日々の出来事 2月10日 えひめ丸
今日は、えひめ丸が沈没した日です。(2001年2月10日)
えひめ丸は、愛媛県立宇和島水産高校の実習船で、実習生を含む乗組員35名を乗せ、アメリカハワイ州のオアフ島沖を航行していました。
この えひめ丸に浮上して来たアメリカ海軍の原子力潜水艦”グリーンヴィル”が衝突し沈没、衝突の際に海上に投げ出された26名は救出されましたが、船内の9名が亡くなりました。
この事故の際、グリーンヴィルには”戦艦ミズーリ保存会”の民間人16人を乗せており、接待の一環で、緊急メイン・バラストタンク・ブローで水面への急速浮上を行いました。
そして、事故後、民間人に配慮して えひめ丸の乗員への積極的な救難活動を行わなかったことに対し非難の声があがりました。
さらに、事件当時同乗の民間人を操舵席に座らせ、操舵に関与させていたことが発覚、スコット・ワドル艦長は衝突の責任を問われ、事件調査後に海軍を辞任させられました。
また、事件当時、首相である森喜朗はゴルフをプレーしていましたが、事件の連絡を受けた後もそのままゴルフを続け、後にこのことをマスコミから非難されると”プライベートだ”とトンチンカンな返答をし、世間から失笑を買いました。
もともと、最初から末期的な支持率の森内閣は、このことを切っ掛けにさらに支持率が低下し、5.7%と言う消費税以下の驚異的な支持率の記録を残し退陣しました。
えひめ丸
☆今日の壺々話
悪役レスラー森喜朗
2006年8月27日、森喜朗は馳浩のプロレス引退試合を観戦しましたが、YASSHIに”おい、そこの森!、腹に何か詰まってるな?、お金か?、このカス野郎!”と挑発されて唾を掛けられ、さらに、場外乱闘でTARUが挑発、森喜朗はパイプ椅子を持ってTARUと睨み合い、SPが森喜朗を必死に制止したため乱闘となりませんでした。
歴代総理大臣でプロレスに参戦した人はおりません。
乱闘して欲しかったなァ・・・。
世界で知られた伝説
明治43年4月15日、6号艇と呼ばれる小型潜水艇が瀬戸内海において内燃機関による潜航走行実験中に(今日のシュノーケル走行)事故のため沈没し、佐久間艇長以下14名の殉職者を出すという事故が発生した。
その後浮上させた艇内より、艇長の遺書とも言える手記が発見された。
その浮力を失い海底に鎮座せる艇内で、迫り来る死と直面しながら書き綴られた文面には、 沈没の原因とその対策に始まり、今後艇の改善を要する諸点、更には潜水艇乗員として必要な沈着冷静にして勇敢な資格条件などが綿々と書き記され、最後に、部下は冷静忠実に職務を全うし、責任は全て自分にある事を示唆し終わっていた。
イギリスの新聞、グローブ紙は「この事件でわかることは、日本人は体力上勇敢であるばかりか、道徳上、精神上も、また勇敢であるということを証明している。今も昔もこのようなことは前例がない。」と褒め称えている。
そして各国の駐在武官は詳細な報告を本国に伝えるとともに、海軍省をおとずれ弔意を表明していった。
これらは通常の外交儀礼を超えたものであり、また明治天皇からは遺族に見舞金が届けられるという特別の計らいがとられた。
朝日新聞によって集められた義援金には現在の価格なら億単位となる5万6千円ものお金が全国から寄せられたという。
いまはこの事件を知るものも殆んどいないが、当時は世界中に伝えられ、日本人の勇敢さを示した。
佐久間勉氏と十三人の乗組員のことを知ってもらいたいと思う。
佐久間艇長の遺書
小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す、誠に申し訳なし。
されど艇員一同、死に至るまで皆よくその職を守り沈着に事をしょせり。
我れ等は国家のため職に倒れ死といえどもただただ遺憾とする所は、天下の士はこれの誤りもって将来潜水艇の発展に、打撃をあたうるに至らざるやを憂うるにあり、願わくば諸君益々勉励もってこの誤解なく将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされん事を。
さすれば
我ら等一つも
遺憾とするところなし。
遺書の現物は、呉の大和ミュージアムにあります。
交信記録
1965年3月14日。
これはニューファンドランドの海岸沖で,アメリカ海軍とカナダ当局との間で交わされた無線による会話の記録である。
カナダ
「衝突の恐れあり。貴艦の針路を15度南に変更されたし。」
アメリカ
「衝突の恐れあり。そちらの針路を15度北に変更せよ。」
カナダ
「それは出来ない。衝突の恐れあり。そちらの針路を15度南へ変更されたし。」
アメリカ
「こちらアメリカ海軍軍艦である。もう一度繰り返す。そちらが針路を変更せよ。」
カナダ
「NO!それは不可能だ。貴艦の針路を変更するよう忠告す。」
アメリカ
「こちらはアメリカ合衆国第七艦隊所属航空母艦エンタープライズである。
本艦は巡洋艦四隻と駆逐艦八隻,他多数の小艦艇を従えて航行中である。我々はそちらの針路を15度北に変更するよう要求する。
もう一度繰り返す。そちらが15度北に転針せよ。さもなくば,そちらの安全は保証の限りではない。」
カナダ
「エンタープライズ。こちら灯台である。どうぞ。」
沈没
06:30 会社に向け出撃
06:32 出撃後まもなく腹痛の感あり。
通勤途中の腹痛来襲の公算大。
歩行速度増速
07:16
第一次腹痛来襲
腹痛魚雷×2、腹痛爆弾×3 命中
歩行速度 1ノット低下
07:25
第二次腹痛来襲
腹痛魚雷×3、腹痛爆弾×1 命中
下腹部付近に激痛発生、ダメコンチーム ツボ刺激で対処
歩行速度5ノットに低下
07:30
第三次腹痛来襲
腹痛魚雷×5、腹痛爆弾×多数 命中
下腹部から腹部全体に激痛拡大
ダメコンチーム 非常ガス抜きで対処、
ガス抜きのため下痢便が肛門近くに下降
その影響で歩行速度2ノットに低下
07:34
第四次腹痛来襲
腹痛魚雷×多数、腹痛爆弾×多数 命中
下痢の排便圧力のため肛門隔壁破壊のおそれあり。
圧力緩和のため歩行機能停止、ついに往き足止まる。
3分後大腸の排便圧力止まらず、トイレまであと500mで
トイレ到達の見込み無し。総員退去。。
07:40 会社まで南西約450m地点のバス停付近で沈没。
―― オワタ?(^o^)/ ――
衝突
コンビニで深夜のバイトをしていた時の話。
レジで会計をしていると表ででかい急ブレーキ音。
そして衝突の音。
何事かと目をやると、丁度コンビニ前の道を吹っ飛んでいく自転車が見えた。
俺も店にいた客も、突然の出来事にしばし止まっていた。
レジにいた客と救急車呼んだ方が良くない?などと話していると、自動扉が開く音が聞こえ、雑誌を立ち読みしていた客が悲鳴を上げた。
見ると、頭から血を流し手首が変な方に曲がり、足を引きずった男の人が入ってきた。
きっと車に撥ねられた人なんだろう。
「だ、大丈夫ですか・・・い、今救急しゃ」と俺が焦っていると、その男は動く方の手で「ちょっと待って」的な動作をし、店の中を歩いていく。
え?と思っているとレジに缶コーヒーと雑誌2冊(漫画雑誌とでらべっぴんだった)を持ってきて「多分入院するんで・・・」と血まみれの顔で恥ずかしそうに笑った。
オレ、あの笑顔は一生忘れないだろうな。
事故
近くの交差点で軽自動車とバイクの衝突事故があった。
バイクの男の運転手は倒れ、ピクリとも動かない。
軽自動車の若い女が、
「 救急車!救急車呼んでよ!!早く!早くーーー!!!」
などと、ヒステリーぎみに叫んでいた。
現場では野次馬が静かに遠巻きに見てて、その女の声だけが響いていた。
そこに近所の幼稚園児が母親と一緒に現れ、倒れている男を指さし、
「 あっ!死んでる!!」
とでかい声で叫んだ。
一瞬の静寂のあと、女が、
「 もういややーーー!!!」
と泣き出した。
そのとき、倒れていた男が意識を取り戻し、動き出した。
すると、それを見た幼稚園児が、
「 あっ!生きてる!!」
とまたでかい声で叫んだ。
その瞬間あちこちでプッと笑う声が聞こえた。
お~い
海の近くに住む親戚から聞いた話。
夜、海の側にいると「お~い」と呼ばれることがある。
呼ばれた時には、返事をせずに無視しろ。
無視していれば怖いことは何もない。
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