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日々の出来事 2月22日 アンディ・ウォーホル

2018-02-22 09:00:00 | A,日々の出来事_






  日々の出来事 2月22日 アンディ・ウォーホル






 今日は、アンディ・ウォーホルが亡くなった日です。(1987年2月22日)
アンディ・ウォーホルは、アメリカのポップアート・アーティストで最も有名な人物です。
 アンディ・ウォーホルは、1928年8月6日、ペンシルバニア州ピッツバークで貧乏な移民の家に生まれます。
小さい頃から、絵が上手く、スーパーマン、ポパイ、バットマンなどのマンガを多く読んでいました。
 1949年、カーネギー工科大学を卒業した後、ニューヨークで商業アーティストとして出発します。
才能が豊かであったため、広告イラストやウインドウ装飾などを手がけ成功を収めますが、それに飽き足りず芸術分野に進出します。
 1962年、アンディ・ウォーホルはシルクスクリーンの技術をもとに、世に知られるコカ・コーラ、キャンベル・スープ、プレスリー、マリリンモンローなどを制作します。
これら一連の作品は、非常に分かり易く、大衆に受け入れられました。
そして、1965年のフィラデルフィアで行われた個展には入場者が溢れかえり、作品を壁から外さなければならなくなるほどの大盛況で、この状況はウォーホルの名前を一気に世に広めました。
 1970年代には、有名人や企業の依頼が増え、ミック・ジャガー、マイケル・ジャクソン、キャロライン王女などのポートレートや企業のイメージCMを撮影するなど幅広い分野の作品を制作しています。
日本でも、1983年から1984年にかけて、TDKビデオカセットテープのCMにも出演していました。
 そして、アンディ・ウォーホルは美術分野以外にも、ロックバンドのプロデュースや映画制作なども手掛け、マルチ・アーティストとして活躍しました。
( ルー・リードが結成したバンド”ヴェルヴェット・アンダーグラウンド”の1967年のデビュー・アルバムのジャケットは、アンディ・ウォーホルの”バナナ”です。
また、映画は、ホテル物語の”チェルシー・ガールズ”やオカルト映画”悪魔のはらわた”に関わっています。 )



   アンディ ウォーホル の言葉

“ 人は誰でも、生涯のうちに15分間だけなら有名になれる。”








1945
アンディはビッツパーグのシェンリー高校を卒業する。
カーネギー工科大学に入学。そこで主に「絵画・デザイン科」で実技を学ぷ。
(絵画コース・美術史・芸術社会学・写真心理学などに取り組んだ)。

1948
“Cano”(カーネギー学生文芸誌)の美術主任に採用される。このころ、主にビッツバーグのジョセフ・ホーン・ストアで、ウインド・デコレーターとして働く。

1949
美術部門の学士号をとり、卒業する。6月末、ニューヨークに出て、すぐに自分の作品を持ち回った。このとき、グラマー・マガジン(Glamour Magazine)のティナ・フレデリックスに会い最初の仕事をもらった。(“Success is a job in NewYork”)
この時期、彼は画家のフィリップ・パールスタイン(Philip Pearlstein)夫妻の部屋に六カ月間住みついていた。

1952
〈個展〉ニューヨーク・ヒューゴー画廊「トルーマン・カポーティの作品への15のデッサン」。
ANDY WARHOL名儀で初めての個展の招待状を発行。”ART Digest”、”ARTNews”などの専門誌が小さなコラム記事で、この個展をとり上げる。出品したのはピカソ風からビアズレー風までのスケッチ的なもの。

1956
個展:ニューヨーク・ボドリー画廊「少年たち」(Boy Book)。ニューヨーク・ボドリー画廊「黄金の靴」(Shoe Book)。約6週問て世界を一周する。(サンフランシスコ→ホノルル→東京→ホンコン→マニラ→ジャワ→バリ→シンガポール→ネパール→カルカッタ→カイロ→ローマ・フローレンス→アムステルダム→ニューヨーク)













       marilyn-monroe-1962
















☆今日の壺々話












ウォーホルの自画像







 2011年 05月11日、米ポップアートの旗手である故アンディ・ウォーホルの初期の自画像が11日、クリスティーズがニューヨークで開催したオークションで、3844万ドル(約31億2000万円)で落札された。
ウォーホルの自画像としては過去最高額。
 この自画像は1963―64に制作されたもので、青の色彩でトレンチコートを着たサングラス姿のウォーホルが描かれている。
オークションは16分間にわたって2人の入札者が競り合い、最終的にはヨーロッパのコレクターが落札した。
ウォーホルの作品は8作品が出品され、落札価格の合計は9100万ドルとなった。








        自画像













アート






 昔は、3次元を2次元に変換できなかったんよ。
そんで、「科学的な絵画」として遠近法が生まれたんだけど、これはリアルに方眼紙を使うっつーか糸を引っ張って風景を見て、「奥の建物は、マス目3つ分に見えるな…」と縮尺そのままに紙に落とす手法だった。
こうして、ルネサンス期から「もっとリアルに描きたいよ」という路線が進化して行ったわけだ。
 ところが写真が登場してしまい、絵画にとって写実性は武器では無くなった。
そんな中「画家の目にどう見えたか、そういった感動を強調して描こう」という印象派が誕生。
 その後「光の加減だけに注目して描いてみよう」「立体の角度を変えて再構築しよう」と、レイヨニスムやらキュービズムやら。
つまり、「写真は現実を描けるけど、絵画は現実ではありえない事を描けるぞ」っつー話だな。

 そういった”高尚な絵画”を評価する動きへの皮肉としてポップアートが登場し、萌え絵もそっち側に分類されるので、まあ水と油ですわな。















凡人代表








 大学時代の話。
私はセンスもないのに、バリアフリーの勉強がしたくて建築のザイン系の学科がある大学に行ってた
 やっぱりセンスが無いのは致命傷で、勉強はできたが実技の授業はボロボロ。
私の考える意匠やコンセプトはありふれていると酷評。
周りは自分には思いつかないようなぶっとんだデザインで、自分には向いてないよなぁと悩んでいた。

 卒業もせまったある日。
もちろん、ヘボ作品を出品した卒業研究展の片付けに行くバスの中である教授と出会った。

私「 四年間、ろくな作品作れなかったですw。」
教「 他の生徒の作品をちゃんと見ましたか?」
私「 見ましたよ。
私みたいな安い脳では思いつかないようなすごい作品ばかりでした。
正直、次元が違うのでついていけませんw。」
教「 そんなあなたでも分からない作品、世の中に出て一般の人に理解されると思う?」
私「 …。」
教「 私は君たちに芸術家になってほしいわけではない。
大体の人は企業で世の中に向けて商品を発信するんだ。
理解されない商品を作って誰が買うの。」
私「 そうですね。」
教「 だからあなたはこれから凡人代表としてがんばりなさい。」

四年間の苦悩が、すべて救われた気がした。
もっとはやく先生と話すれば良かったよ。















アート引越しセンター






“アート引越しセンター”の”アート”に意味はなく、単に職業別電話帳で業界トップに来るようにしただけ。
しかし、その後”アーク引越しセンター”に抜かれ、しまいには”アーアーアー引越しセンター”というワケわからんが、間違いなく当分抜かれることがないヤツが現れた。















引越し





 うちの隣の空き地に家が建つことになって、数ヶ月前から工事が始まったんだけど、いつの間にかそこに、白黒柄の猫が出入りするようになった。
すごく人懐こい猫で、私が見つけた時もニャーニャー鳴きながら近寄ってきたし、工事してる大工さんたちにもすぐ懐いたみたいで、大工さんがその猫に話しかける声がしたり、お昼には何かもらってるらしく、お弁当を食べてる大工さんたちと一緒にご飯食べてたりしてた。
 頭のいい猫みたいで、トラックが出入りするとか危なそうな時は塀の上にちゃんと避難してたし、いつもは毎朝、工事現場の入り口に座って大工さんたちが来るのを待ってるけど、工事が休みの日曜日は、材木にかけてあるブルーシートの上で寝てた。

 先月末についに家が完成して、施主さんと工務店の人が挨拶にきた。
その数日後に施主さんが引っ越してきて、また挨拶にきてくれた。
新しいお隣さんは感じの良い人で安心したけど、家ができて以降、猫の姿が見えなくなってたので、どうしたかなぁと気になってた。
 そしたら、最近出かけた時にふと見たら、 お隣の二階の出窓のところにその白黒猫がいたんだよ。
日当たりのいいとこで気持ち良さそうに寝てて、思わず「あっ!」って言いそうになった。
 で、回覧板を回しに行った時に猫のことを聞いてみたんだ。
なんでも、引越しの時に開いてた玄関からたたたたーっと入ってきて、リビングの窓辺に寝転んで勝手に居座ったそうなんだけど、あまりにもそれが当然みたいな顔してたから、猫好きだし、なんかもうそのまま飼うことにしたんだそうな。
 抱っこして玄関まで連れてきてくれたけど、赤い首輪を付けてて、ふわっふわの綺麗な白黒猫になってた。
猫に「お前、良かったねー」って言ったら、 大工さんも同じ事言ってたって、お隣の奥さんがニコニコしてた。
















こわいはなし“絵”






 昔住んでいたアパートの大家から聞いた話です。
俺が大学を卒業し、部屋を引き払って地元に帰る時に大家のオッサンと酒を飲んだ。
そのとき話の成り行きで、住んでいたアパートの話になった。
 大家は、

「 もう引っ越しするんだなァ・・・。」

と言いながら、ウンウンと頷きつつ、

「 じゃ、一つ、話をしてあげようかな・・・。」

と話を始めた。
 大家の話によると、昔、あのアパートを購入した際に一室、妙な部屋があった。
今も建前では荷物部屋になっているが、それは購入した時から開かずの部屋であって、大家はその理由を深くは考えなかった。
 それでも勿体無くもあるので賃貸部屋にしたいが、もしいわくつきなどと言った部屋では困る。
別に過去に事件があったなどとは聞いていないが、一応自分が泊まってみて確認する事にした。
 部屋の中に入ると、ご立派な額縁に入った絵と子供用の学習デスクがあった。
大家は布団とラジオを持ち込んで、夕方から泊り込んだそうだ。
 大家は幽霊など信じない現実派であり、夜もふけるまで電気をつけっぱなしで、

“ ぼけー。”

っとラジオを聞いていた。
 すると、視界の端で絵が動いた気がした。

“ 気のせいか?
いや、こういう事ははっきりさせねば我慢ならん”

それで絵を覗き込んでみる。
 その絵は初見から理解できない絵だった。
昔で言うどこかの街道の途中に、柄の模様の着物が土の上にくしゃくしゃになって落ちており、その真ん中に黒い玉がある。
大家はしげしげと眺めた後、鼻で笑うと布団に戻って電気を消した。
 寝付けなかった大家は部屋の天井を眺めていたが、

“ やっぱり絵が動いている!”

と異変に気付き、飛び起きて電気をつけた。
早足で絵の前に立つ。
 絵は変化していた。
黒い玉は頭部だった。
着物には中身があった。
 描かれていたのは、街道沿いに倒れた着物姿の女性だった。
内容を理解した大家は混乱した。

“ 何でこんな悪趣味な絵がアパートに?”
“ こんな気持ち悪い絵を誰が置いた?”

 そうこうするうちに、さらに絵が変化した。
くしゃくしゃだった着物は膨らんで、今ではもうはっきりと人間が着ているように見える。
黒い玉にしか見えなかった頭頂部は、日本髪の光沢までも鮮明になっている。
頭には赤いカンザシがささっており、その頭部がゆっくりと動いた。
 大家は身動きすら忘れ、絵に釘付けになっていた。
女の顔が見えた。
血まみれの赤い顔だ。
目は潰れ、唇は膨れ上がり、顔面中に血が滴り落ちて光沢に輝いていた。
 女は倒れたまま、

“ コツン。”

とアゴを地面に置いて大家の方に顔面を固定した。
 女は首を困ったようにかしげた。
ゆっくりと首が傾いていく。
大家は女性の顔につられて、注視したままに自分も首をかしげた。
 しかし、女性の首は人間には不可能なほどに回っていく。

“ ころん。”

女性の首が横に転がっていった。
残った胴体の首からは血の奔流。
大家はそこで気絶した。
 翌朝に絵を処分しようと恐る恐る近寄ると、そこには絵など無かった。
ご立派な枠に収まった、ただの鏡があった。

 そこで、俺は聞いてみた。

「 当然、全部処分したんでしょ?」

大家は平然と答えた。

「 いや、そのままだよ。」

















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2月21日(水)のつぶやき

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