KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

地震が止まらない

2024年03月01日 | 俳句
天気 晴のち曇りがち

日の出あとの空。どことなく春めいた雲になった。
明け方、足指が痛んで5時前に目が覚めてしまった。鎮痛剤は一日に4回まで、6時間を経過したら飲んでいいことになっている。寝る間際の11時に飲んだのでもう次を飲んでもいいか・・と、起きてガサガサと薬を出したりしていると目が覚めてしまった。どうせ、ズキズキの痛みでは眠れる訳もなくて・・見た目には腫れも大分ひいてきて、治癒に向かっているように見えるけれど、しつこいです。
着替えを済ませた頃、スマホの地震警報が鳴った。え?全然揺れないのに・・とテレビを付けると、最近頻繁に起きている房総半島東方沖が震源地。警報は現在地とあーちゃんの住む横浜が震度3以上でないと鳴らない設定にしているので、あれ?と思ったらこちらではなく横浜が震度3だった。
ともあれ、このところ、能登半島地震の前みたいに房総半島が不気味に毎日揺れているらしい。先日来てくれた亡甥の妻は千葉に居るので、毎日の揺れに不安なようだ。大学生の娘は都内の寮住まいだから、今は独り暮らし。心細いかも。新しい集合住宅でちょっとくらいの地震は心配ないとはいえ・・

育った房総半島は、台風の通り道の上、地震が多い。子供の頃から怖い思いをしてきた。地震に子供は「慣れる」ことが出来ない。震度2でも5でも怖いのは同じ。戦後、疎開した地に建てた急ごしらえの家は古材で作ったから、台風にも地震にも耐えられそうになかった。小学5年くらいの時だったか、昼間に震度5を超すくらいの(今の震度)大きな揺れがあり、夜になっても余震がおさまらない。家が潰れるかも・・と、隣家との間の竹藪に寝たことがあった。竹の根っこが地面を守っているので安全な場所、と大人の話。
学校の校舎も古い木造で、崩れてもせめて怪我をしないように、と机の下へもぐる訓練は随分させられた。今も建物の中なら、揺れると反射的にテーブルの下へ身を隠す。何かで頭を守る習慣も、子供の頃から身についてしまった。
中学3年の時、父の仕事の都合で瀬戸内海に面した町へ移った。地震なんて「一度も遭ったことがない」と言う同級生に驚いた。天候とは違い、地震なんて日本中どこも同じかと思っていたのだ。実際、高校の途中まで住んでいて、地震は一度もなかった。私の人生で、1年以上地震を感じなかったのは、この四国時代だけだろう。
そういえば、阪神淡路大震災のとき「東京は地震が起きそうだから子供の大学進学は神戸にしたのに・・」という大阪の人の記事を見たことがあった。神戸の大学の寮で被災して大変だったという。

ともあれ、能登半島のような地震が房総半島には起きませんように。成田空港が近いし、地震の規模によっては東京も襲われそう。どこに暮していても、つくづく安心のない国だと思う。

過去のみな消えたる人や春寒し  KUMI
コメント (4)
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