この本は現職の住職で、インド哲学、仏教学のPhDである著者が、釈尊(※)を、出生、出家、悟り、教えを説き、入滅するまでの足跡をたどりながらその実像に迫ろうとした本です。
※「シャカ族出身の聖者」と言う意味で本書ではこれが一般に用いられます。「仏陀」(サンスクリット語のbuddhaの音写)というのは「人格を完成した人」という意味の言葉でジャイナ教などでも使われている由
この本は、現代の研究成果をふまえて史実としての釈尊の足跡を尋ね、当時の風景や地勢そして移動した距離に思いを巡らせながら、釈尊の人生とその教えを記すという趣向になっています。
釈尊の足跡を実際に現地で見た風景の描写や豊富な写真・地図を使ってたどりながら、
要所要所で作者の豊富な知識を背景に仏教の教えをわかりやすく解説してくれています。
以前仏教の概説書は何回かトライしたもののなかなか頭に入ってこないものばかりだったのですが、この本は宗教学宗教学してもおらず、また説教臭くもなく、著者の素朴な感動が伝わってくる本です。
私が改めて感じたことは、 「考え続けることの凄み」でした。
快楽と苦しみのいずれにも近づかない「中道」や、苦しみを引き起こす原因を消滅させるための「八正道」を説く場合にも、単純に「これが正しい」というのでなく、縁起のくり返し、という世界観の中である時点での「正しい考え」すら相対化してしまう凄み、です。
「人々は『わがものである』と執着(しゅうじゃく)した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである・・・」
ドイツの社会学者ウェーバ-は原始仏教の特徴を評して、「仏教は・・・考え得る限り最も激しい形態の救済努力である。その救済は専ら各個人の最も固有の行為である。そのための、神や救世主による助けは何もない。仏陀自信が祈ったということを聞かない」
たぶんこのあたりが、キリスト教においては、「権威である教会との真実をめぐる対立」というわかりやすい図式が描きやすく、『ダ・ヴィンチ・コード』が「面白いミステリ」(まあ、それはそれでかなり面白いのですが)に仕上がって、ハリウッドで映画化されてしまうあたりとの違いなんだと思います。
多分仏教の世界では、どの宗派でも教義の権威が特定の事実に依拠していて、それが覆されたら大変、ということにはならないんじゃないかと思います。
この辺は一神教の世界の不思議さですね。
しかも、キリスト教もイスラム教もユダヤ教も「神」自体は同じで、預言者ヨーゼ、ムハンマドまたは受肉したキリストの教えの違いというところで尖鋭的な争いになってしまうところが、僕自身は実感としてよくわからないところです。
このへんは仏教というよりは「八百万の神」的な発想の影響かも知れませんが。