2008/01/12
ぽかぽか春庭やちまた日記>お年玉(1)改築大作戦
姑は、ここ数年「築30年すぎてから、雨漏りがしてきてこまっていたんだけど、おじいちゃんの看病で改築どころじゃなかった。やっと余裕もでてきたから、おじいちゃんの3回忌の前に改築したい」と、言い続けていました。
姑は、これまで何年もかかって、図面をひいたりして改築プランをねっていました。
東京の狭い敷地に建てられた3階建てなので、どう改築するにせよ、パズルのような部屋の組み合わせになります。
最初のころの設計図では、2階と3階の階段がつながらないで空中浮遊、というプランを立てたりして、大笑いでした。
楽しみながらの改築プラン、私は「おばあちゃんのぼけ防止にちょうどいい頭の体操だ」くらいに思っていました。
夫は、「資金繰り」を心配して最初から改築大反対。
中国行きの挨拶に姑のもとを訪れたときも「この設計図でどうかしら」と、きかれて「はあ、いいんじゃないでしょうか」と、答えましたが、あくまで「資金はないだろうから、この設計図も頭の体操だろう」と、思っていました。
最後まで反対し続けた夫は「やるなら、勝手にやって。そのかわり、いっさい手伝わないから」と、言ったのだそうです。
実現するとは思っていなかったのに、私が中国にいる間、姑は業者とのやりとりなどをこなし、資金もひとりでどこからか調達。
改築といっても、東西南北4本の鉄骨を残して全部取り替える「新築そっくりさん」という全面改築です。四隅の柱を残すことで、新築に伴うさまざまな書類上の手続きを省き、簡単な改築手続きだけで、新築同様にできるのだそうです。
姑の部屋は、これまで通り2階の南側。トイレは今まであった1階3階のほか、自分の居室のある2階にも作りました。2階の、元は夫の部屋だった一室をつぶして「お風呂部屋」にしたので、夫にとって「実家の書斎」は、なくなりました。
実現しそうにない「頭の体操改築プラン」と思っていたのに、私が中国に行っている半年の間に、姑は、ひとりで改築をはじめ、ひとりで全部やりとげてしまいました。
82歳の「家を守る」気概や、あっぱれです。
<つづく>
00:28 コメント(12) 編集 ページのトップへ
2008年01月13日
ぽかぽか春庭「改築お年玉」
2008/01/13
ぽかぽか春庭やちまた日記>お年玉(2)改築お年玉
姑の改築。
1階のキッチンに畳コーナーを作ってこたつを置いたり、押入、床下、階段下まで収納スペースをたっぷり作ったところが姑の自慢です。
「若夫婦と孫の居住区」は、3階で、6畳のキッチンのほか、和室8畳と洋室6畳。
あの~「若夫婦」って言っても、私も、もう還暦近いんですけれど。
姑からは、「私がひとりで元気でいられるうちは一人暮らしをしたいから、同居しなくていい」と、言われています。現在82歳の姑、100歳まで元気みたい。
姑は、毎朝、最寄りの公園まで20分ウォーキングしたあと、老人仲間とラジオ体操。またウォーキングして帰宅。一休みして家事を終えたら、午後は、火曜日詩吟、水曜日童謡を歌う会、木曜日温水プールウォーキング、金曜日お習字、土曜日買い物、と、毎日予定があって、「忙しい」のだそうです。
月曜日は、定期検診などにあてる病院の日。血圧や血糖値など、定期的に検査を欠かさず、タマネギの皮のお茶、黒酢大豆、カスピ海ヨーグルトなど、健康によいと勧められた中で、気に入ったものをきちんととります。
3階は「万が一のときの介護担当者用」の部屋のつもりらしいけれど、夫は、「仕事をリタイアしたら、ひとりでタイへ行って、自由にのんきに暮らす」のが夢だといって、タイ語講座に通っています。おばあちゃんと暮らすのは、私ひとりみたい。
「100歳までは、元気にすごすつもりだから、もし100歳すぎて体調が悪くなったら時はお願いね」と、姑にお願いされても、20年後、姑が100歳になるころは、私も80歳に近い。私のほうがへばっているってほうに一票。
1月5日に留学生たちと姑の家へ行ったときには、「日本の生活文化贈答扁の紹介」として、祝い袋や不祝儀の袋を見せました。
「お正月には、子どもたちにお小遣いをあげます。そのときは、このようなお年玉袋にいれてあげます。
こちらの小さい袋はポチ袋といって、チップ、心付けなどを渡すときに使います。
お祝いの時にはできる限り新しいお札、お葬式のときには古いお札をいれます」など、贈答文化の紹介。
姑には、大型お年玉袋に入れて、私からささやかなお年玉をプレゼントしました。ほんとうは、年金ひとり暮らしの姑のほうが、ワーキングプアギリギリ生活の私よりゆったりと生活できているのですけれど、気はこころ。
昨年私がプレゼントした改築祝いで「この、椅子4脚セットを買ったのよ」と、ご披露してくれました。
ささやかなお年玉でも、なにか有意義につかってくれることでしょう。
<つづく>
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2008年01月14日
ぽかぽか春庭「サンタがくれたお年玉」
2007/01/14
ぽかぽか春庭やちまた日記>お年玉(3)サンタがくれたお年玉
元気な姑に比べ、どんどん衰えが進む我が身。そして2008年も一段と寂しくなるフトコロ具合。
2007年12月、娘息子がふたりとも風邪をひいてしまうまで、暖房を入れませんでした。
我が家で唯一の暖房器具である石油ストーブ。11月に石油を購入したのですが、これまでの2倍の値段に驚き、12月25日まで1度も使わずに過ごしたんです。
暖房使わない記録の更新です。夏はものすごく暑くなる代わりに、冬あまり寒くないのがトリエのUR都市整備公団2DK。肩寄せ合って厚着してなんとかしのいだ。
12月25日は、「風邪ひいちゃったし、クリスマスくらい暖かい思いですごそう」と、ストーブ点火。
石油代より風邪薬代のほうが高くついたんじゃないかっていう説もありますが、ま、節約の気は心。
二人とも風邪だったので、クリスマスディナーは12月26日の夜に食べました。
生協の冷凍グリルドチキンをチンして、レトルトパンプキンポタージュを温めて、「包丁いらずディナー」ですけど、我が家にとってはミシュラン三つ星よりも、「母子で肩よせあって食べる味がいちばん」なんです。
娘が生クリームを泡立てて、いちごをはさんだケーキ、おいしかったです。
娘はスポンジを使ったショートケーキはあまり好きでなく、ふだんは、チーズケーキやフルーツケーキをよく作ってくれるのです。
でも、「ハハは、クリスマスといえば苺ショートケーキだと思っているから」と、生クリームと苺をたっぷりつかったケーキをクリスマスデザートに仕上げてくれました。
ごはんを食べ終わると、ハハが何気ないふりして、「あれ?なんだろう、窓の外、みてごらん」と言う。
娘がカーテンを開けてベランダを見ると、物干し竿に、あれまあ、赤い靴下がぶら下がっています。娘が小学生のころ、サンタからのプレゼントがベランダの物干し竿に下げてあったのと同じように。
靴下は、姑の手作り品です。
娘が3~4歳のころ、姑が孫のために赤い布を靴下の形に縫ったもの。赤い布の上には白い布が貼ってあり、舅がサンタの絵を描いてくれました。
なぜか20年たってタンスからひょっこり出てきました。
小さいころのことをとてもよく覚えている娘も、この靴下のことは覚えていないと言います。
きっと中に入っていたお菓子やおもちゃに夢中になって、舅姑が孫への気持ちを込めた靴下のほうは、「包装紙」程度にしか感じなかったので記憶に残らなかったのでしょう。
おじいちゃんおばあちゃんの気持ちを感じながら、靴下リサイクル再利用しました。
中身は、ハハからのささやかな、、、、
靴下の中には「お年玉袋」が入っていて、息子が、「なんだよ、ここの家のサンタは、お年玉と兼用のプレゼントだよ」というシロモノが入っていました。
というわけで、我が家のお年玉は、クリスマスプレゼントといっしょになって支給ずみ。
<つづく>
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2008年01月15日
ぽかぽか春庭「元気玉・経験値UP」
2007/01/15
ぽかぽか春庭やちまた日記>お年玉(4)元気玉・経験値UP
娘も息子も、小学5年生ころには、「どうやら我が家にプレゼントを持ってくるビンボーサンタという人は、母らしい」と、気づいていたようなのです。
でも、「信じてない子どものところにはやってこない」と母がいうから、6年生の冬までは「僕、ぜったいにサンタは本当にいると思っているんだ。フィンランドのラップランドにいるんだって」なんて、信じているふりをしていたんです。
「いつもうちには、ビンボーサンタがくるけれど、今年あたりカネモチサンタが届ける家をまちがえて、ゲーム機とか持ってこないかな」なんて、言っていたけれど、サンタが届ける家を間違えたりすることはありませんでした。
「サンタさんがいるって信じなくなったら、サンタからのプレゼントはこないよ」と言ってあって、中学生になると、ビンボーサンタはベランダにやってこなくなりました。母から直接手渡しになって、夢はなくなったけれど、なぜ家に来るサンタがビンボーサンタなのか、という説明は不要になりました。
お年玉は高校卒業で終了、という約束だったので、ここ数年はお年玉も娘にはやっていませんでした。
しかし、2007年は、私の留守中、娘と息子で留守を守った「留守番ご褒美」として、お年玉をあげることにしました。
ただ「お年玉」として渡すのではつまらないので、ビンボーサンタの赤い靴下の中にいれて「クリスマスプレゼント兼お年玉」に仕立てて渡したのです。
ゲームソフトが1本買えるかどうか、というささやかなお年玉で、「ほんの気持ちだけですが」といったところ。
2008年も、さらに節約の1年になると思います。
ワーキングプアの家に生まれてきた娘と息子、ひたすら「ガマン」生活をしのいで育ってきました。
でも、ふたりとも風邪程度の病気ですんでいるのだし、私も「寄る年波」の老化は、白髪も皺も五十肩も仕方ないことと受け入れながら、小さな幸せを探して過ごしていくつもりです。
娘と息子が日夜はげんでいる「ゲーム」の世界では「経験値」をあげることが、最終的な「ゲームクリア」に、影響を与えるのだって。
世間一般からみたら「生活保護家庭より低い収入のワーキングプア」の生活をしている気の毒なビンボー家族です。
でも、一家してこんなに笑っていられるのは、「お金にはならなくても、人生経験値の豊かさはUPさせてきた」と思っているからかも。
2度の「中国出稼ぎ単身赴任」を経験、卒業7回、転職11回、ケニアで「しょうもなし夫」と出会ってしまった結果、貧乏暮らしの連続、というお馬鹿な半生を「面白い人生経験だった」と、笑っていられる。
今年はどんな経験ができるのやら。苦い経験もつらい思いも待ち受けているのでしょうが、どんな経験も、人生の糧と信じています。
どんなことも「経験値UP」の通過点です。
今年も元気に「経験値UP」、はげみます。
私がもらうお年玉は、「お年玉」のそもそもの由来どおり「年神さまからの元気玉プレゼント」なのですから。
ぽかぽか春庭やちまた日記>お年玉(1)改築大作戦
姑は、ここ数年「築30年すぎてから、雨漏りがしてきてこまっていたんだけど、おじいちゃんの看病で改築どころじゃなかった。やっと余裕もでてきたから、おじいちゃんの3回忌の前に改築したい」と、言い続けていました。
姑は、これまで何年もかかって、図面をひいたりして改築プランをねっていました。
東京の狭い敷地に建てられた3階建てなので、どう改築するにせよ、パズルのような部屋の組み合わせになります。
最初のころの設計図では、2階と3階の階段がつながらないで空中浮遊、というプランを立てたりして、大笑いでした。
楽しみながらの改築プラン、私は「おばあちゃんのぼけ防止にちょうどいい頭の体操だ」くらいに思っていました。
夫は、「資金繰り」を心配して最初から改築大反対。
中国行きの挨拶に姑のもとを訪れたときも「この設計図でどうかしら」と、きかれて「はあ、いいんじゃないでしょうか」と、答えましたが、あくまで「資金はないだろうから、この設計図も頭の体操だろう」と、思っていました。
最後まで反対し続けた夫は「やるなら、勝手にやって。そのかわり、いっさい手伝わないから」と、言ったのだそうです。
実現するとは思っていなかったのに、私が中国にいる間、姑は業者とのやりとりなどをこなし、資金もひとりでどこからか調達。
改築といっても、東西南北4本の鉄骨を残して全部取り替える「新築そっくりさん」という全面改築です。四隅の柱を残すことで、新築に伴うさまざまな書類上の手続きを省き、簡単な改築手続きだけで、新築同様にできるのだそうです。
姑の部屋は、これまで通り2階の南側。トイレは今まであった1階3階のほか、自分の居室のある2階にも作りました。2階の、元は夫の部屋だった一室をつぶして「お風呂部屋」にしたので、夫にとって「実家の書斎」は、なくなりました。
実現しそうにない「頭の体操改築プラン」と思っていたのに、私が中国に行っている半年の間に、姑は、ひとりで改築をはじめ、ひとりで全部やりとげてしまいました。
82歳の「家を守る」気概や、あっぱれです。
<つづく>
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2008年01月13日
ぽかぽか春庭「改築お年玉」
2008/01/13
ぽかぽか春庭やちまた日記>お年玉(2)改築お年玉
姑の改築。
1階のキッチンに畳コーナーを作ってこたつを置いたり、押入、床下、階段下まで収納スペースをたっぷり作ったところが姑の自慢です。
「若夫婦と孫の居住区」は、3階で、6畳のキッチンのほか、和室8畳と洋室6畳。
あの~「若夫婦」って言っても、私も、もう還暦近いんですけれど。
姑からは、「私がひとりで元気でいられるうちは一人暮らしをしたいから、同居しなくていい」と、言われています。現在82歳の姑、100歳まで元気みたい。
姑は、毎朝、最寄りの公園まで20分ウォーキングしたあと、老人仲間とラジオ体操。またウォーキングして帰宅。一休みして家事を終えたら、午後は、火曜日詩吟、水曜日童謡を歌う会、木曜日温水プールウォーキング、金曜日お習字、土曜日買い物、と、毎日予定があって、「忙しい」のだそうです。
月曜日は、定期検診などにあてる病院の日。血圧や血糖値など、定期的に検査を欠かさず、タマネギの皮のお茶、黒酢大豆、カスピ海ヨーグルトなど、健康によいと勧められた中で、気に入ったものをきちんととります。
3階は「万が一のときの介護担当者用」の部屋のつもりらしいけれど、夫は、「仕事をリタイアしたら、ひとりでタイへ行って、自由にのんきに暮らす」のが夢だといって、タイ語講座に通っています。おばあちゃんと暮らすのは、私ひとりみたい。
「100歳までは、元気にすごすつもりだから、もし100歳すぎて体調が悪くなったら時はお願いね」と、姑にお願いされても、20年後、姑が100歳になるころは、私も80歳に近い。私のほうがへばっているってほうに一票。
1月5日に留学生たちと姑の家へ行ったときには、「日本の生活文化贈答扁の紹介」として、祝い袋や不祝儀の袋を見せました。
「お正月には、子どもたちにお小遣いをあげます。そのときは、このようなお年玉袋にいれてあげます。
こちらの小さい袋はポチ袋といって、チップ、心付けなどを渡すときに使います。
お祝いの時にはできる限り新しいお札、お葬式のときには古いお札をいれます」など、贈答文化の紹介。
姑には、大型お年玉袋に入れて、私からささやかなお年玉をプレゼントしました。ほんとうは、年金ひとり暮らしの姑のほうが、ワーキングプアギリギリ生活の私よりゆったりと生活できているのですけれど、気はこころ。
昨年私がプレゼントした改築祝いで「この、椅子4脚セットを買ったのよ」と、ご披露してくれました。
ささやかなお年玉でも、なにか有意義につかってくれることでしょう。
<つづく>
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2008年01月14日
ぽかぽか春庭「サンタがくれたお年玉」
2007/01/14
ぽかぽか春庭やちまた日記>お年玉(3)サンタがくれたお年玉
元気な姑に比べ、どんどん衰えが進む我が身。そして2008年も一段と寂しくなるフトコロ具合。
2007年12月、娘息子がふたりとも風邪をひいてしまうまで、暖房を入れませんでした。
我が家で唯一の暖房器具である石油ストーブ。11月に石油を購入したのですが、これまでの2倍の値段に驚き、12月25日まで1度も使わずに過ごしたんです。
暖房使わない記録の更新です。夏はものすごく暑くなる代わりに、冬あまり寒くないのがトリエのUR都市整備公団2DK。肩寄せ合って厚着してなんとかしのいだ。
12月25日は、「風邪ひいちゃったし、クリスマスくらい暖かい思いですごそう」と、ストーブ点火。
石油代より風邪薬代のほうが高くついたんじゃないかっていう説もありますが、ま、節約の気は心。
二人とも風邪だったので、クリスマスディナーは12月26日の夜に食べました。
生協の冷凍グリルドチキンをチンして、レトルトパンプキンポタージュを温めて、「包丁いらずディナー」ですけど、我が家にとってはミシュラン三つ星よりも、「母子で肩よせあって食べる味がいちばん」なんです。
娘が生クリームを泡立てて、いちごをはさんだケーキ、おいしかったです。
娘はスポンジを使ったショートケーキはあまり好きでなく、ふだんは、チーズケーキやフルーツケーキをよく作ってくれるのです。
でも、「ハハは、クリスマスといえば苺ショートケーキだと思っているから」と、生クリームと苺をたっぷりつかったケーキをクリスマスデザートに仕上げてくれました。
ごはんを食べ終わると、ハハが何気ないふりして、「あれ?なんだろう、窓の外、みてごらん」と言う。
娘がカーテンを開けてベランダを見ると、物干し竿に、あれまあ、赤い靴下がぶら下がっています。娘が小学生のころ、サンタからのプレゼントがベランダの物干し竿に下げてあったのと同じように。
靴下は、姑の手作り品です。
娘が3~4歳のころ、姑が孫のために赤い布を靴下の形に縫ったもの。赤い布の上には白い布が貼ってあり、舅がサンタの絵を描いてくれました。
なぜか20年たってタンスからひょっこり出てきました。
小さいころのことをとてもよく覚えている娘も、この靴下のことは覚えていないと言います。
きっと中に入っていたお菓子やおもちゃに夢中になって、舅姑が孫への気持ちを込めた靴下のほうは、「包装紙」程度にしか感じなかったので記憶に残らなかったのでしょう。
おじいちゃんおばあちゃんの気持ちを感じながら、靴下リサイクル再利用しました。
中身は、ハハからのささやかな、、、、
靴下の中には「お年玉袋」が入っていて、息子が、「なんだよ、ここの家のサンタは、お年玉と兼用のプレゼントだよ」というシロモノが入っていました。
というわけで、我が家のお年玉は、クリスマスプレゼントといっしょになって支給ずみ。
<つづく>
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2008年01月15日
ぽかぽか春庭「元気玉・経験値UP」
2007/01/15
ぽかぽか春庭やちまた日記>お年玉(4)元気玉・経験値UP
娘も息子も、小学5年生ころには、「どうやら我が家にプレゼントを持ってくるビンボーサンタという人は、母らしい」と、気づいていたようなのです。
でも、「信じてない子どものところにはやってこない」と母がいうから、6年生の冬までは「僕、ぜったいにサンタは本当にいると思っているんだ。フィンランドのラップランドにいるんだって」なんて、信じているふりをしていたんです。
「いつもうちには、ビンボーサンタがくるけれど、今年あたりカネモチサンタが届ける家をまちがえて、ゲーム機とか持ってこないかな」なんて、言っていたけれど、サンタが届ける家を間違えたりすることはありませんでした。
「サンタさんがいるって信じなくなったら、サンタからのプレゼントはこないよ」と言ってあって、中学生になると、ビンボーサンタはベランダにやってこなくなりました。母から直接手渡しになって、夢はなくなったけれど、なぜ家に来るサンタがビンボーサンタなのか、という説明は不要になりました。
お年玉は高校卒業で終了、という約束だったので、ここ数年はお年玉も娘にはやっていませんでした。
しかし、2007年は、私の留守中、娘と息子で留守を守った「留守番ご褒美」として、お年玉をあげることにしました。
ただ「お年玉」として渡すのではつまらないので、ビンボーサンタの赤い靴下の中にいれて「クリスマスプレゼント兼お年玉」に仕立てて渡したのです。
ゲームソフトが1本買えるかどうか、というささやかなお年玉で、「ほんの気持ちだけですが」といったところ。
2008年も、さらに節約の1年になると思います。
ワーキングプアの家に生まれてきた娘と息子、ひたすら「ガマン」生活をしのいで育ってきました。
でも、ふたりとも風邪程度の病気ですんでいるのだし、私も「寄る年波」の老化は、白髪も皺も五十肩も仕方ないことと受け入れながら、小さな幸せを探して過ごしていくつもりです。
娘と息子が日夜はげんでいる「ゲーム」の世界では「経験値」をあげることが、最終的な「ゲームクリア」に、影響を与えるのだって。
世間一般からみたら「生活保護家庭より低い収入のワーキングプア」の生活をしている気の毒なビンボー家族です。
でも、一家してこんなに笑っていられるのは、「お金にはならなくても、人生経験値の豊かさはUPさせてきた」と思っているからかも。
2度の「中国出稼ぎ単身赴任」を経験、卒業7回、転職11回、ケニアで「しょうもなし夫」と出会ってしまった結果、貧乏暮らしの連続、というお馬鹿な半生を「面白い人生経験だった」と、笑っていられる。
今年はどんな経験ができるのやら。苦い経験もつらい思いも待ち受けているのでしょうが、どんな経験も、人生の糧と信じています。
どんなことも「経験値UP」の通過点です。
今年も元気に「経験値UP」、はげみます。
私がもらうお年玉は、「お年玉」のそもそもの由来どおり「年神さまからの元気玉プレゼント」なのですから。