好夢十因
第七に遥かに引接を期するが故にとは、真言不思議の教述に遇ひて順次上生の願を起こせば佛の本誓と言ひ、法の功能と言ひ、更に疑うところ無し雖も、若し業障厚く覆ひて誠心おこり難く、順次の上生猶ほ淹滞すとも、慈氏菩薩生々に引接し、世世に擁護したまふ。普遍の大慈は十方三世に互たる。何れの世にか摂せざらんや。又弥勒の楼閣は法界において籠む。設ひ何の生を受るともこの楼閣を離るべからず。依報(取り巻く環 . . . 本文を読む
第六に密行と相応するが故にとは、前段は上生経の説に就て聊か修行の方軌を挙ぐ。是随陀門なり。今この段は慈氏の儀軌に就きて供養念誦の枢要を出す。是随自門なり(仏自身の意に随うことを随自、相手のことを考えて、その意に随うことを随他)。
顕教には諸尊の三摩地を説かざるが故に其の行相簡にして初心の凡夫頓に入ること能ず。密教は如来の三密即事即理の秘密加持を説く。故に初心と雖も頓に本尊の三昧に入り易し。上生経 . . . 本文を読む
靖国神社今月の社頭掲示
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「大徳如法のために招提寺の封戸を恩賜するを奉謝する表」(弘法大師代筆)沙門如法言す。伏して招提寺の封戸伍十烟を恩施することを蒙る。如法、師に随って遠く聖朝に投って今に六十年。徳行取りどころなく、才能聞こえずといふといえども、先師の余慶聖朝の泰沢に頼って積恩塁畳して積んで年歳あり。伏して惟んみれば皇帝陛下、仁両儀に過ぎ(仁徳が天地の如く広く)、道貫三に隆りなり(貫三とは「三」の字の真ん中を貫くと「王 . . . 本文を読む
5月6日は鑑真和上の命日です。和上(・・・ - 天平宝字7年5月6日(763年6月25日))は、唐の揚州に生まれ、14歳で出家し、洛陽・長安で修行を積み、713年に故郷の大雲寺に戻り、江南第一の大師と称されました。天宝元年(742)、第9次遣唐使船で唐を訪れていた留学僧・栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、渡日を決意。その後の12年間に5回の渡航を試みて失 . . . 本文を読む
宿曜経には旧暦五月五日がどの曜日に当たるかでその年を占っています。
今年は旧暦五月五日は六月十四日月曜日に当たっています。宿曜経では「若し五月五日此の曜を得れば其の年疫病多く秋霜冷多し。」となっています。来年は旧暦五月五日は六月二日日金曜日に当たっています。宿曜経では「若し五月五日此の曜を得れば則ち歳中驚乱。」「・・人畜倒れ多驚、心を失ひ、必ず誑賊擾乱・・」となっています。もしこ . . . 本文を読む
今日は「菖蒲縵」の詔勅が発せられています。天平十九年748五月五日、詔して五月五日の節には宮中に入るのに「菖蒲の縵」をつけることを求めています。続日本紀、天平十九年五月五日の条「詔して曰く、昔は五月の節には常に菖蒲を用て縵となす。比来已に此の事を停む。今よりのち、菖蒲縵に非ざる者をば宮中に入るること勿れ」。(天皇は聖武天皇、これより先15年10月15日には「大仏建立の詔」が発せられています。)古来 . . . 本文を読む
第五に、上生経は最も易きがゆえにとは、
一には国土同界の故に。
二には、末世の凡夫を按ずるが故に。
三には修因最も易きがゆえに。
一に国土同界の故にとは唐の三蔵の云く、西方の道俗並びに弥勒の業を作す。同じく欲界なれば其の行なり易し。大小乗の師、みな此の法を許す。弥陀の浄土は恐らく凡鄙穢にして修行成し難し。旧経論の如きは十地已上の菩薩分に随って報身の浄土を見ると。新論の意に依れば三地の菩薩、 . . . 本文を読む
第四に舎利の縁あるが故なりとは、釈尊滅を示すと雖も舎利猶世に在ます。無漏法身當に凡夫の眼にあたる。誰か難遇の想を生ぜざらん。是に依って念念に渇仰の誠を致し、生生に値遇の願を発すべし。而るに兜率天は舎利に最も因縁あり。
・一には教主舎利を戴くが故に。教主既に之を頂戴したまふ。行人若し供養恭敬せば慈尊の行に同じ。
・二には兜率天は寶部を以て建立するが故に、舎利即ち浄心摩尼珠なるが故に寶部の主となる . . . 本文を読む
真宗大谷派僧侶で大谷大学名誉教授の金子 大榮は1881年〈明治14年〉5月3日に生まれています。 清沢満之、曽我量深とも親交が深く、浄土真宗の伝統的な教学・信仰を深い自己省察にもとづく信仰とによって受け止め直し、近代思想界・信仰界に開放した、とされます。「花びらは散っても花は散らない 形は滅びても人は死なぬ。(『意訳歎異抄』)」「人生は長さだけではない。幅もあれば、深さもある」等の言葉は有名です。 . . . 本文を読む
日本紀略 / 寛平五年閏(893)五月三日庚午条「三日庚午 大宰飛駅使来して偁ふ。 『新羅賊、肥後国飽田郡に於て 人宅を焼亡す。 又肥後国松浦郡に逃去る』と。 (宇多天皇は)即ち勅符を賜ひ 之を追討せしむ。」 . . . 本文を読む
第三に本誓深重のゆえにとは、大日経の疏に云「慈氏菩薩とは謂く、佛の四無量心なり。今慈を以て称首となす。此の慈は如来の種性の中より生じて能く一切世間をして佛家を断ぜざらしむ故に慈氏と曰ふ」と(大毘盧遮那成佛經疏卷第一入眞言門住心品第一)。一切如来は必ず四無量心に住して衆生を度す。此の四無量心は即ち慈氏菩薩の徳なるが故に當に知るべし此の尊は大慈大悲の主也。佛の慈悲を離れて我等何ぞ解脱を得んや。真言蔵品 . . . 本文を読む