日々の出来事 2月14日 プロ棋士
今日は、羽生善治が将棋のタイトル七冠を達成した日です。(1966年2月14日)
将棋のプロタイトルは、竜王・名人・棋聖・王位・王座・棋王・王将の七つがあります。
羽生善治は、小学校1年で将棋を覚え、地元の八王子市の将棋道場に通うようになります。
そして、実力を付け、小学校5年頃には関東各地の子供将棋大会に出場、優勝を重ねます。
この頃、羽生善治は巨人ファンにもかかわらず、母親から広い会場で見つけ易いように広島カープの赤い帽子を被らされ、大会に参加している子供達から”恐怖の赤ヘル”と恐れられていました。
1982年に小学生名人戦で優勝、その後、奨励会に入り、驚異的な速度で昇級・昇段を重ね、史上3人目の中学生プロ棋士となります。
1988年、羽生善治は五段のとき、NHK杯戦で名人経験者である、大山康晴、加藤一二三、谷川浩司(準決勝)、中原誠(決勝)の4人を次々に撃破して優勝し、世間の注目を集めました。
初めてのタイトルは、1989年12月に島朗竜王を4勝3敗1持将棋で下し、史上最年少となる19歳2ヶ月で竜王を獲得します。
その後、羽生善治は各タイトルに挑戦者として次々登場し、徐々にタイトルを獲得、1966年2月14日に竜王・名人・棋聖・王位・王座・棋王・王将の七冠を保持する偉業を達成しました。
この七冠を達成した年の勝率は、タイトル戦続きで強豪との対局がほとんどであったにもかかわらず83.64%(歴代2位)という驚異的な数字でした。
その後、羽生善治は第67期棋聖戦で敗れ、七冠は167日で終了しました。
将棋のプロ棋士は、凄まじい頭脳戦を日々繰り広げています。
さて、それではどの程度の頭脳がプロとしては必要なのでしょうか?
米長邦雄元名人は、”私の兄弟は皆東大へ行ったが、私は兄弟の中で頭が一番良かったので棋士になった”と述べています。
また、京大医学部卒で医師をやめてプロ棋士になった坂井秀至七段は、”医者になるのと、プロ棋士になるの、どちら難しい”と聞かれて”プロ棋士!、医師なんて頭良ければ、だれでもなれます”と断言しています。
プロ棋士の側の意見から二つほどあげてみましたが、”どちらが難しい”と言われて、質の違いがあるので一概に比較は難しいところです。
それでも、プロ棋士以外の職業の人からもプロ棋士をあげる人が結構多くいます。
それに、精神を磨り減らしてのプロ棋士は、それが分かった上で将棋が心底好きな人でないと無理な職業であることは確かです。
☆今日の壺々話
脳スタミナ
羽生さんは今、チェスに夢中だとか。
「将棋世界」の6、7月号の「盤上のトリビア」というコーナーでそのことについて触れられていた。
読んでみると、ただただ羽生善治というひとに驚かされるばかり。
とてもじゃないが、この人の頭の中はどうなっているのかと思ってしまうのである。
以下その中の1部を抜粋させていただいた。
6月号で同じチェス好きの森内竜王が羽生名人(当時)のチェスについて語る。
竜王は羽生流のチェスがいかに恐るべきものか語り始めた。
「 1番衝撃を受けたのは、郷田さんとの棋王戦を3勝1敗で防衛した(平成10年)その翌日に、百傑戦(国内の主要チェス大会のひとつ)に出場したことです。
それだけでも驚くのに、なんと優勝してしまったんです。
羽生さんにとって初めての大会出場だったのにですよ。」
羽生名人は、ジャック・ピノーさんにチェスの指導を受けていた。
名人にとってピノーさん以外のひとと指すことさえこのときが初めてだった。
だが名人は師匠のピノーさんと引き分け、日本一の渡辺暁さんに勝ってしまう。
「 この大会のあと、渡辺さんは胃痛を起こして寝込んだそうです。
ピノーさんもショックを受けていたようでした。」
竜王はいつぞやの佐藤棋聖のような呆れ顔になっていた。
「 羽生さんのチェスには、将棋以上に勝負への執着心を感じるんです。
引き分けになりそうな勝負でも、状況や相手の力によっては踏み込んで勝ちにいく。
しかし、ふつう初めて大会にでた人間が本気で優勝しようなんて思いますか?
僕なら一瞬も考えませんよ。」
自分よりも羽生名人が優ると思う点として、竜王は意外なものをあげた。
「 体力が違うんです。
チェスの大会は、長いものだと1日2局ずつ、4日連続で戦うこともあります。
順位戦が4日続くようなものです。
僕なんかフラフラになりますが、羽生さんは平気なんです。」
羽生さんの体力のすごさについては僕も頷けた。
以前TVで羽生さんがチェスのパリ大会に出場したときのことを見たことがあるが、羽生さんは4日連続で大会に出ながら、朝市に出かけたりしていた。
大会で朝から夜まで考えてるのに、どこにそんな体力が残っているのかと思ったものである。
あんな細身な体なのにねー。
体力って本当に重要だよな。
俺とか強い相手と一局やったらもうヘトヘトになる。
きついからもうやりたくねーとか思うんだけど、少し時間が経ったらまたやりたくなる。
すげーわかる。
道場の小さな大会とかでも一回戦で集中力が切れちゃうんだよな。
体力なのか頭の問題なのか分からんけど。
これが森内が言う脳のスタミナなんだろうな。
羽生は平気で連戦こなすってことだから常識では考えられない。
普通は連戦するとへとへとになって、次の日は使い物にならないらしいけど、羽生さんの場合はどうもだんだん脳の活動が活発になっていくらしい。
忙しい合間を縫ってパリまで行ってチェスの大会に参加してるときも、「考えすぎて頭が痛くなっちゃうんだけど、それが良いんですよね。」みたいなことを笑いながら言ってた。しかも大金持ちなのに泊まってるのは安ホテル。理解不能。
羽生は将棋以外は無頓着。
米長「昼は僕がご馳走するから何でも食べてくれ。」
羽生「それでは、ざるそばを。」
米長「遠慮するな。もっと高いものにしたらどうだ。」
羽生「それでは大盛りで。」
GPS将棋
GPS将棋とかより明らかに俺の方が強いよ。
俺が本気になったらPCとか一発の蹴りで破壊できる。
それでもGPSが将棋させるか?見物だな。
とりあえず、オマエは硫化水素あたりと将棋を指すべき。
負けるだろうけどな。
ここで、
硫化水素 vs GPS将棋
→硫化水素の時間切れでGPSの勝ち。
GPS将棋 vsオマエ
→必殺キックでオマエの勝ち。
オマエ vs 硫化水素
→硫化水素の圧勝。
なんという三すくみ。
思考アルゴリズムを一切持たない硫化水素だが、意外と強いな。
将棋好きの主人
独身時代から将棋が好きだった主人。
最近は忙しくて将棋の本も読めない状態。
可哀想なので、知り合いの大工に頼んで巨大なコマを制作してもらったの。
大人の身長位の王将をね。
見た旦那は喜んでくれて泣けてきたよ。
二日目の晩、倒れてきた王将で下敷きの旦那。
ごめーーーん!
“可哀想なので知り合いの大工に頼んで巨大なコマを制作してもらったの。”って。
え、なんで?
将棋好きだからだろ。
実際に喜んでるじゃん。
本当に喜んだんだろうか。
いくら将棋好きでも自分と同じ大きさの駒なんて使いどころない上に邪魔だし 製作費も相当かかってるだろうに。
好きなフィギュアの等身大とかもらったらうれしいだろ?
それとは関係ないけど、将棋好きとしては、将棋の駒の置物とかはすごく欲しい。
使わないけど、欲しくなる。
俺は麻雀が好きだが、等身大とまで言わなくても、麻雀牌の形した置物とかもらったら嬉しいよ。
千葉の麻雀博物館に置いてあった本物の牌で固めたティッシュ箱入れが、クソ重いわでかいわで使いづれーと思ったが、誰かにもらったら嬉しいわ。
自分では絶対買わんが。
要るかどうかよりも、自分の事を気遣ってくれる奥さんに喜んだんじゃないかな?
デカすぎだろ。
将棋の家建ててやれ!
これがほんとの将棋倒しか・・・・。
これが新しい将棋の駒だ!
/\
| 無 | 無職 後ろにしか進めない。
 ̄ ̄
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| 寝 | いつでも寝返り可能。
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|ピザ| この駒を取った駒は移動範囲が歩と同じになる。
 ̄ ̄
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| 萌 | プレイヤーに元気を与える。
 ̄ ̄
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| 荒 | 盤をひっくり返す。
 ̄ ̄
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|オパーイ| 隣に「うp」の駒が来ると活気が上がる。
 ̄ ̄
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| 正 | | 日 | 金と並んで使うと何かが起こる。
 ̄ ̄  ̄ ̄
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|スライム| 8個くらい重なると王将になる。
 ̄ ̄
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| 震 | 盤面を揺らす事が出来る。
 ̄ ̄
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|現実| 逃げられない。
 ̄ ̄
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| 堀 | 想定の範囲内を移動可能。
 ̄ ̄
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| 体育 | 二人組を組まないといけない。
 ̄ ̄ ̄
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| イナバ| 百人乗っても大丈夫。
 ̄ ̄ ̄ ̄
1分切れ将棋
将棋って知ってるよね?
プロはものすごく先まで読んで指すという。
2日間にかけて一つの対局をすることもあって、長い場合、一手指すのに2時間以上考える場合もあるとか。
その将棋のプロが持ち時間60秒で切れたら負けのルールで将棋を指したら・・。
解説がいろいろ説明してるけど、俺には何がどうなってるのか全くわからない。
Youtubeにあります。
http://www.youtube.com/watch?v=U4a5zJy0VVY
将棋
Kは将棋が得意だ。
大学1回生の秋に、Kが将棋を指せるのを知って勝負を挑んだ。俺も多少心得があったから。しかし結果は惨敗。角落ち(ハンデの一種)でも相手にならなかった。
1週間後、パソコンの将棋ソフトをやり込んでカンを取り戻した俺は、再挑戦のためにKの下宿へ乗り込んだ。
結果、多少善戦した感はあるが、やはり角落ちで蹴散らされてしまった。
感想戦の最中に、Kがぽつりと言った。
「 僕は亡霊と指したことがある。」
なんだか楽しそうな気がして、身を乗り出した。
「 手紙将棋を知ってるか?」
と問われて頷く。
将棋は普通長くても数時間で決着がつく。1手30秒とかの早指しなら数十分で終わる。ところが手紙将棋というのは、盤の前で向かい合わずに、お互い次の手を手紙で書いてやり取りするという、なんとも気の長い将棋だ。
風流すぎて若者には理解出来ない世界である。
ところがKの祖父はその手紙将棋を、夏至と冬至だけというサイクルでしていたそうだ。
夏至に次の手が届き、冬至に返し手を送る。
年に2手しか進まない。将棋は1勝負に100手程度かかるので、終わるまでに50年はかかる計算になる。
「 死んじゃいますよ。」
Kは頷いて、祖父は5年前に死んだと言った。
戦時中のことだ。
前線に出た祖父は娯楽のない生活のなかで、小隊で将棋を指せるただひとりの戦友と、紙で作ったささやかな将棋盤と駒で、あきることなく将棋をしていたという。
その戦友が負傷をして、本土に帰されることになったとき、二人は住所を教えあい、ひと時の友情の証しに戦争が終われば手紙で将棋をしようと誓い合ったそうだ。
戦友は北海道出身で、住むところは大きく隔たっていた。
戦争が終わり、復員した祖父は約束どおり冬至に手紙を出した。
『2六歩』とだけ書いて。
夏至に『3四歩』とだけ書いた無骨な手紙が届いたとき、祖父は泣いたという。
それ以来、年に2手だけという将棋は続き、祖父は夏至に届いた手への返し手を半年かけて考え、冬至に出した手にどんな手を返してくるか、半年かけて予想するということを、それは楽しそうにしていたそうだ。
5年前にその祖父が死んだとき、将棋は100手に近づいていたが、まだ勝負はついていなかった。
Kは、祖父から将棋を学んでいたので、ここでバカ正直な年寄りたちの、生涯をかけた遊びが途切れることを残念に思ったという。
手紙が届かなくなったら、どんな思いをするだろう。
祖父の戦友だったという将棋相手に連絡を取ろうかとも考えた。
それでもやはり悲しむに違いない。ならばいっそ自分が祖父のふりをして次の手を指そうと、考えたのだそうだ。
宛名は少し前から家の者に書かせるようになっていたので、Kは祖父の筆跡を真似て『2四銀』と書くだけでよかった。
応酬はついに100手を超え、勝負が見えてきた。
「 どちらが優勢ですか?」
俺が問うとKは、複雑な表情でぽつりと言った。
「 あと17手で詰む。」
こちらの勝ちなのだそうだ。
2年半前から詰みが見えたのだが、それでも相手は最善手を指してくる。
華を持たせてやろうかとも考えたが、向こうが詰みに気づいてないはずはない。
それでも投了せずに続けているのは、この遊びが途中で投げ出していいような遊びではない、という証しのような気がして、胸がつまる思いがしたという。
「 これがその棋譜。」
と、Kが将棋盤に初手から示してくれた。
2六歩、3四歩、7六歩・・・
矢倉に棒銀という古くさい戦法で始まった将棋は、1手1手のあいだに長い時の流れを確かに感じさせた。
俺も将棋指しの端くれだ。
今でははっきり悪いとされ、指されなくなった手が迷いなく指され、十数手後にそれをカバーするような新しい手が指される。戦後、進歩を遂げた将棋の歴史を見ているような気がした。
7四歩突き、同銀、6七馬・・・
局面は終盤へと移り、勝負は白熱して行った。
「 ここで僕に代わり、2四銀とする。」
Kはそこで一瞬手を止め、また同馬とした。
次の桂跳ねで、細く長い詰みへの道が見えたという。
難しい局面で俺にはさっぱりわからない。
「 次の相手の1手が投了ではなく、これ以上無いほど最善で、そして助からない1手だったとき、僕は相手のことを知りたいと思った。」
祖父と半世紀にわたって、たった1局の将棋を指してきた友だちとは、どんな人だろう。
思いもかけないKの話に俺は引き込まれていた。
不謹慎な怪談と、傍若無人な行動こそKの人となりだったからだ。
経験上、その話にはたいてい嫌なオチが待っていることも忘れて・・・
「 住所も名前も分かっているし、調べるのは簡単だった。」
俺が想像していたのは、80歳を過ぎた老人が古い家で旧友からの手紙を心待ちにしている図だった。
ところが、Kは言うのである。
「 もう死んでいた。」
ちょっと衝撃を受けて、そしてすぐに胸に来るものがあった。
Kが、相手のことを思って祖父の死を隠したように、相手側もまたKの祖父のことを思って死を隠したのだ。
いわば優しい亡霊同士が将棋を続けていたのだった。
しかしKは首を振るのである。
「 ちょっと違う。」
少し、ドキドキした。
「 死んだのは1945年2月。戦場で負った傷が悪化し、日本に帰る船上で亡くなったそうだ。」
びくっとする。
俄然グロテスクな話になって行きそうで。
では、Kの祖父と手紙将棋をしていたのは一体何だ?
『僕は亡霊と指したことがある』というKの一言が頭を回る。
Kは青くなった俺を見て笑い、心配するなと言った。
「 その後、向こうの家と連絡をとった。」
こちらのすべてを明らかにしたそうだ。
すると向こうの家族から長い書簡がとどいたという。
その内容は以下のようなものだった。
祖父の戦友は、船上で死ぬ間際に家族に宛てた手紙を残した。その中にこんな下りがあった。
『 私はもう死ぬが、それと知らずに私へ手紙を書いてくる人間がいるだろう。その中に将棋の手が書かれた間抜けな手紙があったなら、どうか私の死を知らせないでやってほしい。
そして出来得れば、私の名前で応答をしてほしい。私と将棋をするのをなにより楽しみにしている、大バカで気持ちのいいやつなのだ。』
Kは語りながら、盤面をすすめた。
4一角
3二香
同銀成らず
同金
その同金を角が取って成ったとき、涙が出た。
Kに泣かされたことは何度もあるが、こういうのは初めてだった。
「 あと17手、年寄りどもの供養のつもりで指すことにしてる。」
Kは指を駒から離して、ここまで、と言った。
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