天気 晴
写真は、ここへ来た翌年に撮っている、近くの公園の水仙。まだまだ散歩の元気はあったのだ。今は・・足指が痛くなくても、この公園までカメラを持って行く元気はないかも。情けない話。
今日は雛祭で、少し雛の日らしい昼食が出た。ちらし寿司に筍と蕗の煮物、菜花の辛し和え、お吸い物とフルーツは缶詰の梨。
去年は・・と見たら、ふくさ寿司と稲荷寿司だった。どちらにしても少しは有難いメニューだ。
午後は、ボランティアの人の琴とピアノの演奏会。コロナ禍がおさまってからは、少しづつそういう演奏会などが入るようになった。コロナ騒ぎの前には、色々と賑やかだったらしい。老人ホームへボランティア、というのはよく耳にした話だが、自分がその受け手になることは考えてもいなかった。
演奏会を聴きに出たくても出られない体になることなぞ、予想もしていなかったのだ。すぐそばの市民ホールの催しでも、今は余程体調が良くないと無理かもしれない。
ボランティアとはいえ、来てくださる方たちは本物の演奏の出来る方ばかりなので楽しめる(ピアノは施設に設置されている)。ことに今日は、二人とも初めての方たちだったが、内容も演奏もとっても良かった。琴の演奏で洋楽をこんなに表現できるとは思わなかった。
認知症の人が多いとはいえ、50年以上前のことは覚えているので、少し古いと思う曲でも皆、楽しんでいる。朝ドラを見ている人は少ないようだが、服部良一の楽曲は皆が知っている訳で「青い山脈」「湖畔の宿」を演奏したら、歌詞カードなんかないのに、歌い出した人が何人も居た。ピアノと琴の生演奏で歌うなんて、贅沢なこと。
私も、終戦直後に流行した歌なら、一番くらいの歌詞は正確に覚えている。蓄音機もない暮らしだったけれど、ラジオと、大人たちが歌うのを聴いていただけで覚えたものなのだ。子供の頃に覚えた歌詞は忘れないもの。朝のことも忘れている認知症の人が「青い山脈」を間違いなく歌っているのには生命の「不思議」を感じた。
朝、私のお友達みたいに必ず来ている鴉。いつもなら鴉の向こうには富士山が見える。今日は雲が多くて見えなかった。隣に、これ以上鴉には近づかないヒヨドリ。
最近はあまり住人と話す機会もなくて、お友達は窓の外の鳥くらいになりそう。鴉が居なくなったら、雀の一家がやってくる。鳥にも止まる順番が決まっているようだ。
今日は東京マラソンの日だった。もう行くことのない都心の今の風景が見られるので、中継をしっかりと見てしまった。
春光を浴びランナーの過(よ)ぎる首都 KUMI