SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

DF50 57号機 和歌山市駅

2020-06-06 | 鉄道・バス

DF50型ディーゼル機関車は私のとってはありきたりのディーゼル機関車で、わざわざ撮るほどでもなかった。

実は138両しか作られていないので、割と少ないのだが、関西で育ったので、そこら中にDF50は居た。

主に紀勢本線、山陰本線、福知山線、播但線、四国、九州などにいたような記憶がある。

だから写真は意外に多く残ってない。

写真の57号機は調べてみると後にはお召列車を牽いている。

その際には解放テコを銀メッキしている。

写真はそれより前に撮ったものだ。まだ銀メッキされていない。

中学校の時に撮ったもので、1973年ぐらいだろうか。

製造期間は1957年 - 1963年だ。

写真では機関士がカメラを意識してポーズしてくれている。

和歌山市駅は南海のターミナルで、なんだかとてものんびりした駅だった。

DF50は1200馬力だったから、SLのD51の1280馬力よりも少ないぐらいだったが、動力コストはD51の4分の1ぐらいで、無煙化に重宝された。

ディーゼル機関車の傑作DD51の動力コストに比べても半分で済んだ。

それはおそらくDF50が電気式で馬力も小さかったからかもしれない。

電気式はディーゼル機関を動かし発電して、それでモーターを回すディーゼルとモーターのハイブリッド。

動力自体はモーターだから電気機関車のような機関車。

日産のePowerのようなシステムで、鉄道では既に1950年代に使われていた。

なぜ車への搭載ができなかったかと言えば、発電機の大きさと蓄電池のサイズが小さくできなかったからだろう。

発想としては古いものだ。

1962年にデビューしたDD51では、ディーゼル機関での直接駆動になった(液体式)。

それはトルクコンバーターが壊れにくくなったためだった。

鉄道はその後、ディーゼルはディーゼル機関で走るようになって、さらに現在はモーター駆動に戻っている。

それは大出力ディーゼルエンジンでのトルクコンバーター伝導が難しくなったからでもある。

トルコンの開発が進んでいなかったのである。

世界的にも電気式が多かったのだ。

なんだか皮肉な歴史なのである。

 

カメラ:キヤノネット

 

 

 

 


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