天気 雨のち晴
写真は今朝の日の出直後。まだ雨が降っていたが空は朝焼けしてきた。
さて、ホワイトクリスマスは・・14年前の写真が出てきた。
スキーへ行ったときの、行きの国道の峠越え。真冬には積雪表示のポールめいっぱいに積もる(というか除雪の雪で埋もれる)
いつもなら年末年始を避けて正月明けに行くのに、この年は好きな田代スキー場という所がクリスマス時期にゲレンデの雪最高になっていたかららしい。
カメラはデジ一眼ではないけれどズームレンズになる本物のカメラ。背負って滑った。夫に背負わせると豪快に転倒するので怖い(カメラが壊れる!)私は殆ど転倒はしなかった。
ホワイトクリスマスの証拠。
当時は70歳まで滑れればいいか、と思っていたが最後は75歳だったと思う。
ま、シニアでございますから何もホワイトクリスマスでなくても良かった訳で、でも、珍しい日に来たのでリフト券を記念に写真にしておいたのだろう。
遠い日の話。
朝焼の消えサンタクロース消えて KUMI
75歳まで滑られていたって素晴らしいですね。
苗場国際って確か、加山雄三の「アルプスの若大将」の映画のロケ地じゃなかったかな?私は加山氏のギターとスキーに憧れていたものです(笑)
そんなところで、ズームレンズになる本物のカメラを背負って転倒せずに滑るなんて相当の運動神経の持ち主だったんですね。
いやー、最高の思い出ですね。
福岡に居る時は19歳の時、一人夜行列車に乗って鳥取大山(だいせん)で行ったのが初めてです。
それから大学の体育授業や、登山用品店のスキー会員などで大山に通いましたが、年に一度きりの機会でした。
関西にやってきて職場で数回行きましたが、みんな雪の上で遊んでいることに再発見したものです(笑)
九州時代は、直滑降、斜滑降、キックターン、ボーゲン、バッジテストなんて部分的な技術のことしか頭になかったからです。
最近よく想うのはマイカーでのスキー場へのは私には絶対無理だということです!
有難うございました。
心臓壊れて障害者になって、諦めました。スキーを担ぐことが出来なくり(笑)
随分熱心にスキー技術を体得されたのですねえ。
我々は、楽しく滑れればいい、の自己流で最後まで初心者でした。
1回くらい、教室に入った記憶が・・でも下手ではありませんでした。
運動神経はゼロ、カメラを持って滑るのが目標でしたので転倒しない技を覚えたのでしょう(笑)
車は、雪国に慣れない方は絶対にやめた方が・・
夫は運転が趣味でしたので、私は生涯、運転手任せで雪の季節を他楽しみました。