日々の恐怖 3月17日 フロント
初めに言ってしまうが、俺はホテルで働いている。
人手が足りない時なんかは15時間労働したりするが、楽しくて仕方がない。
Aとはよく行き着けの食堂で飯を食う。
何が有った、最近どうだ、良く会う割には話題は多い。
俺はカツ丼ラーメンを頼み、Aは餃子にビールを頼み、だらだらと様々な事を話す。
なかでも怖い話というか、そういう話は毎回出る。
Aは霊感が凄いヤツで、色々助けて貰ったり、巻き込まれたりもした。
その時の話や、今現在やってることなんかも良く話す。
ただ、その時は珍しく俺が話のネタを提供した。
うちの支配人が若い頃、実際に体験したという話だ。
当時、支配人はフロントとして外資系のホテルでバリバリ働いていた。
そんなある日、支配人はナイト業務と言って、専門のナイト担当者がいないホテルでのいわば宿直として夜十一時から朝八時まで働くことになった。
繁華街に近いホテルは一日中忙しい。
深夜二時、ベルが鳴ったそうだ。
ナイトは初めてではない。
慣れている。
深夜でも、酒に酔って帰り損ねた客がちょくちょくやって来る。
フロントバックで休んでいた支配人は、返事をしてフロントに向かった。
フロントに出てみると、いかにも暗そうな女性が立っている。
“ ちょっと、危なそうだな・・・。”
そう思ったが、やはり仕事は仕事。
お客様は一人でも欲しい。
少し迷ったが、結局料金を先に貰って、私製領収書を切って鍵を渡したそうだ。
そのお客様を見送った後、支配人はフロントに引っ込み、仮眠を取る。
四時過ぎに電話がなった。
仮眠から起きた支配人はそれを取る。
内線だ。
ナンバーディスプレイに表示された内線番号は、さっきの女性の入った部屋だった。
「 はい、フロントでございます。」
返事が無い。
「 もしもし、いかがされましたか?」
耳をすますと、妙な音が聞こえる。
“ まさか、何かあったんじゃないか・・・?”
そう思った瞬間、女性の息遣いが聞こえた。
「 ああ、すいません、何でもないです。」
支配人は胸を撫で下ろした。
「 ありがとうございます。」
「 ありがとうございます。
どうぞ、ごゆっくりお休み下さい。」
そんなやり取りをして、受話器を置いた。
チェックアウトというのはラッシュが来ると中々終わらない。
ビジネスマンが多い平日は朝早くに集中し、早番と応対するか、最悪ナイト担当が一人で応対する。
休日は逆だ。
チェックアウトのラッシュは遅く来る。
上手く行けばナイト担当が帰った後にラッシュが来るが、そうじゃないとナイト担当がそろそろ帰るか・・?という時間にラッシュが始まる。
そうなると中々帰れない。
その時は後者だったと支配人は言う。
「 ラッシュが八時頃から始まって、閑散期なのにリミットまで続いた。」
リミットというのは過ぎるとチェックアウト延長料を頂く時間だ。
「 十時までな。
それで、ラッシュが切れた頃にふとキーボックスを見たんだよ。」
あの客は、チェックアウトしていない。
不安になった支配人は電話を掛けた、勿論その部屋に。
出ない。
不安を煽られた支配人はその時の上司に頼んで、一緒に客室に向かった。
マスターキーで部屋を開ける。女性は鼾をかいて眠っていた。
白いウェディングドレス姿で。
「 きっと、婚約者にフられたんだろうな・・・。」
支配人はそう呟いた。
さて、当時の支配人と、その上司の目は、自然とベッドの横に行った。
そのスタンド付きの小さな机には沢山の錠剤の殻が散乱していた。
睡眠薬を使った自殺だとすぐに判る。
そして、電話側のメモ帳にはぐにゃぐにゃと曲がった文字が書いてあった。
支配人は言った。
「 あの文章が忘れられないんだよ。」
『4時××分
さようなら。』
その時間は、支配人が電話を受けてすぐの事だったらしい。
支配人と当時の支配人の上司は救急車を呼んだ。
鼾をかきつづける女性が入れられた救急車を見送った後、支配人の上司は、
「 あれはもう、ダメだな。」
そう言ったそうだ。
ここまで言い終えて支配人は溜め息をついた。
「 あの息遣いは、薬を飲み下した後の息だったんだな。」
それから数ヶ月して、支配人がまたナイトを担当した時に、暗い顔をした中年夫婦が来た。
「 ○○○号室は開いてますか?」
夫婦のその言葉を聞いて、支配人は理解してしまった。
あの女性は結局、死んだのだと。
「 けどさあ、おかしいよな。」
話し終えた支配人は続けて言った。
「 なんで、ルームナンバー知ってんだよ。」
支配人の話を俺の口から聞き終えたAは、何杯目だったかのビールを飲み干して言った。
「 そりゃあ、聞いたんだろうよ。」
「 誰に?」
「 わかってんだろ。」
笑顔でAに言い返された。
そんな気はしてた。
救急隊員から聞いたのかもと思ったが、支配人が疑問に感じるという時点で、その推理は間違ってるという事になる。
「 でもよ、泣ける話だよな。」
「 は?」
俺は間抜けな言葉を返した。
“ こいつの頭の中では両親の枕元に立つのが親孝行なのか?”
そんな事を一瞬考えた俺に、Aは笑いを見せた。
「 そのさようなら、ってのは、誰に向けた言葉だ?」
「 誰って・・・。」
家族とか、その彼氏とかだろう。
ウェディングドレスを着て結婚式を挙げる予定だった。
その事を告げるとAは、
「 彼氏は含めない。
家族だけだ。
だってドレスを着てるんだ。
自分を捨てた相手に、ウェディングドレスを着てさようなら、なんて言わないだろ。」
そう言われるとそんな気がしてきた。
けど、彼氏は含めない理由が解らない。
それに、自分を捨てた彼氏に対する当て付けとも考えられる。
「 ああ、前提が違うんだよ、お前は・・・。」
俺の反論を聞いてAは笑みを深くした。
「 彼氏は死んでるんだ。
だから、彼氏は含めない。
だから、メモは残した家族に向けたさようならだ。
だから、ウェディングドレスを着た。
これから彼氏に会うんだ。
さようなら、なんて言わない。」
“だから”、を連呼してAは締めくくった。
「 な、感動できる話だろ?」
どっちが本当のことかは分からない。
個人的には、きっとAは間違っていて、正しいというか正解に近いのは俺の方だと思う。
けれど、あの時、自分には判るとでも言うように断言したAを見ていると、どちらなのか、解らなくなってくる。
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