馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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〓おまQ〓710号肥前へgo!その32

2013-12-01 21:35:39 | 旅行
【Q】1545年、種子島に船が漂着し火縄銃を伝えた。
その船は?

イ)イギリス船
ロ)ポルトガル船
ハ)オランダ船


答えは一番下↓

≪肥前へgo大村≫

2013年4月30日(火)


二日目。平戸市


  ←←C |┃港 ┃
    ↑ |┃ /
   王↑病|┃/
   直↑院|幸橋
△  の↑ ←〓〓 ▲
勝  道↑↓|┃平戸城
尾   ↑A|┃/
岳   ↑B|┃
     ←+

平戸城亀岡公園を出た

城の麓に
平戸市役所がある。


前の港にかかるのが

14時45分、
『幸橋』

国指定重要文化財。
1669年に設置された時は木橋、
1702年、石橋に掛け替えられた
オランダ技術による築造なので「オランダ橋」とも呼ばれる

橋を渡り突き当たりを左折、商店街を南へ歩く

A「史跡英国商館跡碑」

店の片隅に碑があるだけ。
1613年から10年間、イギリスが商館をここに設けた。
対日貿易がうまくいかず撤退した。

この商店街、英国商館通りと名付けられてます

さらに行くと
B「按針の館」

イギリス人ウィリアムアダムスはオランダ艦隊の航海長として豊後に漂着。
後に徳川幕府の外交顧問となる。
オランダ商館にもイギリス商館にも住まず、この日本人の家に住んだ。

さらに行くと
ピアノ教室の片隅に
「三浦按針終焉の地」の石碑が。

1620年5月16日、木田さんの家で亡くなった。
57歳。
墓は港の入り口の山、遠見という場所にあります

商店街通りから山の方に向かい右折、
北へ向かう→

「王直の道」

山裾の細い道、
王直は明の海賊の棟梁でポルトガル船を引っ張ってきた功績で、藩主松浦氏が歓待した。
その屋敷がこの付近にあり王直の道と名付けたそうな。
病院の裏手にある。

こういう道を歩くのも旅の面白みと言える



突き当たりを左に曲がると

C、
坂の向こうに平戸自慢の素晴らしい景色が見えてきました!


続く


‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡

本日の答え、
『ポルトガル船』

漂着ではないという説もある。
船に乗ってたのが王直で通訳をしたとか?

王直は倭寇として密貿易をおこなってたので松浦氏は利用したのだろう。
鉄砲も種子島より先に長崎周辺に伝わってたかも?

後に種子島銃を大量に製造したのが、近江国長浜の国友村です


写真付ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hakusiyu/0?guid=ON


Φ(*^馬^*)φ
年賀状が余って困ってる人は
〒5220061
彦根市金亀町1番1号
彦根城
「ひこにゃん」様

へ宜しく!

今年のように無料入場券付き返信が来るかもよ?

我が輩は市民だから出すわけにはいかない

残念無念!

くまもん宛に出したろか?

それより
Windows7対応のプリンターを買わねば!

だぜぇ~

ひでにゃん
(*⌒Q⌒*)
コメント
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