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ぽかぽか春庭読書メモ2016

2016-12-29 00:00:01 | エッセイ、コラム

玉村康三郎(撮影後手彩色 明治期)

20161230
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2016年の読書

@は図書館本 *は図書館リサイクル本 ¥は定価で買った本 ・はBookoffの定価半額本&100円本。+プレゼント本

<日本語・日本言語文化論>
・小松茂美『かな』1969岩波新書
・吉本隆明『日本語のゆくえ』2012光文社知恵の森文庫
・惣郷正明『辞書風物詩』1973朝日新聞社

<小説 戯曲 ノンフィクション>
・中村文規『掏摸』2013河出文庫
・清水義範『開国ニッポン』2002集英社文庫
・幸田文『台所の音』1998講談社文庫
¥久木綾子『見残しの塔』2012文春文庫
+ツヴァイク『女の二十四時間』1992みすず書房
+村田沙耶香『コンビニ人間』2016文藝春秋

<評論 エッセイ>
・平戸史編纂委員会『大航海時代の冒険者たち』1997平戸歴史文庫
・マーガレット・バラ『古き日本の瞥見』1991有隣新書
・出久根達郎『古本夜話』2003筑摩文庫
・阿部謹也『中世の星の下で』1986ちくま文庫
・網野善彦『日本論の視座』1993小学館ライブラリー
・五味文彦『絵巻で読む中世』2005ちくま学芸文庫
・司馬遼太郎『街道をゆく22南蛮のみちⅠ』2006朝日文庫
・司馬遼太郎『街道をゆく25中国閩のみち』1997朝日文庫
・司馬遼太郎『街道をゆく10羽州街道佐渡のみち』2003朝日文庫
・司馬遼太郎『街道をゆく11肥前の諸街道』1983朝日文庫
・司馬遼太郎『街道をゆく38オホーツク街道』1997朝日文芸文庫
・司馬遼太郎『人間というもの』2009PHP文庫
@本橋哲也『ディズニープリンセスのゆくえ』2016ナカニシヤ出版
・内田樹 『こんな日本でよかったね』2009文春文庫
@内田樹 『呪いの時代』2011新潮社
@笹本正治『甲信の戦国史』2016ミネルヴァ書房
+チャペック『いろいろな人たち』1995平凡社ライブラリー
¥辛淑玉富山妙子『男文化よさらば』2013岩波ブックレット
¥佐藤義雄他編『都市空間を歩く 近代日本文学と東京』2016明治大学リバティアカデミィ
¥村上春樹『職業としての小説家』2016新潮文庫
・高村薫 『作家的時評集2000-2007』2007朝日文庫
・高村薫 『半眼訥訥』2003文春文庫
+阿川佐和子『強父論』2016文藝春秋
*山本夏彦『最後の波の音』2006文春文庫

 <アート>
*太陽編集部『和紙のある暮らし』2007平凡社
¥池上英洋・川口清香『美少年美術史』2016ちくま学芸文庫
・中野京子『怖い絵死と乙女篇』2009角川文庫
・藤森照信『アールデコの館』1993ちくま文庫

 ヤンゴン読書のテーマは「中世」で、網野善彦、五味文彦久木綾子を読んだ。久木綾子は新刊で出たときに読もうと思ったのだけれど、文庫になるまで待ち文庫新刊を購入したのに、結局4年間ツンドクにしておいた。小説は一気に最後読むので、読書のために2,3時間がとれないと読み始められない。ヤンゴンの日曜日、暑さのなかどこにも出る気にならない時間があって、ようやく読めた。
 ミャンマーで寝る前に読んだのは、司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズ。小説とちがって、どこでやめて眠りに落ちてもいいので。

 チャペックとツヴァイクは、友人が「処分する」という本をわざわざ私の住まいまで届けてくれた本のなかの2冊。日本人作家の2冊、石牟礼道子と西江雅之もいただいた。西江『異郷の景色』は本棚にあったので2冊目だけれど、西江先生昨年亡くなったこともありしみじみして受け取った。石牟礼の『椿の海』は、すでに2冊持っていて3冊目の本になった。せっかくいただいたので、3冊目も一行一行を味わいながら読んだ。

 相変わらず、100円文庫の棚に目を走らせて、読めそうなものをテキトーに選ぶから、系統だった読書ではなく、読んだ片端から忘れていく。佐野洋子の『がんばりません』も、2013年に読んだのだけれど、古本屋に行くと、読んだかどうだか忘れていてお気に入りの作者だからまた買う。100円だから2冊目でもいいやと思って買ってきて、2度目に読んでもやっぱり前と同じところでワハハと笑って読んだし、須賀敦子『地図のない道』も。単行本持っていて、文庫本も2冊目だったけれど買ってきて、同じように楽しんで読む。そして、あはは、これ、前にも読んだなあと思うのです。
 読んだことのない作家、高村薫の時評、うんうん、うなずきながら読みました。同世代だなあ。

 2016年発行の新刊書。阿川佐和子と村田沙耶香は、夫が買って「もういらないから、あげる」というので、もらった。強父論は、今までいろいろな対談集やエッセイで読んだことのあるエピソードが大半だったけれど、やはりご尊父死後の筆はちょっとしんみりしたりするところもあった。お父さん亡くなったから結婚報道出たのかも。

 本橋哲也 『ディズニープリンセスのゆくえ』カルチュラルスタディがデイズニーをいじるとどうなるのかという興味本位で読んだ。白雪姫から実写版シンデレラまで並べるところがミソ。
 フェミニズム以後のプリンセスのゆくえを、ディズニーがどう持って行こうとしているのか、分析はそれほど鋭くはなかった。私でも映画見て思う程度のことが書かれていたけれど、ちゃんと文化研究者が書くと、ちゃんとした本になる。

 『美少年美術史』ギリシャ時代の少年愛からモローまで、図版が充実。この本が出たからだろうと思うが、「太陽」が最新号で美少年特集をやっていて、あとおい2匹目のドジョウは美術雑誌界でもおなじ。

 こまめに読んだ本のタイトルをメモしておかないから、読んだ本のタイトルを次々忘れてしまっている。
 たとえば、山本夏彦の『最後の波の音』は、中身は確かに前に読んだことある本だ。でも、読書メモの過去ログにタイトルが書いてなかったから、今年の本としてメモした。図書館のリサイクル本。
 山本の本を読むのは、その右派感覚の小言幸兵衛ぶりにツッコミを入れてを楽しむのと、ほかでは出てこない語彙が出てくるのを楽しむため。

 『最後の波の音』の中に「葫蘆は夕顔のこと」という一文が出てくる。
 2009年の中国赴任時に、一泊二日で遼寧省葫芦島へ出かけたことがある。「葫芦島」和訓コロトウを中国音ではフールーダオというのだとはわかったけれど、中国語を知らないので、今まで葫芦が夕顔の意味だとは知らなかった。
 調べてみれば、葫芦は、瓜、瓢箪、フクベ、夕顔などと翻訳される語であった。現代の植物学では原産地は北アフリカカインドとされているのだそうだが、古代中国では、西瓜や葡萄と同じく、「胡=西域」からもたらされた植物として「葫」の文字が当てられたのだろう。胡瓜や胡椒に同じ。

 私はモノを知らないので、このように、「葫」の字ひとつ新しく知っても、去年よりは多少利口に成った気がして新年を迎えられる。

 2017年も、呆け防止本を図書館リサイクル本でただでもらってくるか、100円文庫本を買い込むかして、前に読んだ本もどうせ忘れているから、もう一度楽しめるだろう。

<おわり>
コメント (3)
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