福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

法句経

2013-08-29 | 諸経
第二十二 地獄の部

三〇六 不實を語るものは地獄に墮す、或は(自ら惡を)作して我作さずと言ふものも(地獄に墮す)、此兩人は死して後等しく他世に於て賤業の人となる。




三〇七 肩に袈裟を纏ふものの多くは惡を行ひ節制なし、(斯かる)惡人は惡業に因りて地獄に墮す。
三〇八 破戒無節制にして國民の施物を受用せんよりは寧ろ火焔の如く灼熱せる鐵丸を食ふべし。
三〇九 放逸にして他人の婦を犯す人は四事に逢ふ、善からざる名の揚ること、臥して不快なること、第三には毀呰と、第四には地獄なり。
三一〇 彼はよからざる名を得、又惡趣に墮す、而して(自ら)畏れて畏れたる(婦人)と樂むは寡(すく)なく、又王は重刑を科す、故に人は他人の婦に狎れ親む可らず。
三一一 譬へば茅草を執るに(其の方)惡しければ手を傷つくが如く、勤苦も惡用せられなば人を地獄に引き入る。
三一二 作業怠慢に、所守雜染に、梵行嫌疑あるは(何れも)大果を得ず。
三一三 應に作すべきものは是を爲せ、勇健に此を行へ、疎漫なる外道は寧ろ多く塵を揚ぐ。
三一四 惡行は爲さざるを可とす、惡行は後に惱を招く、善行は爲さるゝを可とす、爲して後悔なし。
三一五 邊境の城は内外倶に守るが如く己を護れ、須臾も忽にすべからず。
三一六 邪見を懷き、羞づべからざるを羞ぢ、羞づべきに羞ぢざる有情は惡趣に生る。
三一七 邪見を懷き、畏るべからざるに畏を見、又畏るべきに畏を見ざる有情は惡趣に生る。
三一八 邪見を懷き、避くべからざるに避くべしと謂ひ、又避くべきを避くべからずと見る有情は惡趣に生る。
三一九 生見を懷き、避くべきを避くべきと知り、又避くべからざるを避くべからずと知る有情は善趣に生る。
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