日々の恐怖 3月21日 奈落
「 今までも一度も考えたことないんだけど・・・。」
Mさんは去年飛び降り自殺を図ったという。
「 もう面倒くさくて・・・・。」
当時Mさんは結婚をしていたが、それ以外に恋愛中の男が一人、セフレが一人いたという。
「 誰にもバレてなかったんだけど、気持ちがグチャグチャで、精算したかったのもかもしれないなぁ。」
目に付いた五階建てのRCマンションの屋上に出ていた。
パークマンション○○という名前だった。
「 寝起きみたいなふらふらした頭で動いてた、現実感なんかなくて。」
金網をよじ登り、柵の向こう側、一歩先には奈落の底。
「 死にたいなんて、それまで今までも一度も考えたことないんだけど・・・。」
とくに覚悟を決めるでもなく、倒れるように宙に身を投げた。
一瞬、内臓がひっくりかえるような浮遊感を味わった。
すぐに気を失った。
一命はとりとめたが、下半身に後遺症は残った。
退院後は旦那がかいがいしく世話を焼いてくれ、絶望をゆっくりと溶かしてくれた。
旦那の書斎から、催眠術の本が見つかったのは一年後だった。
挟まったレシートから、購入日は当時のセフレが祝ってくれたMさんの誕生日だった。
一緒に仕舞ってあった日記は開かなかったという。
「 けれど、彼を問い詰めたい気持ちは沸いてこないの・・。
それどころか、申し訳ない気持ちでいっぱいなの・・・。」
そして、別れ間際、Mさんは震えそうな小声で聞いてきた。
まるで締め付けてくる喉に抵抗しているような、か細い声だった。
「 あのさ・・・・・。
自分が今も催眠術にかかっているか判断できる方法って知らない?」
「 知らない。」と、私は答えた。
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