日々の出来事 2月27日 刷り込み
今日は、コンラート・ローレンツが亡くなった日です。(1989年2月27日)
コンラート・ローレンツは、刷り込みの発見者で、近代動物行動学を確立した人物です。
刷り込みは、ローレンツがハイイロガンの卵を人工孵化して、ガチョウに育てさせようとしたとき発見されました。
ガチョウが孵化させた雛はガチョウを親と思って後ろをついて歩いたのですが、一つの卵だけをローレンツの目の前で孵化させたところ、この雛はローレンツを親だと思って後を追いかけたのです。
そして、その後もこの雛はローレンツを親だと思い続けました。
それでローレンツも責任を感じ、それに応えて、雛を自分の寝室で育て、庭で散歩させ、池に入って泳ぎを覚えさせ、見事、親の代わりを果たしました。
動物行動学の権威であるローレンツは、多くの種類の動物を家の中で放し飼いにしていました。
でも、家の中にいる生き物のうち、唯一、檻に入れられたものがあります。
それはローレンツの長女のアグネスです。
これは、虐待では無く、放し飼いの動物に長女が襲われないようにです。
コンラート・ローレンツは、”イカは人工的な飼育ができない唯一の生物”と言っていたのですが、1975年に松本元がヤリイカの飼育に成功してしまいます。
それで、ローレンツはそれを信用することが出来ず、わざわざ来日して、イカが水槽内で生きていることを一週間見届けて、ようやくそれが本当であることを認めました。
そして、このイカの水槽を”すべての水産生物の未来を変える”と高く評価しました。
コンラート・ローレンツ
☆今日の壺々話
イカ
「 どうです、このイカ、生きているでしょう。」
「 ホントだ、信じられん。
これは、奇跡だ!
すべての水産生物の未来を変えるほどの偉業だ。
おめでとう、誰もが君の事を祝福しているよ!」
「 それは、どうかな。」
「 喜んでいないヤツがいると言うのか?」
「 ああ、私には直ぐに分かる。
ホラ、あそこを見ろ。
右から三番目の学生だ!」
その学生は驚いて答えました。
「 イヤだなァ~、先生!
僕、そんな事考えていませんよォ~。」
「 嘘を吐け、このォ~!
手に持っているのは、わさびとしょうゆだろ!」
塩辛
22年間真面目だけが取り柄だった。
もちろん周りからも真面目な子と評価されていた。
少し前に新鮮なイカがたくさん手に入るチャンスに遭遇したんです。
普段だったら刺身と煮物と焼きイカぐらいしか思いつかないのに、何故か”塩辛だ!塩辛を作ろう!”と閃き、ネット見ながら作ったんです。
今日から初出勤という事で、朝飯に塩辛食べました。
キザミ柚子をかけて食べました。
旨かった…、旨すぎた…、気付いたら量食ってて、何だか私とってもイカ臭いの。
仕事場について、ブレスケア大量に食べてもイカ臭いの。
誰も何も言わないけど、”どうせイカ臭いと思ってんだろ!”と疑い、身が持ちそうにないので休憩時間に塩辛の話を同僚と先輩にした。
聞いて下さい…、私のあだ名が塩辛になりました。
22年間、真面目に生きてきて、いきなりの塩辛降格です。
いや、しかしこれは昇格なのかもしれない!
塩辛は午後の勤務も頑張ります…。
うちの母さん(60歳)
ASIMOのモノマネが得意なんだけど、
ASIMOがどんどん人間ぽい動きが出来るようになってきてるので、
もう母さんはモノマネしてなくてもASIMOみたいだ。
黒いスパッツが好きなんだけど、
それを穿くと決まって父さんが「おっ!力道山!」と声をかけるので、
母さんは満面の笑顔で父さんに空手チョップをお見舞いしている。
昔、父さんのブリーフの再利用を考えた結果、
ゴムの部分を切り取ってヘアバンドにすることにした。
ブリーフのゴム部分は赤、黄、青、緑と色々あったので、
母さんは緑、私は黄、姉は青をはめてみんなで洗濯物をたたんでいた。
朝、庭から「ウチの娘でもいないのに!この野郎!」と悪態をつく声が聞こえてきた。
後で何をしていたのか聞いてみると、大切に育てているお花に交尾してる虫がいて、
当時私には彼がいなかったことも加えて、むしょうに腹が立って潰したと言っていた。
定期的にイカを電子レンジで爆発させる。
ドーン!という音に振り向くと、イカのクズだらけの顔をした母さんが目を丸くしてこっちを見ている。
好きなのどぞ~
∧_∧
( ´ω` ) < 好きなのどぞ~
( つ旦O
と_)_)
―{}@{}@{}- ネギマ
―{}□{}□{}- 豚串
―@@@@@- つくね
―∬∬∬- とり皮
―зεз- 軟骨
―⊂ZZZ⊃ フランク
―<コ:彡- イカ焼き
―>゚))))彡- 魚の串焼き
―○□|>- おでん
―●○●- 花見団子
─━━━ ポッキー
恐怖の刷り込み
昨日、こどもが、『すごく怖い話』というのをしてくれた。
友達と話していて、はっと気づいて、とても怖かったという。
それは、『刷り込み』。
友達の話に、『お母さんがこれが良いって言ったから・・・』とか、『お母さんがこう言ってた・・・』とか、たびたび話の中に『おかあさん』との意見というのが紛れ込んでくるのが気になっていたという。
そして、あ、自分もだ!と気づいたという。
その時、凄く怖くなった・・・らしい。
自分の判断とか嗜好だと思っていたものが、それは、まぎれもなく、お母さんの趣味や考えなんだと気づいてしまったという。
でも、2,3歳のこどもじゃないんだから、自分の考え方や好みが、母親に似てるだけでは?って思ったんだけど、違う!と言う。
そして、お母さんも、おばあちゃんソックリのことを言ったり、したりしてるよ、って。
これは、私もゾッとした。
あ、自分の考えだと思ってたことが、実は、植えつけられたり刷り込まれた思考だったのかも。
それは、怖い。
自分の考えを持ち、自分の判断をしなさい!と言われていたこと自体が、母親の考えの刷り込みでは?とも思う。
たぶん、長女から長女へ、そしてまたまた長女へと流れていった、女系の血か?
男の子だったら、またまた怖いことになったかも。
『だって、ママが言ってたもん!』って。
自分で気づいて恐怖に思うのと、他人が聞いて恐怖に思うのと。
どっちが怖いか?
特別養護老人ホームあれこれ
(1)お婆ちゃん、またブツブツ言っている、の正体
その女性高齢者はほとんど起き上がったり立ち上がったりせず、たいていは寝たきりで過ごしていた。他者との会話も不可能である。
そしてずうっとブツブツ何かを唱えているのである。
食事の時も就寝時間でも聞こえるか聞こえないかの低い声で、いつもいつも途切れることはない。
彼女はすでに家族が面会に来ても誰だかわからないほどになっていた。
そのことが既に中年に差し掛かっていた娘さんにはつらいことらしく涙ぐむのが常であった。
それでも孫を連れてきては話しかける。
看護師もかいがいしく声をかける。
しかし反応はなくブツブツブツが続く。
「お婆ちゃん。またブツブツ言っているのね」という看護師だか介護士だかの声を私はなぜか聞きとがめた。
そして耳をそっと彼女の口に近づけてみた。
最初のうちは何だかわからなかったが、やがてあるフレーズではないかと疑いを持ち始める。
「もしや」と胸騒ぎして自分の記憶をたどりつつ何度も聞き続けた。
そしてその正体を確信し心の底から恐怖した。
繰り返すが彼女は娘の顔さえ忘れて会話もできない。
ところがたった一つだけ唱えていたブツブツは、最後に残ったたった一つの記憶だったのだ。
それは教育勅語だった。
私は大学で日本史学を学んでいたので戦後生まれながら教育勅語の概要は暗記していた。だが看護・介護する人は若くて当然知らない。
「朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ・・・・」を抑揚なく低い声で延々と繰り返したのだ。
強制奉読の際の独特の抑揚こそ消えていたが内容は紛れもなくそうであった。
教育の持つ刷り込みの恐ろしさや、戦前はまだこんなところにも残っているのだという感懐に襲われた。
(2)優しい家族
その男性高齢者にはいつも笑顔の訪問者がいた。
男性高齢者はもはや人の顔を識別できない程であったが訪問者のことはわかるらしく、しきりに固有名詞の呼び捨てで語りかけていた。
内容は支離滅裂で私にはサッパリわからないが訪問者はニコニコと聞き、温かな雰囲気が回りを囲んでいた。
帰り際に「お父様ですか」と聞くと訪問者は違うという。
親族かと問うとそれも違うというではないか。
では何者かと質問を進めたら何と何者でもないという。
ずっと以前に同じ施設を訪問した時に(その理由を訪問者は明かさなかった)その男性高齢者が私も聞いた息子とおぼしき固有名詞で呼びかけられて以来、時間が許す限り訪ねることにしているという。
つまり赤の他人だったのだ。
もっと不思議なのは調べた限りでは男性高齢者には男子はいないようなのだ。
子どもでもない固有名詞で呼ぶ高齢者と赤の他人なのにそれを求めて何の見返りもなく訪ねる訪問者。
そんな関係を何と名付けるべきか。
(3)人生は五分と五分
重度の認知症になっても性格は存在する。
大人しくたたずんでいるばかりの人もあればワンフレーズとワンパターンを繰り返す人もいる。
その男性高齢者はヒマさえあれば怒鳴り散らして廊下など公共スペースで騒いだり寝転がったりする「問題児」であった。
ある日、その人が顔にあざを作っているのを見た。
どうせ暴れた結果のケガであろうと見過ごしていたが治った頃に別の場所に青あざや打ち身を設けている。
不思議になってしばらく見張っていると、どうやら公共スペースの隅の方で「ヤキ」を入れられているのだった。
誰がそうしていたかはこの際秘匿するとしよう。
問題はその人物の過去である。
できる限り調べてみたら何と元高級官僚で官庁のかなり上位まで上り詰めたエリートだったのだ。
しかも当時を知る者によれば彼は現役時代から大変尊大であったという。
私の知る限り、彼には一度も見舞いが来なかった。
誰も来ないのである。
そして認知症となっても尊大さは変わらない。
変わったのはかつては平伏していた相手に、今やヤキを入れられてる点である。
私はつくづく人生は五分と五分だと痛感した。
(4)ヌシの本当の姿
特養に勤めている全員がヌシと認めている女性がいた。
かれこれ10年もそこにいるのだという。
年の割りには押し出しがよくてこよりのようなものを作るのが得意だった。
皆が寝静まった頃、彼女は私に話しかけてきた。
言葉は清明である。
態度もシャンとしている。
とても認知症には思えないのでそう問うたら「違う」と明言した。
その後にいくらかの会話をしたが記憶力などすべての点で素人の私でもわかるくらい「健常」であった。
ただ足に少々の身体障害を持つのを除けば。
彼女もまた誰も訪ねては来ない。
しかし身寄りはあるらしい。
その身寄りと施設との間に何らかの関係があるらしく彼女は認知症でもないのに特養に居続けている。
寂しくないかと聞いたら「ここで私は必要とされている」と答えた。
確かに千差万別の動きをする入居者の交通整理のようなことを彼女は甲斐甲斐しく務めてはいた。
時に彼女は看護師などが詰めている泊まり部屋にまでやってきては四方山話をしていく。驚いたことに勤めている側からさまざなな相談が持ちかけられるともいう。
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