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宝永級の巨大地震が6千年間に15回発生

2013-02-04 | 学問

 東海・東南海・南海地震の3連動で起きたとされる宝永地震(1707年)に匹敵する巨大地震が、過去約六千数百年の間に15回程度起きていたことを示す津波堆積物を高知県土佐市の池を調査していた高知大の岡村真特任教授のチームが突き止めたとの事(1月29日)。
 同チームは、これまで約2000年前の巨大地震による津波堆積物を、徳島県阿南市・高知県土佐市須崎市・大分県佐伯市・三重県尾鷲市の池で発見している。発見したのは5層で、約2000年前頃・300~600年頃・684年(白鳳地震)・1361年(正平地震)・1707年(宝永地震)である。
 昨年10月~11月に調査した結果、更に約二千年前から六千数百年前頃の間に、10層程度の津波堆積物を発見した。岡村教授は、「300年~400年程度の幅で1回、宝永級の地震が起きるとのこれまでの研究結果の裏付けになった」としている。
 ◆宝永地震(ほうえいじしん)
 江戸時代の宝永4年10月4日(1707年10月28日)、遠州灘沖から紀伊半島沖を震源として発生した巨大地震で、記録に残る日本最大級の地震とされてきた。
 古文書の記録や津波の規模により、マグニチュードは8.4~8.7(M9.0説もあり)と推定されている。
 南海トラフは、フィリピン海プレート(海洋プレート)がユーラシアプレート(大陸プレート)に沈み込んでいる場所。この南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が発生したと推定される。
 宝永地震の被害は、震害・津波で倒壊(流失)家屋29,000余戸、死者4,900人余(20,000人超説もある)と推定されている。
 ★津波堆積物
 津波堆積物は海岸に沿って発達する平野の地層に残される。地形的には、主に縄文海進(ピークは約6000年前)以降に浜堤で閉鎖された海跡湖や湿地である。海側にやや高い砂丘(浜堤)、陸側は低平地(後背湿地)となっている地形である。
 この様な地形では通常の波では砂丘(浜堤)によって海からの土砂運搬は困難であり、低地に堆積するのは微粒子や有機物である。突発的な大波(津波)があれば海の粗粒物・貝などが浜堤を越えてが堆積する。この現象によって堆積層は急激な土相の変化を見せる。

 

 今日(2月4日)は立春だ。この日から立夏(2013年は5月5日)の前日までが春となる。暦の上ではこの日が寒さのピークで、翌日からの寒さは”残寒・余寒”と言う。でも実際にはまだまだ冬の寒さだ。気象庁では、春:3月~ 5月、夏:6月~ 8月、秋:9月~ 11月、冬:12月~ 2月、としている。
 寒い日が続き、雪も積もったが散歩道で見つけたキカラスウリ(の果実)は黒く熟しているがまだ枝に付いていた。周りの葉はすっかり落ちている。(写真は雪降る前の黄色の果実、葉もまだ付いている)
 同じ仲間(同属)のカラスウリ(烏瓜・唐朱瓜)は赤い実がなる。キカラスウリ(黄烏瓜)は黄色の実がなる。因みに、花はとても良く似ている。

Kikarasuuri302041  キカラスウリ(黄烏瓜)
ウリ科カラスウリ属
蔓性の多年草
カラスウリと同様に雌雄異株
開花期は7月~9月
花は径5~10cm位で白色。花冠は数枚に裂け、花の先は糸状となっている
雌花はつぼみの段階で子房を持ち、雄花は持たない


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