昨日、和歌山県・明治大学主催の・・・「和田勇シンポジウム ~東京にオリンピックを呼んだ男~」に、参加しました~。
明大駿河台キャンパス アカデミーコモンにある、アカデミーホールにて行われました~。
広い会場は、ほぼ満員だったのではないでしょうか~。
80%以上の割合で、私においては、人生の先輩にあたる年代かなと思うような方々で埋め尽くされていたような~、そんな感じでした~。
和田勇氏とは、戦後(第二次世界大戦後)の影響が色濃く残る状況下の中、1949年の全米水泳選手権大会の為に渡米して来た日本人選手団(橋爪四郎氏や古橋廣之進氏と言う方々)の為に、自宅を宿舎として提供し、選手達を支えるとともに、1964年の東京五輪誘致の際に、日本の為に、中南米諸国をご夫婦で、自費で訪問して、各国に協力を要請し、開催に大きく貢献して下さった方で、知る人に惜しまれながら、2001年93歳で生涯の幕を閉じられました。日本、そして日本のオリンピック界、スポーツ界を陰の大きな力、支えとなり、その他、福祉活動(日系引退者ホームの設立)もしたりして、戦後の日本や日系人を支えて来た方のようです~。
1964年と言うと、私はまだ生まれてもいなかったので、記憶にあるわけがありませんが、その時のオリンピックの記憶が何かしらある人達・・・、今回多くご参加なさっていたかもしれませんね~。
☆和田勇氏(=フレッド和田氏)とは・・・
1907年 アメリカ合衆国ワシントン州べリングハムにて誕生(ご両親は2人とも日本人)、当時二重国籍。
1911年 ご両親の実家である和歌山県の祖父母の所に預けられる。
1916年 米国へ帰る。
1919年 農園に住み込みで働きながら学校へ通い、七年生を終了。
1924年 青果店で働き始める。1年後に店長に抜擢される。
1927年 オークランド市内に屋台青果店を開く。
1933年 3店の青果店で25人の従業員を擁するに至る。正子さんと言う美浜町吉原出身の方と結婚する。
1941年 太平洋戦争開戦。
1942年 日系人130人を引率し、ユタ州へ集団移動する。(日本人の強制収容施設行きをま逃れる。)
1945年 太平洋戦争終戦。ロスに移り、スーパーマーケットを開店する。
1949年 新聞掲載の小さな記事・・・、全米水泳選手権大会に参加する日本選手団の宿泊を依頼する記事・・・を見て、
全米水泳選手権大会出場の日本選手団の選手ら全員に対し、自宅を宿舎として提供し、面倒を見て、支援する。
選手らは、和田夫妻の親切な支援により、そして時に可愛いお子様の癒しの存在もあり、物心両面で支えられ、
数々の世界新記録を樹立し「フジヤマのトビウオ」の名が世界を駆け巡った。
1959年 東京オリンピック誘致の為、ご夫人(正子さん)とともに自費で中南米諸国をご訪問。
1964年 東京オリンピック開会式に夫婦でご招待を受ける。
1969年 ロサンゼルスの港湾委員会委員長に就任。
1975年 ロサンゼルスに日系引退者ホームを設立。
1984年 吉川英治文化賞を受賞。
1996年 近代オリンピック開催100年を記念して「日本のオリンピックの顔」に選ばれる。
2001年 93歳で生涯の幕を閉じる。
☆和田氏の長い歩み…書ききれず、だいぶ省略しました~。
4歳までは、米国で育って来たが、両親との生活では苦しい為、
4歳から9歳まで、両親の元を離れ、和歌山県日高の祖父母の元で育ったようです。
後にこの地の栄誉市民とされています~。
〈次第〉
1.開会挨拶
2.基調講演「東京オリンピック 1964年から2020年に向けて」(講演者は当初、高杉良氏であったが、体調不良の為、高杉氏はV出演のみとなり、差し迫った中急きょ スポーツジャーナリストの二宮清純氏が代役を務められました~。)
3.パネルディスカッション
①進行司会者兼コーディネーターは、フリーアナウンサーの須磨佳津江さん
②パネルディスカッション・パネリストは・・・、
二宮清純氏(1960年愛媛県生まれ スポーツジャーナリスト、カブすぃき会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役)、
早田卓次氏(1940年和歌山県生まれ、1964年東京オリンピック体操競技男子団体及び種目別吊り輪競技金メダル獲得者、日本オリンピアンズ協会理事長、日本大学名誉教授)、
萩原智子氏(1980年山梨県出身、2000年シドニーオリンピック水泳競技200m背泳ぎで4位、200m個人メドレー8位入賞、2002年日本選手権で史上初4冠達成)、
後藤光将氏(1975年石川県生まれ、明治大学政治経済学部教授で専門は体育・スポーツ史等、日本オリンピック・アカデミー理事)、
仁坂吉伸氏(1950年和歌山県生まれ、東京大学経済学部卒後、通商産業省入省、生活産業局務課長や経済企画庁長官官房企画課長や大臣官房審議官や製造産業局次長を歴任後2003年からブルネイ国大使、社団法人日本貿易会専務理事を経て2006年から和歌山県知事)、
・・・の5人の方のディスカッションにより、興味深いお話が聞けました~。
4.閉会挨拶
・・・ちょっと長くなりそうなので、まずは簡単にupする事とします~。
戦後米国暮らしの和田勇氏の支えにより、アジア地域で初めて開催された1964年東京オリンピック。
日本が目覚ましい復興を遂げ、再び国際社会に存在感を示す絶好の機会となりました~。
そして、2020年オリンピックも、あっという間にその日がやって来ます。
その期間は、貴重な2週間になりそうです~。
オリンピックに向けて、オリンピックに際して、
選手の方々は勿論の事、
その運営やおもてなしにおいて、
どのようにその日を迎え、
どのようにおもてなしをし海外からの人々を迎え入れるか。
どんな準備をし、運営して行くか・・・。
そして、オリンピックが終わった後、どのような日本がそこにあるのか・・・。
自分はそれまでに、そしてその時、その後・・・、何ができるのか・・・。
☆今の時代のスポーツそしてオリンピックは、する側、見る側、支える側の人・・・、皆が参加し、盛り上げて行くもの。
そして、人と人を結ぶもの。そして小さな平和を育む・・・素晴らし場であると言う事。
和田勇氏の事を初めて知り、有識者の方々の貴重なお話をお聞きし、色々な事を考えさせられたひとときでした~