SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

新1年生歓迎イベント

2009-06-02 | 鉄道・バス
私は小学校のおやじの会に入っており、毎年新入おやじとその子供を
富士山こどもの国へ引率して、親睦を深めるイベントがある。
昨年は我が家が招かれる側で、楽しいイベントを経て、そのまま
残留したのだった。
今年は私が引率する係りだ。
5/17(土)、今年は雨だったので急遽、近場の東急「電車とバスの博物館」に変更した。
前日の新橋ZZでの「さくら&竜巻堂」のライブの最中に決めて変更となった。

子供達は10回近くも行っている場所だが、たくさんの小学生が集まれば
それだけでも楽しいし、親たちの親睦も深まった。
終わってみると、みなさん参加してよかった。という声ばかりでよかった。

例によって、他の子供や親の写真は無いけれども、
記録として掲載。



ここは運転シュミレーターがあって、実際の車両で運転体験ができる。
バスと飛行機も同様に画像で加速や停止を経験できる。
東急電車はワンハンドル化が早かった会社で、子供にも簡単に理解ができるが、
このような古い車両はツーハンドルでなかなか難しい。




さすがに長男はツーハンドルの運転ができる。
右のブレーキを緩めて、左のマスコンで力行、ノッチオフ、惰行して、
ゆっくりブレーキングして停車する。




小学校1年生から2年生にかけて、子供の能力は飛躍的に進歩するように見える。
それは簡単な漢字を含めて文字がさっと読めて理解できるからだ。
いちいち親に聞かないでも自分で文字情報で行動できるのだ。




電車の運転手は敬礼するものと決まってるようだが、
最近、実際に敬礼をしている風景はあまり見ないのだが。




運転席にポツンと座る次男。

古い電車はいいものだ。
木のニスの匂い、床のオイルの匂い。
もう一度、タイムマシンで大昔の電車に乗りたいとよく思う。
子供の頃、近鉄電車の昭和初期の電車が100キロ超で全身を揺らしながら
疾走するのが楽しかった。
旧参宮急行2200系は余裕で110キロで疾走していたが、旧奈良電鉄の古い車両が
100キロ近い速度で走るときは、脱線するのではないかと思うぐらい迫力があった。
京阪神急行の100型もよく乗ったが、これは戦艦大和だなと思った。
重厚で落ち着き払った挙動だが、速度は100キロ越えだった。
目を瞑るとその匂いから、そんな小さな頃の風景が思い出された。




東急の古い路線図だ。
よく見るとたいへん面白い。

渋谷と代官山の間にはまだ「並木橋駅」がある。仔細に観察すれば現在でも
遺構を見ることができるのだが、もうすぐ地下化されてしまい、
すべて歴史のページ中に埋もれてしまう。

学芸大学が「碑文谷駅」で都立大学が「柿の木坂」である。
最近、この名称に戻そうという話があったが消えた。

なんと自由が丘は「九品仏駅」だ。
そして大井町線の現在の九品仏が「九品仏前」である。
ついでに言えば、尾山台駅はまだ無い。まだ田んぼしかなかった頃だ。

今や20万人を越える乗降客を誇る武蔵小杉はまだない。
そして、綱島が「綱島温泉」である。
戦前は数十件の温泉があり、関東の有馬とも言われた場所だが、
戦時中にほとんど無くなり、戦後は花街になっていった。


大倉山の位置には「太尾」という駅があるが、同一かどうかわからない。

東白楽-反町間にも駅がある。

横浜駅の手前に「神奈川駅」があったのか。京急には今もある。

目蒲線(多摩川線+目黒線)はあまり変わらない。
元々の東急の元祖みたいな路線だからか。
「本門寺道駅」というのは、今のどの辺りか。

そういえば、この路線図には池上線の表記が無い。
まだ池上電鉄で他社だった時代か。

大井町線を見れば、緑ヶ丘駅がない。
北千束が「池月駅」で、旗の台が「東洗足」となっている。
「戸越駅」は今の下神明駅で、「蛇窪駅」は戸越公園駅だろう。

これを見るだけでも楽しい。




道路を挟んだ別館にはYS11がありシュミレーターになっている。
ご存知の通り、東急電鉄は東亜国内航空(後の日本エアシステム、現在はJALに吸収された)を経営していたからだ。
実は、大株主として近鉄も参画していたのが面白い事実だ。

まずは長男から。
横で指導してくれる。




次男はママの膝の上に座って。
無事に着陸。




保育園、小学校仲間でずっと親しくしていただいている両親がともに
東急電鉄にお勤めだ。

私も就職活動で一番入りたかったのは鉄道会社だったのだが、
国鉄は採用ゼロ、私鉄も西武を除いて採用がなかったのだった。
行きたかったのは阪急か近鉄だった。
しかしもし採用があったとしても、当時は阪急は阪大、近鉄は京大しか
取らないという噂があったので、入れなかっただろう。
私の出身大学では「困ったら西武鉄道」と言われていたのだが、
単に趣味的に西武ではなかったのだった。
関東なら東急が一番良かったのだが、ここも当時は学閥が厳然とあり、
東大と慶應しか居ないと言われていたので最初から選択外だった。
結局、クルマの会社に入ったのだが、なんのことは無い、役員は
東大と慶應義塾出身のみで構成されていた。

そんな因果なのか、ママもまた然りなのであった。




たくさん遊んで、現地で解散した。
次もまたこういう博物館や科学技術系の博物館がよいのかもしれないと思った。

デパートに寄った。
親戚や義母と合流して、買い物をして帰った。




次男は義母にソフビ人形を買ってもらった。
「ニセウルトラマン」だ。

AF17-35mm/F2.8-4.0(D)は丸ボケが単焦点なみに美しいので掲載した。



SONY α900、AF17-35mm/F2.8-4.0(D)




コメント (8)
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