天気 晴
昨日までの体調の悪さは、やはり南岸低気圧のための気圧低下だったのか・・と思い知らされた。今日は、普通にいつもの目眩だけで済み、朝一番で(といってもここでは9時になるが)何日かぶりにシャワーを浴びてすっきりした。
午後にはリハビリがてら出かけてみようか・・と思ったが、北風がまだ強い。靴を履けないのでサンダルか草履では足の指が冷え、痺れてしまうかも。と想って外出はやめた。予報を見ると、明日から徐々に春の気温へ近づいていくようなので焦りは禁物。まだまだ足指は回復に遠くて、明け方、痛くて眠れないのは相変わらずだ。
おまけに今朝は4時過ぎ、緊急地震速報で眼が覚めた。揺れが来ないので、房総で又?・・と思ったらその通り。震度4以上にはならないものの、不気味な日々が続いている。昨夜、千葉に住む義姪と別のことでLineのやりとりをしたばかり。
大きな地震になるかならないかは、誰にも解らないらしい。同じような状況は、東日本大震災の前にもあったというが・・今度もあの未曾有の震災になるなんて、あり得ない。と思っている。
写真は、4年前の今頃のもの。ヒヨドリはたまたま来ていた。黄水仙の鉢を二つ、マンションに放棄してきたことを今頃になるとウジウジと思い出してしまう。もっとたくさんのものを放棄して(片付けないでゴミ付で売った)きた。あのコロナ禍の初年は異常な日々で、人に会ったりモノの売買の交渉をしたり、ということすら憚られた。この、大きな鉢2個、数年間、ベランダにほおって置けば咲くようになっていた。丈の低い水仙でベランダ向き。株はどんどん増えてきて、ベランダに春の訪れを告げてくれる花になっていた。
思うことは、3年も生きていられたら考えも変わっていたろうに・・ということ。あの時は、人間、最後は諦めが肝心、とすべてを放棄することで納得したのに。夫の闘病を看取ったばかりで、早く私も楽になりたい・・という気持があったのかもしれない。
瀬戸焼きの立派な鉢の上、土が目いっぱい入っていて、とても1人では持てないし、近所の人に譲っても迷惑になる。咲き終ったら球根にして人に譲るのが最適、と思いつつ、その作業を忘れてしまった。鉢に未練があったのだ。
どこかの家へ運ぶにしても、車を頼まねばならない。コロナの大騒ぎの中、室内のあれこれと一緒にすべてを放棄、不動産やに委ねた。
後悔先に立たず。山ほど大事なものを廃棄して生きている。あの、震災に破壊された日々を体験した人に比べれば、私のように自分で選んだ廃棄処分を後悔するのは贅沢なことだ。
早春の富士の中腹雲を抱き KUMI