂して制し難く、此を縛すれば食せず、(此の)象は(唯)象の林を顧念す。
三二五 睡眠を好み、饕餮に、心昧劣にして、展轉して寢ね、穀類に肥えたる大豚の如き暗鈍者は數(しば)しば胞胎に入る。
(饕餮(たうてつ)―貪り食ふこと。)


三二六 此の心は前には好む所に行けり、欲に隨つて、樂に應じて、(されど)今は我、此を全く制御せん、鉤を執る人が醉象を(制御するが)如くに。
(醉象―象は交尾期に至れば躁暴となり宛も醉狂せるが如し、故に此の時期に於ける象を醉象と名づく。)


三二七 汝等不放逸を樂め、自心を護れ、難處より己を救へ、淤泥に溺れたる象の如くに。
(難處―煩惱の離れ難きを喩ふ。)


三二八 人若し賢善にして行を同じくし、正しくふるまひ、堅固なる友を得ば、諸の險難を侵して歡こんで正念に彼と倶に行くべし。
三二九 人若し賢善にして行を同じくし、正しくふるまひ、堅固なる友を得ずんば、王が亡ぼされたる國を棄つるが如く、獨り行くべし、林中の象の如く。
三三〇 寧ろ獨り行くを善しとす、愚者と侶なる勿れ、獨り行きて惡を爲さざれ、少欲にして、林中の象の如く。
三三一 友は事の起るとき樂なり、滿足は總て樂なり、福は生の盡るとき樂なり、一切苦の斷滅は樂なり。
(事の起るとき―友は福あれば助けて此を求め、禍あれば助けて此を避くるを以てなり。)


三三二 世に母性あるは樂なり、父性あるも亦樂なり、世に沙門の性あるは樂なり、婆羅門の性あるも亦樂なり。
(母性―「母と云ふもの」の義。
父性―「父と云ふもの」の義。)


三三三 戒を持して老に至るは樂なり、信の堅く立つは樂なり、慧を得るは樂なり、諸惡不作は樂なり。
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