福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

高見沢潤子の言葉

2019-04-22 | 法話
NHK心の時間の高見沢潤子(小林秀雄の妹、田川水泡の妻、平成16年99歳で没)のインタビュー記事がありました。

「高見澤:  老いて、「こんなに歳を取って、もう私は何にも出来ないのだから、何にもしないで、皆さんがよくして下さるから、それでいい」ということはいけないと思いますね。出来ることはあるんです。寝たっ切りになっても読むことは出来るし、見ることも出来る。聞く出来る。聞けない人は書くことが出来る。何か一つでも出来ることがあれば、出来ることはどんどんやらばければいけないし、出来るだけ、死ぬまでやらなければいけないです。大きな魂という私たち一人一人をよく知っていらっしゃる方が、必ずそういうものを一人一人ささやかでも与えていて下さる筈です。「私は手芸だけしか出来ない」。手芸だって、折り紙だって、何だっていい。何でも一つは出来ることがあると思うんです。それを「もう私はダメだから」ということはいけない。いつまででも、その大きな魂が見ていて下さる。大きな魂の方がいのちをおとりになるんだから、そういう方のご命令に従って。だけども、人間としてまだ生きて、まだ息をして生きている。「あなたはまだまだ生きているんですよ」というご命令だと思って、何かしなければいけない。口が利ければ、口だけが利けるという人は口を利いて、いいことを喋ったらいいでしょう。為になるようなことが言えなかったら、楽しみになること、喜ぶことでもいいし、何でもいいから、自分が言いたいことを言って。だけども高慢にならないことですよ。自慢しないことです。いい気にならないこと。いい気になっちゃってダメなんです。いい気になって、ということは得意になることですよ。得意になって、自慢してはいけない。謙遜な気持でやることはやらないけないなということを一つ思うことですね。それが一番大事なことなんじゃないかと思います。「いい気になるな」ということと、それからほんとに、「謙遜な気持で、神様の思し召しに従って、私は死にます」という気持になって、そういう平安さを持って、すべてに任せて、ということが必要なんじゃないでしょうか。
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